牧野貴 – No is E


(Film→Video, 23min, 2006)

私は近頃、芸術の本質とは五感の快/不快や、メッセージ性によって左右されるようなものではなく、その事柄に出会った際に体験される経験そのものであるとの思いを強めております。私は最前列で「No is E」を拝見しましたが、粒子のきらめきが視覚を通して経験されるのを感じ取り、そこに充実感と高揚感を覚えました。一見するとブラッケージ的な、現実のイメージをもとにした抽象映画に近いものと解釈されかねない作品ですが、むしろ私はジェイムス・ベニングの映画に近いものを感じます。大仰な展開を極力排除したうえで、フィルムに撮られた一つの光景が、それ自体が一つの経験をもたらすものとして現実から断ち切られ、眼前に提示される。そこでは「見ることそれ自体の豊かさ、そこで得られるはずの経験の可能性」としての映像が、体験されるべき事柄として観客の前に晒される。消極的な観客にとっては退屈な時間であっても、積極的な観客にとってこれは新たな経験の契機となります。

上記は私が作家へ送った私信に加筆したものである。フィックスで撮影される水面の光の乱反射は、ストイックな手法により多重化される。これは断じて安直に抽象を指向した作品ではない。牧野貴の作品は、イメージそれ自体を媒介として、観た者の内において経験とともに生成されるものである。この作品は作家の内面の表現でもなく、自律した外界の提示でもない。ここで作品は作品となる境界線上で、生成されるか霧散するかの状態で揺らめく光そのものとなる。それは極めてシンプルで、その反面極めて混沌としたものである。本作品の音楽はジム・オルークが担当している。

Advertisements