GENOCIDE ORGAN – Remember


(Tesco Organization/LP×2)

ブックレット付きの分厚いハードカバー仕様。背に箔押しされた文字が鈍く光る。内容は過去に各所で行なわれたライブ音源からのセレクト。この中央突破を試みるかのような高密度高圧力の勢いは尋常ではない。ささくれ立ちガリガリした感触のノイズと、EG的にインダストリアルな駆動音、そしてひび割れた叫びは強烈に聴く者を引きつける。しかもそこにはPolitical Correctness(政治的に正しい表現)とはほど遠い、デリケートな問題へダイレクトに踏み込んだテーマが多数搭載されている。
例えばI-2のサルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)の演説を引用したと思われる「Patria y Libertad」は刃物のように強靭なパワエレである。しかし、ここにある憎悪をどのように解釈すればよいのか。アジェンデは、自由選挙によって選ばれたチリの社会主義政権(1970-1973)の大統領であった。アジェンデ政権はアメリカに支援されたピノチェト将軍による軍事クーデターにより、1973年に崩壊。アジェンデ自らも銃を手に最後まで抵抗したものの、殺害される(あるいは自殺)という非業の最期を遂げている(その際の軍事独裁政権の虐殺の犠牲者にはVictor Jaraも含まれる)。ここでGENOCIDE ORGANのスタンスが、どのようなものかを考えてみて欲しい。ただしII-1の「Hail Amerika」、II-4の「John Birch Society」というタイトルからもうかがえるように、コトはそれほど単純ではない。極め付けはIIII-3のゲシュタポ指揮官、クラウス・バルビー(Klaus Barbie)の名を冠したトラックに続いての、IIII-4のラストトラック「White Power Forces」であろう。これを文面そのままの極右的主張表明と解釈していいのか、ノイズの伝統に従った反社会的テーマの使用(あくまでシンボル/モチーフとして)による文化的撹拌行為(=モラルに対する文化的テロ)と解釈すべきなのか。
サウンドだけを取り出してみても、熱を帯びたスピーチやシュプレヒコール音源コラージュ、重厚なドローンや太鼓の上に乗るアジテーション、冷酷な駆動音に生々しい破砕音や金属音、インダストリアルなビートと絶叫による狂躁、捻り潰された歌声の残骸を更に蹂躙する持続ノイズなど、かつてのノイズ・インダストリアルの無軌道な鋭い凶暴性を引き継ぎつつも、冷静に構築された印象を受ける。即興的な展開は無く、全体として非常に計算されている。時には凄まじく凶暴でありながらも自己崩壊を巧妙に回避する理性も常に持ち合わせていると言えばよいのか。その理性が、彼らのテーマへの自覚的な姿勢を裏打ちしている。

JAZKAMER @ 名古屋 Cafe Parlwr

JAZKAMER, RULLA, Other Artists…
2007/2/24
名古屋 Cafe Parlwr

まずはRULLA/Tommi Keranen、John Hegre、Lasse Marhaugと日本側ミュージシャンのセッションが行われた。中でも最初に行われた、フィンランドハーシュそのものと言える激しさを見せたRULLAのセッションは、共演者NOISE CONCRETEのアクションも含めてなかなか面白かった。その後、他のセッションを挟んでラストにJAZKAMERという順番。
正直に言うと、過去にJAZZKAMMER時代の音源は所有していた。しかしそれはコラージュ的なデジタルノイズといった内容であり、あまり面白味を感じなかったためにユニオンに売ってしまった。以前のライブもそんな訳で、あまり関心が持てずにパスしてしまったので、JAZKAMERを観るのは今回が初めてとなる。エレクトロニカと称された音楽が落ち着き、猫も杓子もラップトップという風潮にもやや変化が見られる近年、電子音楽に深く食い込む音楽家はさらにコンピュータへの依存度を高め、ノイズに食い込む音楽家はアナログでローファイなマテリアルに回帰しているかのようだ。(もちろん高度に音響的な、デジタルでしかやれない音楽の形式というものは確かに存在し、そういったものを追求するのであればコンピュータの使用は必然である。)

JAZKAMER:
そしてJAZKAMERも(と言うかLasse Marhaugは)コンピュータの使用を脱した模様。John Hegreがギターノイズ、Lasse Marhaugがエレクトロニクス(トリガーはマイクを仕込んだ缶の中に金属片を入れたと思われるもの)という機材編成。過剰な暴走/エラーを引き起こしても挙動が停止しないアナログ機材でノイズを演るということには、やはりそれなりの必然性があるといったところか。サウンドチェックからそのままスタートした演奏は、音響的ノイズというイメージからは程遠い、暴れながらのバキバキの機材との格闘、ザラザラした質感の激しい正統派ハーシュノイズ。Johnは乱れながらギターを掻きむしり、Lasseは激しいアクションで機材を操作する。これは否定、アンチとしてのノイズの価値を私に再発見させるに充分なものであり、このような原初的ノイズの衝動を肯定する姿勢には共感を覚えた。生半可に音響的であったり、エレクトロニカ的であったりするようなノイズはもういいだろう。

Signal to Noise – Audio Swiss Japan @ 名古屋 KD.JAPON

Christian Weber, Tomas Korber, Jason Kahn , Norbert Moslang, Gunter Muller, 大友良英, Lethe/桑山清晴
2006/3/13
名古屋 KD.JAPON

遠出をする日に限って寒い。雪の降るなか、数年ぶりのKD.JAPON。がらりと店内の配置が変わっていて躊躇する。7名もの演奏者が出演するので、ステージ周辺は各種エレクトロニクスが占領しており、町工場のようにごちゃごちゃ。よくよく考えるとライブに足を運ぶのなんて、自分の関わった物を除くとすっかりご無沙汰。大友氏の演奏を観るのも久し振り。(20歳頃の自分にとってGROUND-ZEROはアイドルだった。ほとんど大友氏の追っかけに近い状態で、関西圏での大友氏関連のライブには必ず行くくらいに。)さて、久し振りと思ったら大友氏の使用楽器はギターだった…いつからタンテ使わなくなったんだろう。それとも今日はたまたまなのか。

一セット目はJason Kahn(electronics)、Norbert Moslang(everyday cracked electronics)、Gunter Muller(i-Pod, electronics)、Letheこと桑山氏(electronics)というエレクトロニクス奏者によるセット。高周波音や雑多な電子ノイズがドローン状に層を成し、グリッチ音によるプチプチとしたリズムが、その音の層をまとめ上げる。ドローンとしてインプロするというのは分かりやすい方法ではあるのだが、この面子は比較的似た音色によってそれを行っていたため、とても一体感があったように思う。明確なリズムを要として使用するのは、やや反則な気もしないではないが、おかげで音楽的な高揚感が味わえた。また電子音ばかりのなか、桑山氏が足元の石を蹴る音が面白いアクセントになっていた。

二セット目はChristian Weber(contrabass)、Tomas Korber(guitar, electronics)、大友氏(guitar)という楽器奏者によるセット。ちなみにTomasはほぼエレクトロニクスのみを使用。もちろん楽器演奏といっても、断片的な自己表出の度合いの薄いリダクショニズム的内容。後半からは大友氏が震えるようなギターアンプのフィードバックに突入。コントラバスの弦による軋みを侵蝕する、どこか永久音楽劇場のようでもあるハードコア・ドローンとなり、なかなかの好内容に満足。

三セット目は全員での大所帯セット。前半は様子を探るかのように点描的な音を出し合う。いまいち噛み合わない。特に電子音に対して、Christianのコントラバスと大友氏のギターの爪弾きが。しかし徐々に音は抽象性を高めてゆき、中盤辺りからドローンや、高周波、クラックド・エレクトロニクスが一体化し、神経質で鋭利な電子音のクラスター状態に突入。大所帯での即興はやっぱりこうなる、予定調和的に。こういう電子ノイズ主体の楽器編成の場合はそれがまた良いのだが。誰がどの音かは判別不能ながら、想像ではパッチシンセのコードを忙しそうに繋ぎ替えるJasonの役割が大きかったように思う。ここでも機械的なグリッチ音による、プチプチとしたリズムがやはり要。自分も年甲斐もなく盛り上がってしまい椅子の上に立って観戦。静寂系のリダクショニズムも良いけど、即物的でありながら冷めた高揚感もあるインプロも良いものだ。

CHOP SHOP @ 京都 Cafe Indepandants

CHOP SHOP, Daniel Menche, BASTARD NOISE, DOOG
2004/12/17
京都 Cafe Indepandants

少し開演に遅れてアンパンに到着。客の入りはまあまあ。前方では出演者らが次バンドの準備をしようとしているのだが、これがなかなか進まない。というよりか次のCHOP SHOPことScott Konzelmannがまだ来てないらしい…。急遽BASTARD NOISEが準備にかかる、

BASTARD NOISE:
昨年度はEric Wood急病、Bill Nelson単独での来日だったが、今回はEricは勿論、John Wieseも復帰しての来日。Ericはエレクトロニクス、JohnはPowerBookG3、Billは昨年と同じ巨大アナログシンセと自作楽器。大所帯でのノイズ集団即興。静かに始まり、やがて盛り上がりを迎えて、徐々に消えてゆくという展開。

CHOP SHOP:
個人的にメインアクトであるCHOP SHOP。道に迷っていたのかどうかは知らないが、Scottがようやく御到着。風貌は生真面目そうな美術家といった印象。さて、何やるのかと思ったら…やはり自作スピーカーが来た!。さらに格好良いナグラのオープンリールまで持ち出す。セットを詳しく述べると、
              もう一つのテープ(音源2)
                  ↓
ナグラのオープンリール(音源1)→[ミキサー]→[自作スピーカー]
            ↓        
           [ミキサー]→[PA]
こんな感じらしい。自分の英会話と筆談に間違いなければ。本当は筆談というより図を書き合っていたんだけど(笑)。このセットを見る限り、本来はインスタレーションとしてギャラリーで展示するべきものなのだと思う。(だからデザインが美しいナグラのオープンをわざわざ使っているのでは。)それを今回はライブとしてプレゼンするので、音源の片方をPAに送ることにしたのだろう。半インスタレーション、半ライブという興味深いセット。長机の上には奇怪な自作スピーカーとナグラのオープンのみが並んでいる。あとの機材は机の横。本当にギャラリーでの展示みたいだ。この光景を目にしているだけで目眩がする。
そしてライブ開始。まず音源2の方をスタートさせておき、自作スピーカーで鳴らす。小さなモノなので音量は小さい。しばらくしてから自作スピーカーの蓋を取る。それにより音が変化する。その後ナグラのオープンをスタート。PAから大音量であの干涸びたハーシュノイズが流れ出す。一連の開始作業を終えたScottは床に腰を降ろし、客と一緒にノイズに聴き入る。B. Gunterみたいだ。この作為の希薄さが堪らない。もう全てが格好良過ぎる。サウンドも!、自作スピーカーも!、演奏しないところも!。カラカラに干涸びた持続音ノイズはぶつ切りで編集されており、唐突に次の持続音ノイズへ繋がる。この干涸びてジリジリした感覚は、マーシャル系パワエレの粗雑でジリジリした音の感触に通じるものがある。サウンドだけを取り出してみても非常に素晴しい。やがてテープが全て巻き取られ、PAからの音が突然止まる。それにより再び自作スピーカーからの小さなノイズのみが聴こえるようになる。するとScottは再び立ち上がり、蓋を元の通り自作スピーカーに被せる。そしてノイズを徐々にフェードアウトさせて終了。

Daniel Menche:
砂や塩を使っていた頃の盤は何枚か持ってる。しかし今のDaniel Mencheの手法は、また違っていた。コンタクトマイクを付けた細長い鉄板を咽に押し当てて叫び、叩き、所狭しと転げ回る。悪くはないが、ノイズにおけるこういったタイプの表現方法には正直、限界を感じた。

BURZUM – Ragnarok (A New Beginning)


(Aske Records/CD)

1曲目の「Et Hvitt Lys Over Skogen」はMisanthropyのコンピレーションに収録されていた曲で、過去に7インチも出ていた。BURZUMにしてはロック的で凄く良い。2-5曲目は91年のファーストデモの4曲を丸ごと収録している模様。それぞれで見ていくと「Lost Wisdom」「Spell Of Destruction」はヴォーカルパートなし。それだけでかなり印象が違う。音質が悪いという点でより病んでいる印象。「Channeling The Power Of Souls Into A New God」はアンビエント曲のデモで、ベースとシンセで演奏したバージョン。「Outro」は2ndのイントロ曲のデモで、よりヒビ割れ低音ノイズが強調されており、そこにうっすらとキーボードが重ねられる。この四つは単なるデモに留まらないブラックメタルとノイズの中間的な魅力がある。6曲目はASKEバージョンの「A Lost Forgotten Sad Spirit」。7曲目ではタイトルから察するにMAYHEMのメンバーとCliff Richardの歌を合唱しているようだ。陽気にデス声で歌う。その後のVargによるEuronymous殺害という凶行を知っているだけに、なんともやりきれない気分にさせられる。MAYHEMのアルバム「Deathcrush」よりカット。そして最後はこのCDの目玉、BURZUMの2ndに収録のアンビエント曲「Han Som Reiste」にアサトルの創設者、Sveinbjorn Beinteinssonによるオーディンへの祈りの言葉をコラージュした「Havamal」である。この曲で「Han Som Reiste」はループにより12分もの長さに引き伸ばされている。アサトルとは北欧のキリスト教以前の北欧神話の神々を信仰するアイスランドの宗教らしい。CDの内、まともなブラックメタルは2曲だけという内容だが、もはやブラックメタルに留まらない作品集であり、非常に面白い。(ちなみに Sveinbjorn Beinteinssonは90年にCurrent93のレーベルDOUTROからレコードを出している。未聴。)

V.A. – Consumer Electronics #5


(L.White/DVD)

ベルリンで2003年に開催された「Consumer Electronics#5」においての英国パワエレの代表格、CON-DOMとGERY WOLVESのライブを収めたDVD。他の出演者はフライヤーによるとSTAHLWERK9、MK9。サポートだったのか、単独だったのかは不明ながらSLOGUNも出演していた模様(観客の中にその姿も確認できる)。
CON-DOMは「live manifestation of the color of a man’s skin」と銘打った、同名アルバム(白盤黒盤のLP&7EP×2セットという体裁にて、その題材を人種差別問題とした作品)収録曲からのセット。ステージには政治的な内容を含んだ引用映像が投影される。そしてMike R. Dandoは裸の上半身に白と黒の塗料をペイントし、観客にもペイントしてまわる。CON-DOMのライブは演奏というよりも、その社会的問題に対する意志表明であるかのようだ。ギリギリと唸るノイズに力強いアジテーション。ラストではノイズが途切れ、場内に歓声が響くのだが、その声を打ち消して声一本でアジを繰り返す。たった一人でこの緊張感を負う、Mikeのその立ち振る舞いに痺れる。
GREY WOLVESはTrevor Wardに機材担当のCON-DOMのMikeという二人編成。Trevorはスキンヘッド&ミリタリールックという出で立ちで、煙草をくわえながら、高揚するかのようにステージ上を歩き回る。その背後には某日本インディ映画をプロジェクションしているのだが、その日本サブカルチャー特有のポップなキッチュさが、GREY WOLVESのいかがわしさと妙に合っている。起伏ある展開の疾走感に満ちたノイズトラックと、挑発的アジテーション。インプロハーシュとは違う、異形的パンクとしてのパワエレである。サウンドによる文化的テロとしての終曲「Victory Through Violence」が嵐のように吹き荒れ、エンディングではゆるやかなポップスがBGMとして流される(ポップスのかかる中、Mikeが直立不動で立っていたのが何故か印象的)。
ノイズのライブはインプロとして提示するより、個人的にはこのように何らかのプレゼンテーションとして提示する方が興味が持てる。両者とも、音の完成度もさることながら、その熟練したパフォーマーとしての技量が光る素晴らしいライブである。

大竹伸朗「全景」@ 東京都現代美術館

大竹伸朗「全景」@ 東京都現代美術館
2006/12/24
東京都現代美術館

最終日。朝一で新幹線に乗り、午前11時前に都現美に到着。実はこの時点では昼過ぎに全景展を見終えて、午後からは他の展覧会に行くつもりだったのだが、まさか閉館時間までいることになるとは思わなかった。午前中ということもあり、人影はまばら(ただし午後からは予想以上に混雑した)。さて、見ようか…と思って会場に足を踏み入れると、いきなり地下から響く轟音。速攻で音の発生源(遠隔演奏ノイズバンド: ダブ平&ニューシャネル)へ向かう。

ダブ平一回目:
ダブ平の奏でるノイズに、ブース内にて大竹がギターを重ねるという構成。シンプルながら鋭利な内容。アンプを倒してエフェクターで音色操作を行う共演者も加わる。ノイズ好きとしてはこの日見た中で、このセットが一番格好良かった。混沌としたノイズにハーシュなギターが非常に合っていた。ダブ平に楽器演奏者が入ると、どうにもミュージシャン的要素が高くなってしまって、個人的には好みじゃなくなる。大竹伸朗の作風にはやはりハナタラシ的初期衝動がよく似合うと思えるので、スカムでノイズに近い形式の方が好み(そう言う意味で、先日行われたらしい山塚アイとダブ平の共演は見ておきたかった)。

ダブ平の演奏が終わった後に、少しだけDJ景(大竹らが一日中DJを行うイベント)の方も覗く。その後、ショップでTシャツを買ってから、いよいよ覚悟を決めて一気に三階から地下まで展覧会を見る。以下、メモ的に。

・大竹の偏執狂的に多彩な手法と圧倒的な作品量は、彼の芸術家人生自体が混乱しているかの様相で、それ自体が魅力的に映る。
・日本景あたりからコラージュの断片に目が向かい過ぎてしまい、キッチュさやポップさに傾倒しすぎた感がする。
・特に山塚アイとの共作は、山塚の作品が徹底してキッチュかつポップであることから、その傾倒が顕著に現れていて評価出来ない。ただし音楽の共作は面白い。

とまあ、とても思うところの多い圧倒的物量の展覧会であった。DJ景の方を再度見に行くと、だらだらと歌謡曲をかけながら大竹は湯浅学らと歌謡曲についてトークをしていた。しかし途中でトークを切り上げて、大竹がダブ平に向かったので、観客もそちらへ向かう。

ダブ平二回目:
憶えていないが数セット演奏。ブース内の大竹は卓とギターを担当し、さらにギター演奏者が二人加わる(どうやら一人は、大竹のやっていたノイズバンド「Juke/19」のメンバーだった人らしい。もう一人は一回目の時の人)。まず、ダブ平による駆動音のようなギターのパルスとノイズに、大竹らのギターが乗る、所謂クラウトロック的な混沌サイケ。これはとても楽しめた。次にギター演奏者と大竹(が操作するダブ平)のセッション的な内容。かなり音楽的でミュージシャン的要素が高く、個人的にはもうひとつだった。どうも演奏テクニック溢れる音楽はダブ平に合わない気がする。他にもう一セットやった気がするが失念。終了後、すぐに内橋が準備に入る。

ダブ平三回目:
引き続き内橋和久のダクソフォン&ギターとの共演。ハンス・ライヒェルが来日した時以来、内橋のライブを見ていないので、彼の演奏を見るのは10年振りくらい。感想としては内橋は素晴らしいインプロヴァイザーだし、その活動は高く評価したいが、正直ダブ平のローファイでチープなノイズには合わないんじゃないだろうかと思った。ダクソフォンの奇怪でありながら美しい音も、エフェクターを多用したギターインプロも、やっぱり余りに音楽的過ぎる。音楽としてはいい内容だとは思うのだが。

そのまま大竹はDJ景の方に戻り、飛び入りゲストの小説家の方と湯浅学との三人でトーク。終始和やかで、大竹の人柄のよく出た発言も聞けてとても良かった。以下心に残った発言メモ(うろ憶えです)。

・「そっちに行ったら大変だろうけど、絶対そっちのほうが人生面白い」と思える方に行くべき。自分の場合も大変だったけど、嫌な思い出なんてない。ゲームのように客観的に自分を見るように。
・議論も大切なんだけど、絵描きなら理解したことを描かなければならない。いい展覧会を見ると、早く帰って絵を描かなければ、という気分になる。

トークがお開きになった後、しばらくして、またダブ平四回目の演奏開始。

ダブ平四回目:
後ろの方にいたので編成はよく分からなかったが、これも比較的音楽っぽいギター中心の大人しい感じの演奏。ぶらぶらと館内を歩き、作品を見ながら聴いた。

最後に網膜シリーズを再度見てから、会場を出る。もう午後6時なので、「帰ろうかどうしようか、でも最後にまたダブ平が演奏するだろうしな」と迷いながら軽い気持ちで美術図書室に入る。すると別件で探していた資料をまとめて発見。全て複写してやろうと、まとめて書架から出してもらう。無駄が多いようにも思える複写手続きで時間をとられてしまったので、見るかどうか迷っていたダブ平最後の演奏は結局断念することに。ようやく複写が終わってみると丁度閉館の時間。遠くで鳴るノイズまみれのダブ平の演奏を聴きながら都現美を後にし、長い一日が終わった。