帝都殲滅 @ 高円寺 20000V

Genocide Organ, Death Pact International, Arakatsuma, Mothra
2007/6/23
Genocide Organ, Operation Cleansweep+Tho-So-Aa, Jack or Jive, Erehwon
2007/6/64
高円寺 20000V

Genocide Organのファイナルライブが「帝都殲滅」として開催された。初日が激しい攻撃的なスタイルにて、二日目が不穏かつ重厚なスタイルにてまとめあげられており、構成意図も明確で納得させられた。まずは日本側出演者についてまとめて述べたい。

Mothra:
初日一組目はベース&ヴォイス、エレクトロニクス、ドラム、メタルパーカッションによる工業的インダストリアルバンド、Mothraがフロントアクトを務めた。雷鳴のような打撃音と無骨な駆動音めいた演奏は、錆び付いた機械が発する工業音のようでもあり、祝祭のようでもあった。バンドらしさがどこか希薄なところも良い。

Arakatsuma:
そして初日二組目。Noiseuse+Montage+Government Alphaの三者によるインダストリアルかつハーシュなノイズユニットであるArakatsumaは、三者のスタイルから想像出来るように重い駆動音と高音圧ハーシュを、微かなシンセの旋律と引用音源をともないながら吐き出す。基本的に三者とも机上のエレクトロニクス類を操作するのだが、Government Alphaは途中からマイクを手に、ひたすら刺々しいアジテーションに徹する。一辺倒なハーシュではない、マーシャル系インダストリアルを追求する姿勢が感じられた。この抑圧された空気は見事であった。

Erehwon:
二日一組目は石川雷太と昼間光城による、メタルジャンクノイズ・ユニット、Erehwonがフロントアクトを務めた。ステージ上には大量の鉄板やメタルジャンク類。まるで工事現場のようである。そのサウンドは過剰な金属系ハーシュノイズが高密度で、巨大工場の中枢部における騒音のように性急に放出されるというものであり、容易に非人間的な工業化社会を想起させるものであった。石川雷太は現代美術家としても知られるが、これも美術の仕事における社会的イメージ使用の延長線上にあるものであったと言える。背後には映像も投影されていた。

Jack or Jive:
そして二日二組目。ようやく観ることの叶ったJOJのステージ。彼女らは日本においてダイレクトに欧州インダストリアル〜ネオフォーク勢に連なることのできる希有なユニットである。そのライブは、まずは君が代の引用にて幕を開ける。そのサウンドは作り込まれた打ち込みバックトラックに女性ヴォーカルが加わるというもの。どこの国の言葉でもない、抽象化されたものである。引用音源も多々使用されていた。前方にて幽玄な衣装を身に纏って歌うChako氏の姿が、宗教儀式めいていて印象的だった。そして後方では服部氏が要所要所にてスタンディングでシンバルを打つ。JOJはWhite Rabbit Recordsからリリースもあることから、今回のGenocide Organとの共演が実現されたのだと思われるが、これほど本邦の音楽でGenocide Organに通じるものを持った音楽もあるまい。Genocide OrganとJOJ、音楽形式は全く違えど、現代社会の不合理に対する毅然たる否定の姿勢を保持するといった点において、両者は共通性を持っていると思えた。

Death Pact International:
初日三組目は、過去にはKapotte Muziek/GoemことFrans De Waard、Grey Wolvesも関わった文化的テロ共同体、Death Pact Internationalである。今回はO.C.(前回は二名のメンバーでの来日であったが、今回は一名のみで来日)がエレクトロニクス類を後方にて担当し、前方でTho-So-AaことLutz Rachがアジテーションを担当するという編成によって構成された。そのサウンドは腐敗したノイズを貫通する、鋭利な駆動音によるパワーエレクトロニクスであった。薄暗いステージ上にて憎悪と衝動を焚き付けるようなノイズがまき散らされる。この現代社会のモラルに打撃を与えながら疫病のように感染する文化的テロ共同体は、固定的なグループを構成せず、誰もがDPIの旗のもとに参じることが認められる。そして当名義での著作権は解放されており、DPIのマテリアルをウイルスのように増殖させ、DPIとして活動することが推奨されている。かつてのメールアートの戦略を援用しながら、匿名性の中で拡散を促そうとする戦略は興味深い。今後もいたるところでDPIの顕現は姿を現し、記録物を残し、そして再び群衆に紛れ込む。

Operation Cleansweep+Tho-So-Aa:
初日と同編成ながら、二日三組目はOperation Cleansweep+Tho-So-Aa名義でのライブである。昨日と同じくO.Cがエレクトロニクス類を後方にて担当し、前方でLutzがアジテーションを担当する。そのサウンドは作り込まれたバックトラックによる、O.Cのパワーエレクトロニクス的な部分にTo-So-Aaのダークアンビエント的な部分が掛け合わされたものであった。背後では映像のプロジェクションも行われ、水中に沈む女性などの断片的イメージが、重厚なサウンドと重ね合わされる。重々しい空気のなか、へヴィーエレクトロニクスにより、聴衆を圧殺するかのようにジワジワとライブは進行する。ラストではO.Cの前回ライブではオープニングとして使用されたトラックが飛び出して終了。

Genocide Organ:
社会全体との政治的闘争を音楽という領域にて行うということ。それは子供めいたパンクにおける政治的挑発とは全く違う意味を持つ。今回の編成はKlaus Hilger、Michael Rief、Joachim Kohlの三名ともがエレクトロニクスを操作するが、KlausとMichaelはアジテーションも担当する。(加えてKlausはベースも使用。また二日目にはKlausとMichaelはメタルジャンク類も使用。)渡航時に不測のトラブルに遭い、一部機材等を日本国内で調達する状態であったと伝え聞くが、ライブ自体はそんなことは微塵も感じさせぬ完成度と存在感であった。背後に投影される映像は、クラシック映画のファウンドフッテージや、国連旗を踏みにじる映像や、ゲリラ戦の戦時下映像、南軍旗を掲げたデモ行進の映像等の各種報道からの引用、そしてグロテスクな拷問映像など、我々のモラルを揺るがせ、撹拌するようなイメージの洪水であった。

初日はGenocide Organの激しい攻撃的側面が強調されたようなライブであり、初期の楽曲も多く演奏されていた。初期EGのような腐敗しながらも脈動するへヴィーエレクトロニクスに、それを高速で貫通するアナログノイズ、そしてアジテーション。終盤ではKlausが書物を読み上げて破り散らすパフォーマンスも見せた。腕を高く掲げながら発される、その強い意志に満ちた叫びは、怠惰の日常に耽溺する我々の意志を揺すり起こす。二日目はより重厚なインダストリアルとしての側面を強調し、徹底して不穏な空気を撒き散らしていた。特に持続ノイズのなかドラム缶、鉄板といったメタルジャンクを摩擦し打撃するパートなどは、まるで我々の脳漿に鼓膜を通して腐敗が染込んでくるような感覚であった。

Genocide Organは自らの政治的信念、行動手段を公に開示しない。彼らが作品において提示するメッセージ/イメージは歴史修正主義を呼び起こすような政治的隠喩を含んだものである。しかし、彼らの政治的スタンスはレイシズム、エスノセントリズムから発したものではないはずだ。かつてのノイズ・インダストリアルはネガティブな「反社会的イメージ=ノイズ」を積極的に使用することで、聴取者の社会的モラル/固定化された価値観を揺るがすことを目論んだといえる(それは露悪趣味を呼び込む恐れもあるが)。そのようなノイズ・インダストリアルがいわば効果のレベルで使用していた反社会的イメージは、政治的パワーエレクトロニクス勢において若干の変貌を見せている。かつてのノイズ・インダストリアルは聴取者の社会的モラル/固定化された価値観を撹拌はするが、その撹拌の後に引き起こされる事態までは明確に意図化/目的化してはいない。それに対してその後の政治的パワーエレクトロニクス勢は、極端な政治的イメージの使用により政治的批判/論争を引き起こしながら、聴取者個人個人の政治的スタンスを相対的に浮かび上がらせようとする。

どのような政治的スタンスを聴取者が持つかについて、Genocide Organは各個人による自由選択の余地を残す。そしてGenocide Organ自身の政治的主張については沈黙を守る。聴取者が結果としてどのような行動に向かおうと、それは個人の意志と信念の問題である。むしろGenocide Organの真意とは聴取者個人の自由意志を明確化させ、その意志に依拠した闘争の場へと向かう契機を、聴取者へと付与することにあるのではないか。ここから先、どうするかは聴取者の意志の領域である。

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