3/24

最終日。今頃になってNYの天気は快晴。まだ体調は万全とはいえないが、何とか飛行機には乗ることができそうだ。ホテルをチェックアウトし、そのままタクシーでJFKへ移動。成田までの14時間のフライトを、何とか音楽を聴きながら耐え抜いて、3/25に帰国。あまり眠れず。

今回の旅行は短かったが、いろいろな人と話すなかで、日本の文化や芸術を考える良い機会になった。それによって、実験映画だけに留まらず、近代的な意味での芸術はそもそも日本のものではないのではないか、そのようなコンテクストの形成も歴史化も国内においては成されてこなかったのではないか、という以前からあった疑念が深まることになった。海外から有名国際展の名前や、有名作家を引っ張ってきて国内で紹介しても、それが周縁国に過ぎない日本内部と、外部としての海外との関係性において何の意味を持つのか。結局は単なる消費に終るだけではないか。これは多元的な文化、民族、国家をどう捉えるかという問題である。フラット化した状況を受け入れる前に、私たちは外部を異質性として、自己を破壊しかねない危険なものとして受け止めることをしなければならなかったのに、それを怠ってきたのではないだろうか。その開き直りが日本内部の固有性の手軽な発見(東洋の伝統やサブカルチャーなど)に結びつく時、それは前提としてあるべき異質性の意識に立つどころか、無意識のうちに潜在的な同質性へ滑り落ちる。この回路は一見開かれているようでいて、実態としては同質化によって閉じている。あとは心地よいフラット化した同質性のなかで、多様性(多様な商品)の享受(消費)を繰り返すだけだ。そして歴史やコンテクストは、日本内部において殆ど積み上げられないまま忘却されるだろうし、過去においてはそうであったとしか思えない。そのようなことを日本に帰るなかで考えた。

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