「 We Stood Our Ground: Slaughterhouse, Berlin 05.05.2007」を観る

スウェーデンのこの辺りのユニットが、どのような形態でライブを行うのかを知りたいと思って購入してみたのだが、余りの熱い内容に興奮する。2007年、ドイツでのライブである。Ochu、Regim、Moljebka Pvlse、Treriksroset+Sewer Election、IRMという順で、ライブは進行する。
メタルジャンクを片手に上半身裸で吠える、Regimの精悍なパワーエレクトロニクス。Treriksroset+Sewer Electionによる轟々たるハーシュ。そして二人のメンバーが、ベースとアジテーションをそれぞれ担当するIRMが特に素晴らしい(もう一人のメンバー見当たらないのだが…)。IRMは、私が所持しているCMIの盤よりもライブの方が断然面白い。重低音ドローンにパワーエレクトロニクスが掛け合わされ、ドローンに麻痺した耳に、高音域ノイズとアジが突き刺さってくる。

追記:IRMには現在、元Katatoniaのメンバーが加わっているらしい。これはなかなか面白い人脈だ。

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Silmaril – The Voyage of Icarus


(Locust music/CD)

キリスト教徒の若者らの集まりの中で結成されたフォークグループ、と聞くと単なるホーリーな雰囲気のフォークを思い浮かべるかもしれないが、このSilmarilの(というよりリーダーであったMatthew Peregrineの)精神の遍歴はもっと複雑なものであったかもしれない。Peregrineはキリスト教徒であり、同性愛者であった。Silmarilの音楽において、彼はどこか神秘主義的な暗い世界観へと足を踏み入れたように思える。彼は73年にグループを解散させた後、ゲイコミュニティへと移って生活し、HIV感染によって90年代に死亡している。この生き方自体、どこかバタイユ的なるものを感じさせる。宗教を介し、神秘主義的(ペンテコステ派であったらしい)なるものを経由して、その反転として蕩尽へと至るというルートが。またトールキンからとられたバンド名からも分かるように、ミドルアースの物語にも影響を受けているようだ。
その音楽はアコースティックギターを中心とした禁欲的なものであり、男女のヴォーカルが寂寥感を漂わせながら歌い上げられる。メンバーらはIncredible String Bandのカヴァーも演奏していたらしく、確かに英国トラッド&フォークに近い印象があり、とても美しく、そして暗い楽曲が並ぶ。ロック的なドロドロしたサイケ感覚は皆無である。特にシタール(?)入りの楽曲である「Vespers」が印象的だ。また、「October Road / Sleeping Magnifical」のようにミニマル風味のインストを演奏する楽曲もある。さらに終盤の展開が白眉であり「Revelation 13:11:18」はヨハネの黙示録を朗読する背後にて奇怪な電子音が響くというトラック、それに続いて「Songs of the Apocalypse」という暗示的なタイトルの楽曲で締めくくる。

Jean-Claude Eloy – Gaku-No-Michi (Les Voies De La Musique)


(Creel Pone/CDRx2)

シュトックハウゼン、ブーレーズ、プスールらに学んだというJean-Claude Eloyのミュージック・コンクレート作品。本作は1977年、1978年に日本に滞在し、NHK電子音楽スタジオにおいて制作されている。オリジナルは4時間にわたる長尺の作品であるためにLP二枚に抜粋収録されて、1979年に発表された。
一枚目は、冒頭の楽曲「東京」から、高密度に束ねられた無数のドローンノイズが、大きなダイナミズムをもって軋み蠢く。このノイズはフィールド録音の加工によるものだが、その迫力は凄まじい。大音量で聴くと、Organumをも凌ぐその豊穣なドローンノイズの束に唖然とするはずだ。二枚目は比較的静謐な楽曲が並ぶが、最後の楽曲「回想」の終盤が特筆もの。消え入りそうな弱々しさで、どこか国歌を思わせるようなシンプルなメロディの、音楽未満の音楽のかけらが靄の向こう側でこだまする(初期のジム・オルークのドローン作品に、Pita「Get Out」の例の曲を掛け合わせたような感じか)。長大な物語のような、ミュージック・コンクレートの傑作である。

『「芸術」の予言!!』!!


「芸術」の予言!! 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡

近年、「ヤバい」という言葉に回収されるような単なる趣味嗜好のレベルにおいてではなく、より直接的な現在との関係性のレベルにおいて、60年代文化の再評価が進められているような気がするのだが、とうとう60年代文化の本丸であったフィルムアート社から、68年〜74年にかけて刊行されていた『季刊フィルム』『芸術倶楽部』の記事を再編集した書籍が刊行されるらしい。素晴らしい。
しかし我々は60年代文化の再評価を、歴史の確認という意味ですませてはならないのだと思う。60年代文化を、今の文化の歴史的なルーツとしてではなく、参照点として読み替えることこそ、現在において求められてくる。大きな歴史の終わりと、記号化と拡散の時代のはじまり。その両者の狭間に存在した60年代とは大きな転形期であった。そこで付された問いとは、あらゆる既存の価値観を問い直すものであった。この強烈な問いは、現在においてこそ有効であろう。
またこのような動きは、美術手帖「創刊60年記念特大号」において完全に欠落していた(あるいは編者により隠蔽されていた)視点を明らかにする良い契機にもなると思う。
あとは第二次『映画批評』についても、どこかの出版社に総集編を刊行して欲しいと思う。第二次『映画批評』も60年代文化を考える上で、『季刊フィルム』と同じくらい重要な雑誌である。どちらも欠けてはいけない。時代の全体像を見るためには。

Synanthesia – Synanthesia


(Elegy/CD)

1969年に発表された、柔らかく夢見心地な英国アシッドフォーク。多くの英国フォークバンドが所属していたセプテンバー・プロダクション絡みだそうだ。アシッドフォークといっても、3人のメンバーが、ギターの他にもオーボエやサックス、ヴァイブラフォン、ボンゴ、ヴァイオリンといった多くの楽器を器用に奏でていて、室内楽的な上品さがある。それに加えて、プログレっぽい技巧や大胆な展開も時々織り交ぜてくる。だからといってあまりやり過ぎてもおらず、ちょうど良い案配である。基本的に少しトラッドっぽい、甘いメロディが根幹にあるので、のんびりと聴くことができる。
現実が過酷であればあるほど、こういった嘘くさいほどに平穏な音世界は際立ってくる。アシッドフォークを現実からの逃避のために聴く廃人にとって、本作は、昼下がりのうたた寝のよい伴となるはずだ。