大竹伸朗「全景」@ 東京都現代美術館

大竹伸朗「全景」@ 東京都現代美術館
2006/12/24
東京都現代美術館

最終日。朝一で新幹線に乗り、午前11時前に都現美に到着。実はこの時点では昼過ぎに全景展を見終えて、午後からは他の展覧会に行くつもりだったのだが、まさか閉館時間までいることになるとは思わなかった。午前中ということもあり、人影はまばら(ただし午後からは予想以上に混雑した)。さて、見ようか…と思って会場に足を踏み入れると、いきなり地下から響く轟音。速攻で音の発生源(遠隔演奏ノイズバンド: ダブ平&ニューシャネル)へ向かう。

ダブ平一回目:
ダブ平の奏でるノイズに、ブース内にて大竹がギターを重ねるという構成。シンプルながら鋭利な内容。アンプを倒してエフェクターで音色操作を行う共演者も加わる。ノイズ好きとしてはこの日見た中で、このセットが一番格好良かった。混沌としたノイズにハーシュなギターが非常に合っていた。ダブ平に楽器演奏者が入ると、どうにもミュージシャン的要素が高くなってしまって、個人的には好みじゃなくなる。大竹伸朗の作風にはやはりハナタラシ的初期衝動がよく似合うと思えるので、スカムでノイズに近い形式の方が好み(そう言う意味で、先日行われたらしい山塚アイとダブ平の共演は見ておきたかった)。

ダブ平の演奏が終わった後に、少しだけDJ景(大竹らが一日中DJを行うイベント)の方も覗く。その後、ショップでTシャツを買ってから、いよいよ覚悟を決めて一気に三階から地下まで展覧会を見る。以下、メモ的に。

・大竹の偏執狂的に多彩な手法と圧倒的な作品量は、彼の芸術家人生自体が混乱しているかの様相で、それ自体が魅力的に映る。
・日本景あたりからコラージュの断片に目が向かい過ぎてしまい、キッチュさやポップさに傾倒しすぎた感がする。
・特に山塚アイとの共作は、山塚の作品が徹底してキッチュかつポップであることから、その傾倒が顕著に現れていて評価出来ない。ただし音楽の共作は面白い。

とまあ、とても思うところの多い圧倒的物量の展覧会であった。DJ景の方を再度見に行くと、だらだらと歌謡曲をかけながら大竹は湯浅学らと歌謡曲についてトークをしていた。しかし途中でトークを切り上げて、大竹がダブ平に向かったので、観客もそちらへ向かう。

ダブ平二回目:
憶えていないが数セット演奏。ブース内の大竹は卓とギターを担当し、さらにギター演奏者が二人加わる(どうやら一人は、大竹のやっていたノイズバンド「Juke/19」のメンバーだった人らしい。もう一人は一回目の時の人)。まず、ダブ平による駆動音のようなギターのパルスとノイズに、大竹らのギターが乗る、所謂クラウトロック的な混沌サイケ。これはとても楽しめた。次にギター演奏者と大竹(が操作するダブ平)のセッション的な内容。かなり音楽的でミュージシャン的要素が高く、個人的にはもうひとつだった。どうも演奏テクニック溢れる音楽はダブ平に合わない気がする。他にもう一セットやった気がするが失念。終了後、すぐに内橋が準備に入る。

ダブ平三回目:
引き続き内橋和久のダクソフォン&ギターとの共演。ハンス・ライヒェルが来日した時以来、内橋のライブを見ていないので、彼の演奏を見るのは10年振りくらい。感想としては内橋は素晴らしいインプロヴァイザーだし、その活動は高く評価したいが、正直ダブ平のローファイでチープなノイズには合わないんじゃないだろうかと思った。ダクソフォンの奇怪でありながら美しい音も、エフェクターを多用したギターインプロも、やっぱり余りに音楽的過ぎる。音楽としてはいい内容だとは思うのだが。

そのまま大竹はDJ景の方に戻り、飛び入りゲストの小説家の方と湯浅学との三人でトーク。終始和やかで、大竹の人柄のよく出た発言も聞けてとても良かった。以下心に残った発言メモ(うろ憶えです)。

・「そっちに行ったら大変だろうけど、絶対そっちのほうが人生面白い」と思える方に行くべき。自分の場合も大変だったけど、嫌な思い出なんてない。ゲームのように客観的に自分を見るように。
・議論も大切なんだけど、絵描きなら理解したことを描かなければならない。いい展覧会を見ると、早く帰って絵を描かなければ、という気分になる。

トークがお開きになった後、しばらくして、またダブ平四回目の演奏開始。

ダブ平四回目:
後ろの方にいたので編成はよく分からなかったが、これも比較的音楽っぽいギター中心の大人しい感じの演奏。ぶらぶらと館内を歩き、作品を見ながら聴いた。

最後に網膜シリーズを再度見てから、会場を出る。もう午後6時なので、「帰ろうかどうしようか、でも最後にまたダブ平が演奏するだろうしな」と迷いながら軽い気持ちで美術図書室に入る。すると別件で探していた資料をまとめて発見。全て複写してやろうと、まとめて書架から出してもらう。無駄が多いようにも思える複写手続きで時間をとられてしまったので、見るかどうか迷っていたダブ平最後の演奏は結局断念することに。ようやく複写が終わってみると丁度閉館の時間。遠くで鳴るノイズまみれのダブ平の演奏を聴きながら都現美を後にし、長い一日が終わった。

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Richard Pinhas Band @ 名古屋 Day Trip

Richard Pinhas Band, FREE LOVE, G-FIGHTER
2006/12/4
名古屋 Day Trip

フロントアクトの演奏を聴きながら飲食していると、外人さんが物販コーナー前をうろついている…それは余りに普通な振る舞いのPinhas一行だった。英語で話しかけるも、今日程自分の英語力のなさが嫌になった日はない。取りあえず意思の疎通は諦め、CDにサインをもらう。もの静かで紳士的。その後、Pinhasは物販横でじっと座って時間をつぶしていた。

Richard Pinhas Band:
映像の投影される中、PinhasはギターとLive Rig Processingなるシステムを操り、そこにPC担当のJerome SchmidtとドラムのAntoine Paganottiが加わる三人編成。Pinhasの演奏によるものと思われる、ギターを元にしたエフェクト音響が空間を埋め尽くす(Schmidtが出している音だったのかもしれないが)。これが少々退屈だったのだが、始まってしばらくしてようやくPaganottiが派手にリズムを叩き出し、シンセのフレーズも反復されて、HELDONらしさが出てくる。アンコールにも応え、HELDONの曲(多分)のフレーズが聴こえた時には驚嘆した。かつての衝撃が感じられたのかと言えば、それ程でもなかったものの、全体としてはなかなか良いライブだったと思う。

SLOGUN @ 難波 Bears

SLOGUN, SICKNESS, ARAKATSUMA, TIMISOARA, GUILTY CONNECTOR
2006/11/16
難波 Bears

無理を押して、仕事終わりと同時に職場を飛び出し大阪へ。ベアーズに行くのは約十年振りということもあり、おおいに道に迷う。このあたりは再開発でもされたのか、記憶の中の町並みと少し違っていた。ベアーズにようやくたどり着くと、開演から大分遅れたこともあり、すでにTIMISOARA, GUILTY CONNECTORのライブが終わって、次のARAKATSUMAのライブが始まったところであった。

ARAKATSUMA:
NOISEUSEとMONTAGEによるへヴィーエレクトロニクス〜パワエレユニット。重い駆動音の上部で吹き荒れるノイズ、そしてそこに差し込まれるアジテーションと引用音源。欧州のマーシャルものと比べても全く遜色なく、きっちりと構築された印象。当名義での音源リリースを期待したい。

SICKNESS:
今回のツアーは、当名義での活動を止めるらしいSICKNESSの日本で最後のパフォーマンスとなる。三年前と同じように、机の上にはエフェクター類と鉄板などが散乱している。彼はそれらを操作し、断続的なカットアップハーシュを吐き出す。以前は机の上に立って機材を蹴りつけたりしていたのだが、今回は前回ほど激しいアクションはなく、機器を操作する手付きに音楽的な意図が感じられるというか、間やタイミングを考えた即興演奏に変化したような印象を受けた。それでも音の鋭さと過剰さは全く変わっていなかった。

SLOGUN:
前回はサポートメンバーを加えての編成であったが、今回はJohn Balistreri単独の編成。バックの音はあらかじめ音源を準備してのもので、Johnはアジテーションに専念する。なのでうねる低音ノイズ主体のバックトラックは、ややシンプルな印象。酒をあおり、たまに観客を突き飛ばしたりのラフなライブであったが、その出で立ちやアジテーションにはやはりある種のカリスマ性がある。ノイズの奔流の中で、シンボル化された暴力衝動そのものとなったアジテーターに眼前で対峙するということ、それは「お前は平時から覚悟を決めているのか?、お前に殺せるのか?」との問いを投げかけられているかのようでもあった。パワーエレクトロニクスとは、シンボル化された、現実以上にシリアスな事象と向き合う場である。そこでは鏡のように自身の信念や覚悟が映し出され、その再検討が要求されるといってよい。パワーエレクトロニクスは音楽であるが、音楽のみの留まるものではない。

帝都掃討 @ 高円寺 20000V

OPERATION CLEANSWEEP, ANENZEPHALIA, INADE, MONTAGE, NOISEUSE
2006/3/21
高円寺 20000V

相変わらず幅広すぎる客層に目眩…何故この人がパワエレを、という感じの人も多い。物販にて来日記念盤、AnenzephaliaのCD-R、謎のコンピを一枚購入。この日のライブはハーシュから構成へと一歩踏み出した感じのあるMONTAGEとNOISEUSEの好サポートでスタート。両者ともライブを観るのは初めてだったが、自分の中ではかなり高評価だった。

ANENZEPHALIA:
暴力性より重厚さを押し出した展開で来たGO別働隊ANENZEPHALIA。彼らは礼儀正しいパワエレというか、客に絡んだり、ぐしゃぐしゃに暴れたりはしない。B.mが主にアジテーション、W.hがシンセやエフェクター等機材操作という分担。後方では不明瞭な映像が流されている。ちゃんとは聞き取れなかったが、政治的引用バリバリのコラージュとともに、デス・インダストリアルは駆動する。重い駆動音は崩壊へ向かう事なく、ひたすら聴く者を圧殺するかのごとし。シンプルなキックが刻まれるラスト曲ではB.mはフロアに降り、観客の中でアジテーションを連呼する。期待通りの手堅いステージだった。(終演後、W.hとトイレ前ではち合わせ、握手を交わしたのですが、ステージ上の強面とは違う、柔和な、しかし高潔な精神を感じさせる笑顔が印象的だった。)

INADE:
オーディオによる神話。INADEはコズミックかつリチュアルな音像を聴かせた。メンバー二人はパソコンやエレクトロニクス類に加え、謎のラッパ状の民族楽器も使用。砂塵のようなノイズの中、各種のリチュアル音像が浮かび上がる。比較的リズムもあり、EX.ORDERでの政治的パワエレとはまた違う、独自の音世界を繰り広げた。後方には手の込んだ、ジャケットイメージの映像が流されていた。

OPERATION CLEANSWEEP:
トリはOPERATION CLEANSWEEP。メンバーは二人組のスキンヘッド。一人が主にアジテーション(ボイスはノイズと判別し難い程、めちゃくちゃに変調される)、もう一人が機材担当(ノイズの展開は緻密に曲として作り込まれていた)。 ANENZEPHALIAと同じ編成。準備に手間取り、機材トラブルでメンバーが怒る一幕もあったが、なんとか開演。攻撃的なバンド名そのままの鋭利な感触で脈動するノイズと、パンクス丸出しのフロントマンによるアジが絡み合う。かすかに国歌もコラージュされていたのが印象的。客に絡みもするラフなスタイルはGREY WOLVESの系統。恐らくメンバーはハードコア上がりだろうと勝手に想像。徹底掉尾攻撃的に畳み掛け、ぶっきらぼうに終了。自分に中に在る不合理への憤りが補填され、満たされる感覚を満喫できた。

Karlheinz Stockhausen @ 天王洲 ART SPHERE

Karlheinz Stockhausen, Suzanne Stephens, Kathinka Pasveer, Hubert Mayer, Marco Blaauw, Antonio Perez Abellan
2005/06/26
天王洲 ART SPHERE

人間余裕が大事だという訳で、今日こそは余裕を持ってまっすぐ会場へ向かう。今日もほぼ満席だが、昨日よりも若干客が少ない気がする。今日の座席はStockhausenの座るコンソール席のすぐ後ろという、ある意味ベストな位置。ステージよりStockhausenの挙動を注視した。
まずは、かなり馴染んできた「リヒト・ビルダー」。この日の演奏はやや長く感じた。また、席の関係からか電子音が比較的良く聴こえた。演奏の最中、Stockhausenは譜面をめくりながら演奏を追う。その手元までは見えなかったが、あまりコンソールの操作は行っていなかったように思う。
休憩中は職場の上司と遭遇し、しばし感想を述べ合う。この方はドイツ語が出来る人なので、リアルタイムで言葉の意味が理解できるのが羨ましい。物販も覗くと、スコアは売り切れ、CDは輸入盤店価格に合わせたのか、少し高めだった。他に欲しいものもあるので。また直接Stockhausenのレーベルに注文すればいいかと思い、この日は何も購入せず。
そしていよいよ最後の演目「天使=行列」。電子音楽作品ではないが、今回はテープ上演形式。例によって暗闇の中、壁にライトの光が一つだけ投影される。私はStockhausenの傍らのレコーダーのレベル表示を見ながら聴くことにした。客席にてコーラス隊が歌うというこの作品。しかしながら一度録音、ミックスされて、このような形で聴かされると、彼の他の電子音楽作品と通じるものがあると感じた。むしろStockhausenらしさがよく分かる。電子音楽も合唱も彼の中では同じなのだ(当たり前か)。ある日本人作曲家はオーケストラ作品の作曲であっても、周波数とその配置によって、全体から細部に至るまでを構想し、それを五線譜に置き換えることで作曲を行うと聞いたことがあるが、要するにそういう感覚。電子音楽もやっている作曲家って皆そうなんだろうか?。奇怪な歌い方も用いた合唱なのだが、多くの場面で小さな音量のドローンのような薄い声の膜が配置されており、もの凄い緊張感。聴いているとどんどん集中力が上がってのめり込んでゆく。Stockhausenは全然丸くなんてなっていない。過去の過激な電子音楽をやってた頃のままだと思い知らされた。
この日も拍手は鳴り止まず、Stockhausenは観客の喝采に応える。その後はやはり毎度のサイン会状態に。恐ろしい人数の行列だったが、Stockhausenは紳士的に一人一人に丁寧に対応していた。

Karlheinz Stockhausen @ 天王洲 ART SPHERE

Karlheinz Stockhausen, Suzanne Stephens, Kathinka Pasveer, Hubert Mayer, Marco Blaauw, Antonio Perez Abellan
2005/06/25
天王洲 ART SPHERE

昼に宿を出て、まず初台へ向かう。ICCとギャラリーを廻ってから、いくつかの店でCDとDVDを購入。いろいろ悩んで買い物をしていると遅くなり、結局昨日と同じ開演ギリギリになんとか滑り込み。この性格は直らん。この日は昨日よりもさらに客が多い。やはりStockhausenは客席中央のコンソール席に座って、開始の時を待っている。Stockhausenにも観客にも昨日より張りつめた緊張感があった。
まずは「リヒト・ビルダー」。初日よりも小気味よく演奏が進んだように思う。昨日は衣装と身振りの奇天烈さに惑わされた感もあったが、もう慣れた。明確な中心がある訳じゃない、どこで始まってどこで終わってもいい、断片的な全体を持つ曲なので、音色の多彩さに集中する。やけに時間が短く感じた。
休憩時間を挟んで「コンタクテ」のテープ上演。昨日と同じく照明が落とされ、ステージ正面の壁にライトの光が一つだけ投影される。やはり演奏者なしの電子音のみのバージョンだった。強烈に吹き荒れる電子音に圧倒される。今日は壁のライトは見ないで、天井を仰ぎながら鑑賞。よくよく考えると、これだけの大人数が、こんな上品なホールで、暗闇の中でじっと座って、こんな過激な電子音楽に聴き入っているのは凄い状況だ。こんな光景が当たり前になるくらい現音のコンサートが増えてほしいもの。
終演後の拍手は三日間の中で最も大きく、長かった。若い非クラシック系の客層のせいもあって、ほとんどバンドのライブ後みたいな盛り上がり。クラシックの世界ではいまいち待遇の悪い「コンタクテ」のようなバリバリの前衛も(前衛といっても、もう半世紀近く前の作品なのだが…)、聴くべき観客が聴けばこれだけ喝采されるのだ。

Karlheinz Stockhausen @ 天王洲 ART SPHERE

Karlheinz Stockhausen, Suzanne Stephens, Kathinka Pasveer, Hubert Mayer, Marco Blaauw, Antonio Perez Abellan
2005/06/24
天王洲 ART SPHERE

仕事をギリギリに切り上げ新幹線に飛び乗り、開演直前に何とか会場に到着。もともと時間にルーズな性格だが、今回ばかりはダメかと思った。クロークで荷物を預けて席へ急ぐ。場内はほぼ満員で、その客席中央に設えられたコンソール席に御大が鎮座している。なんといっても客が若い。バンドもののTシャツを着た奴や、レコ屋のビニール袋を下げた奴までおり、明らかにクラシックのルートじゃない客層が目立つ(自分を含む)。
そうこうしているうちに「リヒト・ビルダー」開演。モンドSF映画にでも登場しそうなオレンジ、緑、紫、青緑の奇天烈な衣装に身を包んだ4人の演奏者が登場。楽器はフルート、トランペット、バセットホルン、そしてテノール。舞台袖のカーテンの隙間にシンセ担当の演奏者もいる。楽器にはマイクが付けられ、これをシンセ担当者がリング変調していたのだと思う。Stockhausenはたまにコンソールをちょっと触るくらいだったらしい。それぞれの曜日にパート分けされた楽曲は音の響きを重視した印象で調性や展開の中心もなく、断片的に漂う感じ。単語の羅列に導かれて緻密な演奏(特殊奏法や舌打ちなども)が身振りを伴って演じられる。それら楽器音にひっそりと寄り添う電子音は、とても控えめでありながら絶妙に良い。分かり易い刺激がある訳ではないけど、ぼんやり眺めていると心地よい。40分もある譜面を暗記し演奏し切った演奏者のスキルには脱帽。
休憩を挟むということで、ロビーにて茶を飲む。席に戻るとステージ上には一つのライトが正面の壁に投影され、小さな白い円を形作っている。ステージ上には何もなし。シュトックハウゼンはコンソール席でサウンドプロジェクションを行う。いわゆる電子音楽のテープ上演のスタイル。
そのまま照明が落ちてスタート(ちなみに照明もStockhausenが操作)。場内は暗闇となり、舞台の壁のライトに意識を向けるか、目を閉じるかしかない。変調された少年の声と電子音の「少年の歌」。変調された音源と電子音と打撃音が攻撃的な「テレムジーク」。大音量でちゃんとした設備で聴くと、ホールの響きもあって、当たり前なんだけど結構印象が違う。新鮮な驚きというよりも、再発見があったと言うべきか。この前衛華やかなりし時代の尖った空気にうっとりする。それに比較すると、やっぱり近年の曲は丸くなったと思えた。終演後も拍手は鳴り止まず、Stockhausenは何度も壇上に上がり観客に応えていた。