jellyfish vol.16@名古屋 TOKUZO

Merzbow, Nice View, 夢中夢
2008/10/12
名古屋 TOKUZO

近年、メルツバウは日本のノイズシーンから距離を置くようになった気がするのだが、本日のライブにおいてもメルツバウ以外のバンドはノイズではない。夢中夢はヴァイオリンとキーボード入りのクラシカルで、どことなくゴシックなイメージの女性ヴォーカルバンド。クラシカルな美しい部分と、バンド的な力強い部分が両立している。Nice Viewはテクニカルなハードコアで、破天荒ながらがっちりと決めてくる。どちらも個性がはっきりしており、初見ながら非常に楽しめた。

Merzbow:
このところ続けてメルツバウを観る機会に恵まれたので、大体現在のメルツバウのスタイルが理解できた。セッティングは前回と同じくノートPCが2台と、スプリングを張った手製の発音器具、およびエフェクター類。今回のライブはPCから送出されるループが明確かつ多様であった。まずは序盤。ミニマルテクノのような単調なループから始まり、発音器具とエフェクターによる空間を埋め尽くすようなハーシュノイズがそのうえで暴れ回る。そして次に複雑な跳ねるようなループに移行するのだが、このあたりの高音ノイズとリズムの掛け合せは、どことなくプリミティヴブラックメタルを思わせる。その後しばらくは、ノートPCからのループが奇怪な音のテクスチュアとして機能するようになり、リズミックな展開は控えめになる。前回との違いとしては秋田が発音器具を鳴らす手を止め、座ってノートPCを操作する場面があり、そこではデジタル環境導入直後に観たメルツバウのような激しい音色の変化が垣間見られた。終盤ではEGのような荒々しく駆動する錆び付いたインダストリアルなループが登場し、そのうえでハーシュノイズが捩じれてゆく。一時間ほど演奏して終了。前回より変化が多く、リズミックな素晴らしいライブであった。
ちなみに会場は満席であったが、観客各人目当てのバンドは異なるものと思われる。このような状況を進んで受け入れ、ノイズという狭義のカテゴリーに属さない観客にむけて、徹底したハーシュノイズを聴かせる。このメルツバウのスタンスには一定の理解を示すことができる。しかし一方で、このスタンスがノイズ全体に対する諦観からくるものではないことを願っている。

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坂田明&ちかもらち、ジム・オルークと恐山/内乱の内覧 2008@名古屋 TOKUZO

坂田明, Jim O’Rourke, Darin Gray, Chiris Corsano
2008/10/6
名古屋 TOKUZO

坂田明(As,Cl,Voice)、ジム・オルーク(G)、ダーリン・グレイ(B)、クリス・コルサーノ(Ds)という編成でのライブである。坂田明&ちかもらちと恐山が一緒になったということか。観てみてまず思ったのが、ダーリン・グレイが激しく聴かせるというより小物を使って工夫で聴かせるタイプのドラマーであり、それに対してクリス・コルサーノが、ちゃんとしたベースプレイに徹するタイプのベーシストであったということ。そして坂田明のユーモラスな、そして勢いと伸びのあるプレイにはやはり安定感がある。また坂田はヴォイスや地歌も織り交ぜて、伝統的な日本文化のパロディ的要素も取り入れる(特にグレイと二人で並んで鈴をチリンチリンと鳴らしていた静かなパートなどには、お化け屋敷のようなある種のユーモアが感じられた)。一方のオルークは、反則的な奏法によるノイズギターを演奏した。

開演して、まずは四人での集団即興。ここはまあまあフリージャズであったと思うのだが、次の静かな即興演奏になったあたりから、だんだんフリージャズではなくなってゆく。オルークの点描的なギターをエフェクターでループさせ、その上で皆が点描的な演奏をするパートや、坂田の演奏のバックで、残る三人がそれぞれの楽器を弓で弾くパートが面白い。そして坂田が手を止め、残り三人での即興パートになると、演奏はフリーロック的な怒濤の集団即興になる。やがて演奏が進み、坂田が叫んだり呻いたり、地歌を歌いだしたりしたあたりから、演奏はますます奇怪な世界へと突入してゆく。オルークのロックギタリストのようなやたらと熱い演奏や、オルークとグレイの楽器パートの交換や、ドラムを解体(片付け?)しながら演奏するコルサーノなど。

こういう逸脱した、笑いながら狂ってゆくような世界へ突入しながらも、ユーモアと演奏力ですべてまとめてしまう坂田の存在感(あるいはキャラクター性)がとても大きく感じられたライブだった。オルークの演奏も一人の即興演奏家としてみるのならば、充分楽しませてもらった。

「新日曜美術館」で横浜トリエンナーレ2008

「新日曜美術館」
10月5日(日)
NHK教育 9:00~10:00 (再放送)20:00~21:00

始まって、まずはスロビング・グリストルという表記に新鮮な感覚を受けた(笑)。やはりマシュー・バーニー、ヘルマン・ニッチのグロ系列作品は見事にスルーされたようである。観に行った時に行列で観られなかった勅使河原三郎のパフォーマンス映像を(少しだけだが)見られたのはよかった。そして中谷さんの霧の彫刻も大きく取り上げられていた(大阪万博のペプシ館の記録映像も初めて見た)。内藤礼の揺らめく糸の作品といい、(番組では取り上げられなかったけど)キャメロン・ジェイミーといい、三渓園は面白かったなと思い返す。あと、やっぱりと言うかミランダ・ジュライのセカイ系(?)作品も取り上げられていた。

追記:
と思ったら、ネットでキャメロン・ジェイミーがトリエンナーレ出品を取りやめたと知る。観客は一人、もしくは二人で、真っ暗なお寺のなかにランタンを持って入り、内部を探索してゆくなかで、流木による偶像と不気味な絵を発見し、最後にあるものとの対面することで、文化的制度の構造に直面する(かもしれない)という素晴らしい作品であったのだが、勿体ない。

Jim O’Rourke – Despite The Water Supply


(Touch/7EP)

ジム・オルークの新作がリリースされた。それは2008年5月の録音であり、初期の仕事に立ち戻ったかのようなオルガンや弦楽器によるドローン作品であった。ここで聴かれる軋み合いながら縺れ合う音の感触はとても素晴らしい。このところオルークの作品といえば、フリーインプロや発掘音源ばかりであったので(武満徹の「コロナ」は別とする)、新作として再びミニマリズムとしてのドローンに取り組んだことには嬉しい驚きを感じた。私の聴きたかったオルークの音楽とは、まさにこのような音楽だ。
本作には映像作家である牧野貴への謝辞が記されている。思えば牧野のフィルムにつけられたオルークのサウンドトラックは、どれもオルークの初期の仕事を思わせる実験的な内容であった(もしかしたら本作もその過程で生まれたものであるのかもしれない)。私は二人の共同作業のなかで、牧野のフィルムがオルークのスタンスに何らかの影響を与えたのではないかと思っている。
私は全てがやり尽くされ前衛が消え去ったあとの音楽の世界で何が出来るのかを、オルークの音楽を通して確認してみたいと思い続けている。冷笑的な態度で過去の音楽のパロディに走るのでもなく。既成の音楽形式に乗っかって「日常のかけがえなさ」に逃避するのでもなく。多様性の陳列に安定を求めるのでもなく。進歩史観としてのモダニズムに逆行するのでもなく。過去の音楽における実験をたどり直しながら、そこに今日的な変化の可能性を見出すことは可能なのかを。
なお、このTouchの7インチシリーズは、デジタル環境が一般化した今の時代において、敢えて7インチの固有性を問い直すことをコンセプトとしている。音楽の内容も非デジタル環境における制作ということで足並みが揃えられている。音のテクスチャー、溝、レコードをかけるという行為、カバー…7インチとは7インチに固有の経験をリスナーに与えることができるメディアだ。RPMもレーベル側からは自由に調整することが推奨されている。

ブロッツマン/八木/ニルセン・ラヴ 〜スピリット&パワー 2008 @ 名古屋 TOKUZO

Peter Brötzmann, Paal Nilssen-Love, 八木美知依
2008/9/30
名古屋 TOKUZO

これで観るのは多分三回目となるペーター・ブロッツマンのライブ。ポール・ニルセン=ラヴ、ペーター・ブロッツマン、八木美知依によるトリオでの演奏。
このトリオでの演奏を観るのは初めてなのだが、ブロッツマンはやはり力強く生々しい演奏であった(ただ、若干元気がなかったが…後述する)。そしてポール・ニルセン=ラヴのドラムも、ブロッツマンの演奏によく似合っていた。彼の細かく破裂するように繰り出されるパルスがブロッツマンのサックスを呼び込む。そのままブロッツマンのテンションをどんどん引き上げながら、ブロッツマンの演奏を軸として手数の多いドラムが表現力豊かに叩かれる。ブロッツマンのサックスが直線的であるとすれば、ニルセン=ラヴのドラムは浮沈が激しく、しかも鋭く速い。(ニルセン=ラヴはJAZKAMERのLasse Marhaugとの作品もあるらしく、その演奏はノイズとの親和性もあるように思えた。)そして八木美知依の箏の演奏も素晴らしく、箏という楽器の表現力の豊かさに驚かされた。八木は様々な方法で箏を演奏するため、音の表情が半端なく豊かであった。その音は時としてベースのようであったり、ピアノのようでもあったりもする。ニルセン=ラヴもいろいろと工夫して奇妙な音色をドラムで出すので、ブロッツマンが休んで、ニルセン=ラヴと八木が掛け合いを展開するパートはとても面白かった。
そして演奏は進み、終盤のあたりで、ブロッツマンとニルセン=ラヴが演奏中に何かを耳打ちする。このあたりでどうもブロッツマンの仕草に苛立ちというか、焦燥のような感情が見て取れた。そのままニルセン=ラヴと八木の掛け合いが激しくなったところへ、ブロッツマンがサックスで切り込み、力づくで押し切る。この時のブロッツマンの演奏には先が分からないような勢い、緊張感があった。こういう、生の感情が剥き出しになるような瞬間は嫌いではない。
ここで最初のステージは終わり。凄かったと思っていると、しばらくしてアナウンスがなされた。残念なことにブロッツマンの肺の具合が良くないので、休憩後のステージは中止するとの内容。体調が悪かったと聞いて、あの終盤の演奏の生々しさに合点がいった。楽器の片付けをするブロッツマンは、やはり元気がないように見え、少しいたたまれない気分になった。フリージャズは身を削るような音楽だが、体は大事にしてほしい。