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朝早くから目が覚めてしまったので、駅の周りを散策してみる。天気は雨で、エンパイアの上部は雲のなか。近くのマクドでハンバーガーなどを食べる。東京の雑然さとはまた違ったような。この日は美術館を回るつもりだったのだが、ホイットニー美術館が休館日なので、グッゲンハイム美術館とThe Museum of Modern Art(MOMA)へ行くことにする。まずはグッゲンハイムから行こうと思って、タクシーに乗って移動する。そのタクシーの運転手はバングラデシュ出身だったのだが、彼の話が印象的で、ちゃんとは理解できなかったのだが「この街は多民族のコロニーだ、俺はどこか別の所に行きたい」という意味のことを言っていた。グッゲンハイムにはすぐに到着。開館時間からそんなに間を置かずに来たのだが、さっそく行列であった。残念なことに館内展示換えの最中で、いくつかの作品は観ることが出来ない状態。代わりに入場料がディスカウントされていた。しかしながらマシュー・バーニー「クレマスター3」(2002)や、マリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンスシリーズ「Seven Easy Pieces」(2005)の舞台となった、その建築を体験することは出来た。以下、グッゲンハイムの天井と外観。


外に出ると小雨は降り続いており、タクシーでMOMAまで移動する。以下は途中で前を通った、メトロポリタン美術館の入り口。この日はここも休館日だった。

MOMAに到着してみると、既にかなりの混雑。小雨に打たれながらひたすら行列に並んで待つ。行列の前で傘を売っている兄ちゃんもいて、逞しいなと思う。

しばらくして入館は出来たのだが、混雑していたのと、シアターのチケット発券の仕組みが分かっていなかったこともあって、この日の夕方から地下のシアターで開催された、ジェネシス・P・オリッジのイヴェントのチケットをとることは出来なかった。
MOMAの規模は想像を遥かに上回っていた。各フロアが独立して様々な展覧会を並行して開催しており、平日だというのにとんでもない来館者の数である。都内の国立・公立美術館と比べても、これは雲泥の差どころではない。Getty Centerに行った時にも感じたのだが、西洋に端を発する近代的な意味での芸術についての歴史の積み重ねの厚さと、社会的な受容の幅広さがそもそも違う。そして、日本国内において使用される近代的な意味での芸術の概念が、ある特定のコンテクストに属するものであり、途中から外部より移植されたものであるという当たり前の事実を見せつけられた気がした。このような関係性のなかで一体何が出来るのか。ある種の無力感を感じる。
まずは2階のドローイング・アニメーションを制作する現代美術家、ウィリアム・ケントリッジの「William Kentridge: Five Themes」展から。内容としては京都近美と国立近美を巡回した展覧会と重複していたのだが、日本では展示されなかった作品があった。「Learning the Flute」(2003)、「Preparing the Flute」(2005)、「Black Box / Chamber Noir」(2006)の三つである。これがなかなか凝った展示で、大きめの展示室の中に人形劇の舞台のようなオブジェが二つと、グレーに塗られた黒板が一つ設置されており、この三つの特殊スクリーンに、順番に映像をプロジェクションしてゆくというものだった。特に「Preparing the Flute」と「Black Box / Chamber Noir」における、人形劇的な舞台セットへのプロジェクションが想像以上に素晴らしいものだった。この舞台セットにはレイヤー的な演出がなされており、前方と後方からの二重のプロジェクションによって、ドローイング・アニメーションが巧みに構成される。しかも「Black Box / Chamber Noir」の舞台セットについては機械仕掛けで、実際に幾つもの不思議なオブジェが入れ替わり立ち替わり登場し、からくり人形のように機械的な演技をする。それがプロジェクションされたドローイング・アニメーションと絡み合う。まるでアニメーション内のオブジェ(キャラクター)が、実空間に現れたかのような、奇妙な人形劇を観ている気分になった。人形劇とアニメーションの相関関係を想起させる作品であると同時に、現代美術のコンテクストにおける造形性とアニメーションの関係を強く印象づけられた。
また、3階や館内の各所ではティム・バートンの展覧会も開催されていた。正直いって興味はないのだが、都現美がジブリの展覧会やバガボンドのエントランス展示をやるようなものかと思いながらざっと観た。
4〜5階には圧倒された。図版の中でしか観たことのなかった現代美術の代表作が、おびただしい物量で展示されており、軽く躁状態になる。写真撮影可だったので、図版の中では観ることの出来ないような方向から撮ったりする。もうこの段階で精神的に疲れ切って熱にうかされているような状態だったのだが、あと一息。以下は外を望む来館者の図。

最後に本日最大の目的であった6階のマリーナ・アブラモヴィッチの「Marina Abramović: The Artist Is Present」を観る。ちなみに、2階のフロアでもマリーナ本人が来館者と向き合って、黙ったまま長時間微動だにせず見つめ合うというパフォーマンスを行っていた。そのフロアで既に異様な緊張感が漂っていたのだが、6階の展示は更に異様な緊張感の漂う空間になっていた。そこでは彼女のパフォーマンスを撮影したシングルチャンネルのビデオ作品やビデオインスタレーションが大量に展示されているのに加えて、生身のパフォーマーによる過去のパフォーマンスの再演(パフォーマンスの展示?)が各所で行われていた。人間がパフォーマンスごと展示されているのである。過酷な状況下で物質化された身体のイメージ。私は通るのをためらってしまったのだが全裸の男女のパフォーマーによる「Imponderabilia」(1977)の再演もあった。オリジナルは全裸のマリーナとウーライが、狭い空間に向かい合って立ち、この二人のあいだの僅かな隙間を観客が通り抜けるというパフォーマンス。他にも全裸の女性が両足と股間の僅かな支えによって空間に立つという「Luminosity」(1997)の再演もあった(今回は3mくらいの、落ちたら怪我をしそうな高さの壁面にパフォーマーが立っていたのだが、拷問のように痛々しく見えて、さすがに正視できなかった)。これを同じ形で日本に巡回させるのは絶対不可能だろう。個人的に、彼女のパフォーマンスを撮影したビデオ作品が、始まりと終わりをどのように構成しているのかが気になっていたので、いくつかの作品でそれも確認した。以下、展覧会のカタログ。日本のAmazonでは4/6現在、まだ入荷していないが、アメリカのAmazonなら普通に安く買える。

また、他にもジョーン・ジョナスのビデオインスタレーションである「Mirage」(1976/2005)も観ることができた。その後、衝撃的な展示にふらふらになりながら、小雨に打たれながら徒歩でタイムズスクエアを通ってホテルまで戻る。どうやら熱にうかされている感覚も、ふらふらなのも気のせいではなかったようで、ホテルに帰ってすぐに体調を崩し、高熱を出して寝込む。MOMAの行列の前で傘を買っておけばよかったと後悔。MacBookの充電器はアップルストアで購入した。

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