Vital Signals 横浜巡回

Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会
芸術とテクノロジーの可能性

日本とアメリカの初期ビデオアートをめぐるプログラム「ヴァイタル・シグナル」では、1960年代から70年代にかけて、両国において映像メディアが並行して展開した注目すべき動向に焦点をあてます。この時期、ビデオアートの先駆者たちは世界中の主要な都市に彼らの試みを支えるためのコミュニティを形成しましたが、同時に国際的な文化交流に対する強い関心を抱いてもいました。ビデオというメディアの発祥地である日本は、とりわけ重要な位置を担います。60〜70年代にかけて日本とアメリカのアーティスト間では多くの交流がなされ、影響を与えあい、彼らがビデオを通じて生み出した表現には確かな同時性を見ることができます。とりわけテレビへの関与や、独立した社会批判としてのビデオの使用といった点において、思考の親近性を見てとることができるでしょう。
本プログラムは、これまで上映される機会のほとんどなかった、日本及びアメリカのビデオアート黎明期の代表作を、3つのセクションに分けて紹介し、その独創性に富んだ試み、現代の美術作品につながる先駆的な表現を、新たな技術に触発され生まれた芸術形態をめぐる諸問題と共に考察します。
*「ヴァイタル・シグナル」は、エレクトロニック・アート・インターミックス(EAI)が、横浜美術館、および日本のキュレーターや研究者たちと連携し、EAIの所蔵作品とともに、日本の初期ビデオ作品を紹介するものです。EAIは1971年にニューヨークに設立された非営利芸術機関で、ビデオアートをサポートし、配給する目的で設立されたアメリカで最初の組織の一つです。 

会期:2009年11月21日(土)/22日(日)/23日(月・祝)
会場:横浜美術館レクチャーホール
料金:1プロ 800円/1日(2プロ)1200円/3日通し(6プロ)2400円
主催:横浜美術館、Electronic Arts Intermix(EAI)
特別協力:アメリカ大使館
http://www.yaf.or.jp/yma/topics/archive/0911_vital_signals.php

———-
セクション1 
テクノロジー:新しい視覚言語
aプログラム:ビデオ言語論 10作品、約71分
シンセサイザーや画像プロセッサーなど、新技術を用いた映像や音響の創出。ビデオアート草創期、このメディアの技術的可能性を探求する様々な実験が展開する。
a-1:ナムジュン・パイク ベル研究所での電子映像実験 1966年/約5分
a-2:CTG コンピューター・ムービー No.2 1969年/約8分
a-3:ゲイリー・ヒル 電子言語学 1977年/約4分
a-4:松本俊夫 メタスタシス 新陳代謝 1971年/約8分
a-5:スタン・ヴァンダービーク ストローブ・オード 1977年/約11分
a-6:山口勝弘 イメージモデュレーター 1969年(再制作)/約1分(インスタレーションの記録映像)
a-7:山口勝弘 大井町附近 1977年/約2分(インスタレーションの記録映像)
a-8:松本俊夫 モナ・リザ 1973年/約3分
a-9:スタイナ&ウッディ・ヴァスルカ 腐蝕Ⅰ 1970年/約2分
a-10:安藤紘平 オー!マイ・マザー 1969年/約13分
         
bプログラム:拡張する形式 9作品、約78分
収録内容をその場で再生できる「リアルタイム・フィードバック」機能をはじめ、ビデオ固有のさまざまな特性が、映像制作のあり方を刷新していく。
b-1:ナムジュン・パイク (マース・カニングハム、チャールズ・アトラスとの共作) マース・バイ・マース・バイ・パイク:ブルースタジオ 1975-76年/約16分
b-2:山本圭吾 Breath No.3 1977年/約6分
b-3:ジェイムズ・バーン 半透明 1974年/約2分
b-4:飯村隆彦 カメラ、モニター、フレーム 1976年/約17分
b-5:ジョーン・ジョナス 左側 右側 1972年/約9分
b-6:飯村隆彦 オブザーバー/オブザーブド 1975-76年/約9分(抜粋)
b-7:飯村隆彦 男と女 1971年/約7分
b-8:ジェイムズ・バーン 両方  1974年/約4分
b-9:山本圭吾 Hand No.2 1976年/約8分

セクション2
オルタナティヴ・メディア:コミュニケーションの変容
cプログラム:テレビの解放 8作品、約82分
当時の文化を支配していた「テレビ」。アーティストや活動家は、テレビの特性を個人的な表現に取り込んで、マスメディアや政治といった巨大な存在に対峙する。
c-1:ナムジュン・パイク&ジャド・ヤルカット コマーシャルを待ちながら 1966-72/1992年/約7分
c-2:中谷芙二子 水俣病を告発する会-テント村ビデオ日記 1971-72年/約21分
c-3:松本俊夫 マグネティック・スクランブル 1968年/約1分(映画《薔薇の葬列》からの抜粋)
c-4:デイヴィッド・コート メーデー・リアルタイム 1971年/約9分(抜粋)
c-5:ビデオアース東京 橋の下から 1974年/13分
c-6:ダラ・バーンバウム テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダーウーマン 1978-79年/約6分
c-7:クリス・バーデン TVコマーシャル 1973-77 1973-77年/2000年/約4分
c-8:TVTV あと4年(ニクソン再選運動の記録) 1972年/約23分(抜粋)

dプログラム:共有される記憶 7作品、約52分
個人の日常から歴史的事件まで、撮影者はカメラを媒介してあらゆる被写体とその場の経験を共有し、残された映像は不特定多数の人々の記憶の中に共有されていく。
d-1:久保田成子 ヨーロッパ・オン・1/2インチ・ア・デー 1972年/約9分(抜粋)
d-2:中島興 マイ・ライフ 1976~92年/約5分(2チャンネルビデオインスタレーションからの抜粋)
d-3:アント・ファーム アント・ファームの汚れた皿 1971-2003年/約9分
d-4:アラン・カプロー Hello 1969年/約5分
d-5:シャーリー・クラーク ティー・ピー・ビデオ・スペース・トループ パート1 1970-71年/約5分
d-6:中谷芙二子 老人の知恵-文化のDNA 1973年/約11分/映像提供:川崎市市民ミュージアム
d-7:ビデオインフォメーションセンター ラ・アルヘンチーナ頌 1977年/約5分(抜粋)

セクション3
パフォーマンス:行為の記録、身体の記録
eプログラム:ビデオと行為 8作品、約74分
1960年代以降、「行為」そのものを作品に取り込んでいったアーティストたち。そして彼らにとって格好のメディアであったビデオ。様々な行為の痕跡が映像に刻まれていく。
e-1:かわなかのぶひろ キック・ザ・ワールド 1974年/約15分
e-2:山口勝弘 Eat 1972年/約2分
e-3:マーサ・ロスラー キッチンの記号論 1975年/約6分
e-4:今井祝雄 ビデオ・パフォーマンス1978~1983 1978-83年/約16分
e-5:デニス・オッペンハイム アスペン・プロジェクト/圧縮-シダ(顔) 1970年/約5分
e-6:ウィリアム・ウェグマン 作品選集1 1970-72年/約8分(抜粋)
e-7:ジョン・バルデッサリ アートの作法:葉巻辞典 1973年/約6分(抜粋)
e-8:小林はくどう ラプス・コミュニケーション 1972年(1980年再制作)/約16分

fプログラム:ビデオと身体 8作品、約63分
パフォーマンスの記録に活用されたビデオ。それは単なる記録を超え、時間的・空間的・造形的な加工・操作によって、パフォーマーの身体表現を拡張・純化させていく。
f-1:ヴィト・アコンチ 粉/息 1970年/約3分
f-2:ポール・マッカーシー 黒と白のテープ 1970-75年/約5分(抜粋)
f-3:村岡三郎+河口龍夫+植松奎二 映像の映像-見ること 1973年/約13分
f-4:ジョーン・ジョナス オーガニックハニーの垂直回転 1973-99年/約15分
f-5:出光真子 おんなのさくひん 1973年/約11分
f-6:ブルース・ナウマン ピンチネック 1968年/約2分
f-7:アンテ・ボザニッチ アイ・アム・ザ・ライト 1976年/約4分
f-8:和田守弘 認知構造・表述 1975年/約10分(抜粋)

———-
上映スケジュール
21日(土)
「テクノロジー:新しい視覚言語」
15:30 aプロ ビデオ言語論
17:30 bプロ 拡張する形式

22日(日)
「オルタナティヴ・メディア:コミュニケーションの変容」
13:30 cプロ テレビの解放
15:30 dプロ 共有される記憶
17:30 レクチャー+トーク
・レクチャー:「反復のなかへ:ビデオアートと社会空間」
講師:阪本裕文(映像研究/本上映会監修者)
・トーク:「メディアは人をつなげる 初期ビデオアートの拡まり」
出演:かわなかのぶひろ、小林はくどう、阪本裕文
(※山口勝弘へのビデオインタビューも上映予定。)

23日(月・祝)
「パフォーマンス:行為の記録、身体の記録」
15:30 eプロ ビデオと行為
17:30 fプロ ビデオと身体

———-
私も共同監修として参加したVital Signalsの横浜巡回上映が、この週末に開催されます。今回の上映プログラムは完全版であり、初期ビデオアートの多様性を、複数のプログラムにて浮かび上がらせる内容となっています。22日にはレクチャー+トークイベントもあります。「ビデオひろば」の各人より、当時のお話をお聞きしたいと思います。さらに、山口勝弘さんにもビデオインタビューという形でご参加頂きました。これは当日、会場で流す予定です。
今後の国内、および海外での巡回スケジュールは以下です。今後の巡回上映は各会場の企画者のアイデアによって、さまざまな形で関連イベントが組まれていく予定です。今回の巡回については、横美の松永さんに深く感謝します。
http://www.eai.org/eai/pressreleases/2009_vs_tour_pr.html

Advertisements

2週間後 ── 「CREAM フォーラム」再考

いきなりですが参加します。明日です。

———-
2週間後「CREAM フォーラム」再考

映像祭の冒頭を飾った「CREAM フォーラム」。国内外の映像研究者やアーティストを招いた当フォーラムは、映像・メディア環境の現在について考えていく上での新たな見取り図を残してくれました。当ラウンドテーブルは、各セッションに参加した若手の研究者が集うことで、この見取り図に具体的な色彩や構造を与えていくきっかけとして、急遽企画されました。フォーラム以上にくつろいだ雰囲気のなかで、会場の皆さんと一緒に、フォーラムで得られた知見の可能性を拡げることができればと考えています。

日時:2009年11月15日(日)17:00 – 19:00
会場:新港ピア ラボスペース
料金:無料(事前申込不要)
*ただし、当日有効の映像祭入場券(当日¥1,300)が必要となります。
映像祭会期中有効のパスポート(¥2,500)もございます。

パネリスト:
阪本 裕文
星野 太
モデレーター:
光岡 寿郎
主催:SETENV
企画:SETENV+光岡 寿郎

◎星野 太(ほしの ふとし)
1983 年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程、日本学術振興会特別研究員。
専攻は美学、表象文化論。共訳書にエイドリアン・フォーティー『言葉と建 築』(鹿島出版会、2006)、論文に「感性的なものの中間休止」(『超域文化科学紀要』第13号、2008)、「表象と再現前化」(『表象』第3号、 2009)、「パトスに媒介されるイメージ」(『表象文化論研究』第8号、2009)など。
◎光岡 寿郎(みつおか としろう)
1978 年生まれ。メディア研究、ミュージアム研究。東京大学大学院/日本学術振興会特別研究員。
共訳書にエイドリアン・フォーティー『言葉と建築』(鹿島出版会 、2006)、論文に「ミュージアムコミュニケーション概念の有効性―ミュージアムとメディアの時代」(『文化資源学』第7号、2009)など。

伊藤高志映画作品集 DVDリリース

伊藤高志の作品集がDVD化されるらしい。
http://www.imageforum.co.jp/ito/index.html
http://www.imageforum.co.jp/ito/dvd.html

しかも、単なるビデオ版のDVD化ではなく、ビデオには収められなかった『スクリュー』『写真記』『写真記 87 』、過渡期の作品である『悪魔の回路図』『ミイラの夢』『ビーナス』が、そして近年の作品である『めまい』『静かな一日・完全版』までもが収録される。さらに、ダンスとのコラボである「 DOUBLE/ 分身」の記録映像や、インスタレーションの記録映像なども収録される。これならば、遥か昔、学部生時代に教わったことがあるという理由からだけではなく、内容的にも充分に買い直す必要性があるだろう。
伊藤高志は、昔、雑談のなかで『悪魔の回路図』『ミイラの夢』『ビーナス』が過渡期の作品であったと、やや否定的に評していた。しかし、私にはそれらが、前期作品における緻密な再撮による形式主義が、ほぼ洗練の極点に至った、充分に広く観られる価値のある作品群に思えていたので、今回の収録はとても嬉く思う。特に『ミイラの夢』は、その移動性と速度において新鮮な映画的経験を与えてくれる作品であり、『ビーナス』は差延的なブレを大量に孕みながらメタ空間を幾重にも構築し、延々と周回し続けるというユニークな作品である。そこには親しい他者を異物として捉え直すシュルレアリスム的視点が存在しており、それは『ビーナス』というタイトルとのズレによって決定的な違和感を観る者に残す。これらは前期作品の形式の洗練と、後期作品の日常という薄い皮膜の向こう側を凝視するシュルレアリスム的視点の狭間にある作品であると思う。
ちなみに私が伊藤高志の作品で最も気に入ってるのは『DRILL』である。

ヨコハマ国際映像祭についての素朴な感想

先週末は風邪気味の状態のまま、横浜へ10時間かけて行き、10時間かけて帰ってきた訳だが、いくつか素朴な感想を。
フォーラムについてはマノヴィッチが講演したフォーラム3について、後ほど(爆音と日仏学院ドゥボール特集についてレヴューした後で)いろいろと述べたいと思う。ひとつは北野圭介氏の講演のなかでの、実験映画の歴史に対する明白な誤謬について。
もうひとつは、マノヴィッチの統計的手法が芸術工学とか感性工学とか、その方面で散見されるタイプの研究と重なって見えて、疑問をもったことについて。
基調講演とフォーラム1については、多分別のところでレヴューします。
展示は駆け足でしか観られなかったので、改めて観に行く機会を設けたいと思うが、全体としては現代美術の領域により過ぎている気がした。それがいけないという訳ではないが、その一方で東京藝大馬車道校舎での上映プログラムが、やや魅力に欠けているように思えた。もっと現代美術寄りの劇映画や、実験映画/ビデオアートなどが取り上げられるかと想像していたのだが、上映プログラムの作品のリストを見る限り、映画・映像の歴史性や多様性に対する意識をもって編まれたプログラムではなかったのかもしれない。
(ただし正直に述べておくと、私はタイミングが合わなかったため、馬車道校舎での上映は何ひとつ観ることが出来ていない。なので、上記は全て私の偏見かもしれないことを言い添えておきたい。それにしてもタイミングが合えばいくつかは観たいと思っていたのだが、何故、土日祝日しか上映を行なわないのだろう。藝大側の都合だろうか。)
BankARTの展示は、作品内容はさておき、1Fを大きく使用したクリスチャン・マークレーの好待遇が不思議だった(そんなに重要な作品だとも思えないのだが)。お目当てであったマイケル・スノウも、数年前にイメフォで既に上映済みの「リヴィングルーム」と新作の小品のみで、良かったのだけど、どうにも物足りない。代わりにアルフレッド・ジャーのインスタレーション作品「サウンド・オブ・サイレンス」が強烈に印象深かった。これは観ることが出来て良かったと思う。

あとは、付随する大きな出来事として藤幡正樹の行動について(http://www.art-it.asia/u/ab_fujihatam/z7Vx65kGLhZrYbT2f1AM/)。公のレベルで、あるいは個人のレベルで、ディレクターとの間にどのような齟齬があったのかについては全く関心がない。そんなものは部外者には関係がない。しかし、ここから社会的な装置としてのフェスティバルの役割について、前向きな議論が行なわれるのであれば今後も注目したい。声明文を読んでも、現段階では問題点がいくつか混同されているような気がするので、このくらいのことしか言えない。

追記(2009/11/5 16:00):
この藤幡正樹の出品辞退の問題について、ディレクターである住友文彦のコメントが配信された(http://www.stickam.jp/video/179438051)。映像を観ながら、簡単にまとめてみた(下記は私のバイアスがかかっていることに注意して、出来ればリンク映像そのものを観て下さい)。

———-
・立場としては、行政の人間を含めた実行委員会から、ディレクターの業務を任命されているということ。
・今回のディレクターの業務が、キュレーションだけでなく、マネージメントにも一部関わるものであったこと。
・予算が約2億であること。5500万がキュレーションチーム(作家の制作費など)、3500万が会場施行費、9000万が事業費(これは、人件費等を除くと6500万)である。予算的には大きいものではなかったということ。
・そのために、外部の経験豊富な業者に委託するのではなく、若いスタッフ中心のアドミニストレーションになったということ。そのために経験不足な部分があったことは認める(しかし、それによるプラス面もあった)。また、展示レイアウトの変更に不具合があった部分は認める。それらの要因から、作家との間の信頼関係を結ぶことが出来なかったのであれば残念である。
・ボランティア(サポートクルー)について。市民ボランティアが参加するということは、市民と行政の捉え方において、違いがある。そのため、個人のレベルでは、それに見合った見返りを得ていないという意見もあるかと思う。
・フェスティバルは展覧会と違って、そこに広がりが求められる。よって内容的に総花的なものにならざるを得ない。しかし「いま世界では、こんな作品があるんですよ」という、啓蒙的なものにはしたくなかった。この展覧会で観客がいろいろな映像の使い方を知って、自分たちで声を上げることを期待する。それはラボスペースにおける市民の映像発信の取り組みにも現れている。
・コンセプトについて。映像はジャンルではなく道具であると考える。ジャンルであれば歴史的なコンテクストは重要視されるが、このフェスティバルでは道具(映像)をどう使うかという点を重要視している。現在、さまざまなジャンルにおいて映像は横断的に使用されている。このフェスティバルも横断性を掲げている。しかしこのフェスティバルは、多くのジャンルを並べることで、映画や美術の制度の問題を重視したかった訳ではない。そうではなく、作り手自身のなかで、映像で何が出来るのだろうかという創造的な意識(DEEP IMAGES)が、ジャンルに関係なく立ち上がってくるような、そんなフェスティバルを目指した。確かに映像は表層、フレームのなかにしか存在しない。しかし映像はその外側(社会性)と関係を持っている。ラボスペースでの活動がそのような社会的な深さを持ったものになることを希望する。
・今後もこの問題についてはトークの場を設けて、話し合って行きたい。

———-
こうして見てみて、「ラボスペースにそんな重要なコンセプトが込められていたのか」という感想をまず持った。成る程、このコンセプトには概ね同意できるし、今日において有効性のあるものだと思う。ただし、ラボスペースを含め、フェスティバルが狙い通りの社会的機能を果たすかどうかは、会期中に試される課題だろう。そして、このコンセプトの社会的な深さの部分に、藤幡正樹がマッチングしなかったことが、すべての原因であったということなのだろうと思う。これについてはリンク先の声明文の1(http://www.art-it.asia/u/ab_fujihatam/z7Vx65kGLhZrYbT2f1AM/)を参照のこと。ここで使われている「コンテクスト」という言葉は、単に展示場所の問題ではない意味を、図らずも含んでいるように思う。私はそこに、両者のすれ違いを感じ取った。
内部の運営的な部分での齟齬については本当にどうでもいい。結局、予算規模の話になってしまう。

3-part in(ter)ventions

このところ随分放置していましたが。またそろそろ、いろいろと書きます。
いきなりですが、当ブログは下記イベントを応援します。何の力もありませんが。
フォームから要予約とのことです。

———-
3-part in(ter)ventions
http://www.setenv.net/event/3-part_interventions/

刀根康尚『MP3 コラプション・ピース』 〈ソロ〉
本作品は、ヨーク大学(イギリス)のミュージック・リサーチ・センタ―のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「The New Aesthetics in Computer Music」の支援により、同センタ―で作られた。MP3は、ファイルの音声圧縮のプログラムであるが、この圧縮と溶解の間に介入してファイルをコラプトさせ、音響のソースを全く新しい音響に変えるというのが、アイデアの根幹である。コラプションの発生を1から1000までの間のパラメーターとして入力し、その結果エラーが発生する。だが、実際にはコラプトした音響自体を使うのではなく、コラプションが起きた時にプログラムが21のタイプのエラーを報告するという機能をトリガーとして21のビヘヴィアーを自動的に選ばせることによって、音源が全く別のものに変わるのである。[YT]

日時:2009年11月22日(日) | 開場: 19:00 / 開演: 19:30
会場:新港ピア (神奈川県横浜市中区新港2-5)
料金:予約: ¥3,000
   当日: ¥3,500 (税込/all standing)
予約:ご予約フォームにご記入ください
出演:刀根康尚、大友良英、ジム・オルーク
主催・企画・制作:SETENV
共催:ヨコハマ国際映像祭2009
協力:Nam June Paik Art Center / 札幌市立大学 須之内研究室

———-
追記:
以下、setenvのサイトより転載。残念。
刀根康尚氏の来日中止について
このたび、出演者の刀根康尚氏よりご連絡があり、ご本人の体調が思わしくないため、今回の来日を中止せざるをえなくなりました。
この決定を受け、共演者の大友良英、ジム・オルーク両氏とも話し合いをさせていただいた結果、おふたりに、約2時間(予定)のパフォーマンスをお願いすることになりました。
なお、当日、開演前に、2005年の「Variations on a Silence : Concert」における刀根氏の演奏の模様を再編集した未公開映像を、会場にて上映いたします(19:10より、約15分間を予定)。
また、今回演奏を予定されていた「MP3 Corruption Piece」をNYのご自宅で新規に演奏・録音した音源による、録音参加も計画しております。
刀根氏の出演を楽しみにされていた皆様には、内容の変更を心よりお詫び申し上げます。
何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
*なお、これまでにご予約をいただきましたお客様につきましては、キャンセルされる場合のご連絡等は特に必要ございません。