一柳慧, 横尾忠則 – 一柳慧作曲 オペラ横尾忠則を歌う


(BRIDGE/CD×4)

60年代という時代が産み落とした怪盤がとうとう再発。現代音楽家一柳慧とイラストレーター横尾忠則の若き日の共闘。異様に豪華なボックスに収まるCD4枚と大量の特典である(オリジナルはLP2枚)。
DISC1はまず子守唄と揺らめく電子音のなか浮かび上がる軍歌コラージュと、女風呂における湿気がこちらまで伝わってきそうな横尾と一柳による歌唱レッスンのドキュメント。当時風に言うならレコード盤上におけるハプニングか。DISC2は全編内田裕也&フラワーズのへヴィーサイケデリックロック。これが極めて格好良い。同時期のクラウトロックなど軽く凌駕する凄まじい内容であり、フリーキーなセッションから延々とリズムが刻まれ、その上をギターがうねる極上のサイケである。DISC3の1曲目も同じく内田裕也&フラワーズ。その後は講談とCMソングの奇天烈コラージュと、鐘の音などによる重厚なコンクレートが続く。DISC4はまず不明瞭な戦時下放送、歌謡、店舗への呼び込みの声などのコラージュから始まる。続いて片田舎の自然音フィールドレコーディングとラジオのチューニングノイズがまとわりつく「白鳥の湖」。そして全ての混沌は高倉健の歌う「横尾忠則讃歌」に収斂される…。
「テープコラージュ&サイケなロック&歌謡」とくれば本作(69年)の2年後に姿を現すFAUSTの「Faust」(71年)が連想される。しかし本作の一見奇天烈な音世界の奥底にはアカデミズムの厳格さが潜んでいる。フリークアウトな廃校生活から生み出されたFAUSTの拳骨とは全く別種。FAUSTのサウンドがフリークアウトな彼らの日常と直結していたのに対し、こちらはサイケデリックでありながらも醒めた視線を常に併せ持っている。一柳によるミュージックコンクレートの手捌きは音源の強烈な印象とは裏腹に緻密で計画的かつ執拗。毒気の強い60年代アングラ文化の濃縮された空気にやられ、クラクラしながら愉快な気分になっていても、常に誰かに醒めた視線で見つめられているような奇妙な感覚である。
60年代アングラ文化の担い手たちの多くは、そういえば結構なインテリでもあった。一柳にはアカデミックな世界では出来ないような奇天烈な作品を、異なるフィールドの作家とともに作りたいという欲求があったのかもしれない。そして横尾忠則という相棒を得ることでこの国宝級作品は生まれた。ブックレットにも収録された一柳&横尾対談の支離滅裂ぶりも爽快である(同じく収録された近年の対談とのギャップがまた凄い)。本作といい「クロストーク・インターメディア」といい大阪万博といい、このような前衛精神が社会的有効性を伴っていた熱気ある60年代が羨ましい。

Karlheinz Stockhausen – Kontakte


(Wergo/CD)

国内においての、シュトックハウゼンに対する言いがかり的誤解も解けた気のする昨今。この「Kontakte」は余りに有名なシュトックハウゼンの代表作であり、電子音とピアノと打楽器のための作品である。しかもWERGO盤はチュードアがピアノを演奏しているとあって、現代音楽のドリームチーム的な組み合わせとなっている。断続的に噴出し、唸る電子音だけでも異様な聴取体験をもたらすというのに、そこへチュードアの氷のように鋭利なピアノが接触する。総音列主義によって無機的な抽象音と化した器楽音は、元来抽象そのものである電子音と衝突し、緊張状態の中で複雑に絡み合う。電子音の音色の点からみても、当時のサイケにおける電子音使用、あるいは後世のテクノに与えた影響は計り知れない。
初期の電子音楽におけるシュトックハウゼンの試みは、その当時の技術のシンプルさと極端さ故に、結果としてノイズミュージックに近似していた。なぜならノイズミュージックは「方法」の誤用という重要な相を持ち、それは常に定型的な「方法」へのノイズ性として立ち表れる。そして音楽の歴史を顧みる時、「Kontakte」における技術のシンプルさと極端さは、その後の電子音楽の技術発展に対する異物として屹立し、結果的にノイズミュージックに近似する。奔放に爆発し拡散する電子音を、垂れ流し系ハーシュノイズと重ねて受け止めてみることも充分可能である。

CONSUMER ELECTRONICS – Box


(RRR/LP×3)

ティーンエイジャーのノイズといえば、まずはこれであろうCONSUMER ELECTRONICS。RRRよりの過去作品集大成、三枚組LPボックス。一枚目にはPhilip Best本人のカセットレーベルであったIPHARからの「Consumer Electronics」(IPHAR 01番)を、二枚目にも同じくIPHARの「LEATHERSEX」(IPHAR 04番)を収録。無機質なパルスと切り裂くようなチューニングノイズが淡々と堆積される、まさにチープな壊れた電化製品さながらのゴミのような雑音が満載。82年という時期ながら、後の日本産ノイズを先取りする様なピュアノイズである。そして三枚目、A面にはロンドンでのライブ(1982/6/12)を、B面にはBestが通っていたであろう中学校(Nailsea School)での学園祭ライブ(1982/10/21)を収録(レーベル不明のテープ作品「PUBLIC ATTACK 3」から抜粋)。6/12の音源は説得力ある催眠的持続音ハーシュ、10/21の音源は集大成ボックスのラストに相応しいパワーエレクトロニクスである。特に10/21の音源ではようやくアジテーションがノイズに導入されるに至り、狂奔するエレクトロニクスに地声で対峙するBestの若き日の姿を確認することが出来る。
彼がWHITEHOUSEに加わったばかりの頃の写真を見ると、スキンヘッドに細い体躯、鋭い眼光から、10代特有の真摯な鋭さをひしひしと感じ取ることが出来る。この鋭さとは少年にしか持ち得ない特権であり、曇りのないナイフのように穢れのない鋭い光を放ち、その刺々しい衝動を外界へと向ける。中にはその衝動を犯罪行為に結びつける者もいよう。しかしこれは10代の少年少女なら誰しもが心の奥に秘める衝動であり、一部の人間のみの心のセラピーの話ではないと感じる。世間一般でロックやパンクが少年少女に聴かれるのは、このような内的衝動の音楽による昇華である。そしてその衝動がノイズという形式のアウトプットを得た時、それは余りに美しい雑音として立ち現れる。ティーンエイジャーのノイズは美しい。終演後の生徒らの歓声は、Bestの晒した内的衝動への、等身大の共感の現れであることに疑いはない。

SICKNESS, SLOGUN – American Violence


(Ninth Circle Music, Circle of Shit/CDR×2)

来日ツアー記念、メタルボックス入り2枚組CDR。ステッカーやバッジも多数封入。このサービス精神の過剰さとこだわりは嬉しい。Disc1は各ユニットの音源であり、SICKNESSはバキバキのカットアップハーシュ、SLOGUNは吹き荒れるノイズの中で、エコーがかけられた力強いアジテーションが響くという各々のスタイルを手堅く提示する。
しかし、この作品の目玉はDisc2のライブ音源であろう。私が大きな衝撃を受けた2003年の京都でのライブである。あの日のライブは音楽以上に異質な空気を纏っていたと感じられ、個人的に忘れられぬものであったのだが、彼らにとってもベストなライブであったということだろうか。ライン録音のようであり、会場の音は入っていない。また、各ユニットともにイントロとしてSEを事後的に加えている。

SICKNESS/Chris Goudreauのトラックは犯罪報道のナレーションらしきものを導入に用い、攻撃的に責め立てるカットアップハーシュへと雪崩れ込む。一方SLOGUN/John Balistreriのトラックは催眠的なノイズを導入として用いてライブへとつなぐ(ライブ時の冒頭の挨拶はカット)。唐突にジェット機の発する爆音のようなトランスハーシュがスタートし、ジョンは過剰なエフェクトを使用せず地声で怒鳴りつけ、アジる。このSLOGUNのライブには途中からChris Goudreauもアジに加わる(前方で観ていたので、眼前で指をさされて怒鳴られた)のだが、こうして録音されたものを聴きなおすと、初期衝動のみでやっていたのかと思いきや、意外とコンビネーションを考えてアジっていたのだなと感心する。またバックの直線的ノイズもアジに合わせて頻繁に変化を見せており、全く飽きさせない。