『Lords of Chaos/ブラックメタルの血塗られた歴史』について

多くの場合、日本におけるブラックメタルの受容は表面的なものであり、それは結局のところ音楽としての受容であったといえるだろう。一般的なメタルリスナーにしてみれば、それでも問題は全くなかったといえる。(EmperorとBurzumの日本盤発売なんて、もう10年以上も昔の話だ。その頃の私は、当時好きだったプログレとデスメタルが重なり合ったような音楽としてブラックメタルを聴いていた。)
当時からブラックメタルに付随するサタニズムの要素は、ほとんど宣伝文句の域を出ないようなものとして取り扱われていた。「この人たちは悪魔崇拝してます、教会燃やしています、ヤバいです」というような言説は、音楽に添え物のように付随する分には、ほどよく危うい雰囲気を漂わせて宣伝文句としていい案配だったのだろう。ブラックメタルへの理解は、ほとんどの場合において表面的なものに過ぎなかった。
本書はそのようなブラックメタルへの表層的な理解を越え、この特異なサブカルチャーに対する歴史的・社会的把握を促す。そして、ある意味においてその危険性を理解する契機となる。原書の初版は98年であり、それは欧米でのNSBMの隆盛を予言するかのようなタイミングであったと言える。NSBMとはNational Socialist Black Metalの略称であり、国家社会主義/民族主義を掲げるブラックメタルを指す。パンクにおけるそれの、ブラックメタルにおける表出と理解していいだろう。そして、これはナチズムと関連する。
続きます。

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恵比寿映像祭

『恵比寿映像祭』と命名された企画展が、2/20より写真美術館にて開催される。まだ詳細は明らかではないが、ブルース・コナー、クリス・バーデン、ダン・グレアムと、かなり興味深い作家らが出品している。「映像」という言葉を曖昧なままに把握しようとする、このような領域横断的な映像企画展は国内では珍しい。その意図はよく分かるので大いに期待している。
http://www.yebizo.com/

この企画展の公式サイト上の「映像をめぐる言葉」のなかでアンケートに答えました。
些末なことですが、制作から手を引いて作品・作家研究/歴史研究へと移行した人間なので、プロフィールが何だか羞恥プレイ的で気恥ずかしい。出来れば変えてほしいのですが…。

Down In June – Covers… Death In June


(Neros/CD)

Down in Juneはスウェーデンのグループであり、男女三名のメンバーからなる。Down in Juneという名の通り、ここにおさめられた楽曲は、そのほとんどがDeath in Juneのカヴァーである(両者の共作も収録されている)。リリースはDeath in June絡みのNERアメリカ支部Nerosより。
本作では原曲は解体され、見事に新しい楽曲として生まれ変わっている。男女のヴォーカリストを擁していること、よりポップなアレンジを加えていることなどが、結果的に原曲の持っている普遍的なトラッドのようなメロディの良さを、明るい方向へと開花させている。どれもこれも面白い解釈が行われているのだが、私個人は「Kameradschaft」のカヴァーが特に良いと思えた。か細いギターの爪弾きに弱々しいヴォーカル、そこから広がりを持たせたパートへと、ゆっくりと展開してゆく。例えるならば4AD系列の女性ヴォーカルのグループによく似ている。
それにしてもDown in Juneのスタンスは独特だ。このスタンスは一見してカヴァーバンドのそれである(まるでZEPのカヴァーバンドのように)。しかし、彼らは単なるファン意識に立脚したカヴァーバンドではない。彼らの解釈が余りに強いのだ。しかもDown in Juneとしての固有性を出すことはDown in June自身を輝かせるとともに、Death in Juneの象徴性をも輝かせる。この関係から、もはやDown in JuneはDeath in Juneのアバターである、ということが出来るだろう。