ベン・ラッセル インタビュー(聞き取り日:2012年9月1日)

ベン・ラッセル インタビュー
サイケデリック・エスノグラフィー Psychedelic Ethnography
聞き手 : 阪本裕文(メールによるインタビュー)
聞き取り日 : 2012年9月1日
初出:『Plus Documents 2009-2013』engine books, 2014


ベン・ラッセル プロフィール
ベン・ラッセル(Ben Russell)は1976年生れのアメリカ・シカゴ出身の映画作家であり、世界各地の辺境を飛び回りながら活動している。ロッテルダム国際映画祭やアナーバー映画祭、あいちトリエンナーレなど、多数の映画祭・国際展覧会でその作品は上映されている。そのフィルモグラフィーの多くは、トリップの現象学的側面やエスノグラフィー(民族誌映画)への関心に基づいて制作されており、そのための手段として、実験映画的な表現を用いたり、シネマ・ヴェリテ的なドキュメンタリーの方法を用いることが多い。特に2005年から2010年にかけて制作された『Trypps』シリーズには、この関心への変遷がよく表れており、観客の意識に直接的にトリップを与えることからスタートして、人間社会にとってそのトリップとは何であるのかという、「サイケデリック・エスノグラフィー」と作家が呼ぶ領域への到達を見せている。長編としては『彼ら一人一人、辿り着くであろう場所に行かせなさい/Let Each One Go Where He May』(2009)や、ベン・リバースとの共同監督による『闇を払う呪文/A Spell To Ward Off The Darkness』(2013)などがある。


阪本裕文(S):まずはバックグラウンドについて聞かせてほしい。 あなたが実験映画を制作するようになった経緯はどのようなものですか? 例えば、劇映画から実験映画に進んだのですか? もしくは美術から実験映画に進んだのですか?

ベン・ラッセル(B):私は大学最後の学期に映画を作り始めた。私は映画と文化論を学びながら、写真とビデオインスタレーションを制作し、民族誌学と現代美術のコースを履修していた。私の映画制作は常にドキュメンタリーの実践、サイファイ(Sci-Fi)映画、『ツイン・ピークス』(David Lynch, 1990-1991)、そして初期映画に結びついていた。私は実験映画を制作すると決めたことは一度もなく、私はただ内容に合致する形式で作品を作り上げたかっただけだ。その数年後まで、人々は私をエクスペリメンタル・フィルムメーカーとして見なすことはなかった。私は芸術家という呼び名を好む。

S:「実験映画」という言葉は、本質的に未知の映画を指す呼び名であると思う。しかし、長い時間を経るなかで、国ごとに、それなりに形式や伝統といったものが生まれてくるようになる。そこで聞きますが、あなたはあなたの国(アメリカ)の実験映画の歴史を、どのように捉えていますか? また、海外とアメリカの実験映画をめぐる状況を比較してどう思いますか?

B:アメリカには、実験的なものや、その他のものなど、実に豊かな映画史があるが、しかし、あなたが参照しているのが、アメリカのアヴァンギャルド映画なのか、または実験映画なのか分からない。ましてや、私がどちらかに適合するかについてなど――地政的に? 形式的に? イデオロギー的に? これらのカテゴリーは、私にとってこれまで満足いくものではなかった。それらは早い段階で壊れきっており、全く役に立たない。それらはメディアへのアスセスが困難であった時期に、批評家が創造の特性を強調したり、切り下げるのに役立っていたのだと思う。全てのテーゼ(「ベイエリア」、「構造主義・唯物主義」、「ニュー・アメリカンシネマ」など)は、歴史上重要で、「アヴァンギャルド」や「アンダーグラウンド」や、私が思うところの「実験」にも類似している。メディアの間の境界線は、ますます浸透的になって来ており、メディアにおける国民性について話すことは、特に難しくなっている。善かれ悪しかれ、国民的な映画の最も強い性質には資本主義があるということである――なかには国民の文化が支持され促進される国々もある(オーストリア、フランス、オランダ…)。個別の芸術家の表現は偉大だが、映画は特に保守的な傾向がある――簡単に述べると、なぜならそれらの賭けるものは少なく、芸術家たちは文字通りに餓えてはいない。もちろんこれは粗雑な一般論だが、私が見るところ、現代アメリカ実験映画は抽象との居心地の良くない関係を持っており、作品のなかにある種の政治的な、または文学的な批判を見つけることを好む。これは恐らく、同様に餓えとの関係を持っているはずだ…。

S:あなたのいくつかの映画においては、「トリップ」が重要なテーマになっている。 もちろんこれは精神の拡張を獲得するための手段として、音楽とともに人類の歴史と切っても切れない関係にあったものです。それは現実から遊離した世界を手軽に使用者に与えてしまうという、ある種の危うさも伴っている。『Trypps』シリーズ(2005-2010)において、あなたは意識を変容させる人物の様子を客観的な視点から撮影しているが、「トリップ」を映画において追求する動機とはどういったものですか?

B:私が『Trypps』シリーズを始めたのは、本当に映画に幻滅したときだった。何が出来るか、どのように身体に影響を与えることが出来るか。私は多くのノイズのコンサート、パンクのライヴに行って、根源的に内包された経験よって、本当に影響を受けた。『Trypps』の映画は 現象学的な領域を生産させる願望から生じている。私の観衆に、直接的に身体的な経路で影響を及ぼすという野心。結局、実験映画を経験することは、知覚的な移行を経験するということだ。映画に並行して、ドラッグと、催眠と、瞑想を生産するトランスの領域へ向かうことが出来る。私は、私のテーマである経験を複製することや、再生産することを望まない。私はLightning Boltのコンサートで汗まみれの恍惚とした(観客の)身体や、砂漠でLSDを服用した女性を撮影した時、私は私のテーマを乗り物(ヴィークル)として、観客が彼ら自身の経験に到着するように使用した。私はイメージを、(運転者=観客の)背後を映すマジックミラーに変えたい。それは、彼らがそれを見ていることを忘れさせずに、彼ら自身を自失させる手助けとなる。

S:一般に映画とは観客に対して、暗闇のなかでスクリーンの向こう側の物語や俳優に没入(トリップ)することを強いるものです。しかし、暗闇の中においてなお、我々自身の存在を強く知覚させ、その知覚の限界を壊して精神を拡張させる、そのような映画は存在しますか? 存在するならば、それはどのような条件において可能なのですか。

B:彼の著書である『Expanded Cinema』(E.P. Dutton, 1970)のなかで、ジーン・ヤングブラッド(Gene Youngblood)は、観客の標準化によって起こる、実験映画と商業映画の間にある重要な違いについて述べている。ハリウッド映画のケースでは観客は受動的な見物人として生産され、フィルムをオペレートするのに必要な存在とはみなされない。フィルムは閉鎖的なシステムである(それは、気づかれないままに時間を過ぎ去らせる要素である)。実験映画のケースでは、正反対のことが真実となる。テクストはオープンエンドで、観客はアクティブである。だからこそ少なくない時間が可視化する、とても現実的に。映画の意味(すなわち映画そのもの)は、観客なしでは存在しない。 観客は持続を通過するなかで自己認識をつくり出し、時間のなかで活動的になり、上映されているフィルムを含む意識のなかに送られる。これは、さらに一歩踏み込んだ上映が、その場で起こるための条件だ。

S:民族誌学的な映画の手法はあなたの作品でよく見られるが、『彼ら一人一人、辿り着くであろう場所に行かせなさい(Let Each One Go Where He May)』(2009)はとても興味深い。この作品は、あなたの他の作品によく見られる「トリップ」の儀式を含んでいるが、それだけではない。この作品はカメラの前に拡がる社会を、歴史的・人類学的なものとして分析することを試みているように思える。 あなたはジャン・ルーシュ(Jean Rouch)のような、民族誌学的な映画をどのように考えていますか?

B:ジャン・ルーシュの映画と著作は、私の実践に全く有益だった。『Les maîtres fous』(Jean Rouch, 1956)、『Jaguar』(Jean Rouch, 1967)、『ある夏の記録(Chronicle of a Summer)』(Jean Rouch, Edgar Morin, 1961)といった作品は、私の考えるノンフィクション映画制作に重大な影響がある。民族誌学的な批評としての参加と恊働、そこには確かに親類関係がある。私は人類学者ではないが、私が作品のなかでシュルレアリスムにのめり込むか、もしくは構造主義的なフィルム制作のアプローチをとっていた時期、彼の全作品は私に大変な影響を与えた。様々な点で『彼ら一人一人、辿り着くであろう場所に行かせなさい』は、『Jaguar』の直系だった。私はちょうど『Horendi』(Jean Rouch, 1972)というスローモーションのひょうたん太鼓演奏の映画を観たところだ。それはこの先も続くインスピレーションを私に与えてくれた。