最近の活動

表象文化論学会のニューズレターにシンポジウムの報告を書きました。
http://repre.org/repre/
http://repre.org/repre/vol11/meeting05/01symposium.html

「牧野貴作品集Vol.1 With ジム・オルーク」DVDライナーにテクストをよせました。
http://makinokino.exblog.jp/13764255/

誤りが一点。p.04右、下から8行目。「差し出される、そして、この非イメージ 〜」→「差し出される。そして、この非イメージ〜」です。加えて、言葉足らずな箇所がひとつ。p.05右、下から8行目。「世界のイメージも、本来は無数の姿を生成し得る。」→「世界のイメージも、本来は無数の姿をとるものとして生成し得る。」です。あと、チェルカスキーを引き合いに出したのは、イメージを変換する手つきに近しいものを感じたためです。
どちらも読みにくい文章ですみません。

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牧野貴作品集Vol.1 With ジム・オルーク


牧野貴作品集Vol.1 With ジム・オルーク
(紀伊国屋書店/2006~2009年/本編139分/カラー&モノクロ)

牧野貴作品集が12/22にリリースされる。個人的には、このDVDが紀伊国屋レーベルから出るというのが、何よりも素晴らしいと思っている。紀伊国屋が一手に引き受けているようなクラシックな劇映画と実験映画が併置されることで、映画の全体性は初めて担保されるのではないだろうか。
日本国内での実験映画は、一般の映画観客やシネフィルに認知されているとは言い難い状況にある訳だが、当然ながら劇映画はイコール「映画」ではありえない。劇映画は「映画」の可能性の一側面をフォローしているに過ぎない。そして、劇映画が担保できない「映画」の可能性は、「実験映画」という取りあえずの仮称によって担保されるのだと私は思う。この「実験映画」という取りあえずの仮称は、未だ観ぬ映画たちに対して付けられた名前であり、それは決して固定化した形式やジャンルに絡めとられたりはしないものだ。
収録作品は『No is E』『Elements of Nothing』『The Seasons』『still in cosmos』『WORLD』。牧野がジム・オルークと行った共同作業のすべてがここに収録されている。注意したいのは、この共同作業において、音楽家は映画監督に従属するものとして位置付けられてはいないことだ。これは「フィルム>サウンド」でも「フィルム<サウンド」でもない。フィルムとサウンド、この二つの異物は「フィルム≠サウンド」として、徹底して対立する。この対立の果てにおいて、観客は「美とは痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう。」という言葉を思い出すはずだ。また、日本国内において実験音楽と実験映画は、いままで全く関連付けて語られてきたとは言えない。この点についても、本作は実験音楽と実験映画の新たな関係性を開くものとなるかもしれないと期待している。
例えば水面の反射光を、水面の反射光であることから切り離して、イメージ未満の光の断片として視る。そして、そこから新たなイメージを掬いあげる。このDVDを観ることは、瞼をひらいて世界を再び観ることそのものである。一人でも多くの開かれた観客に届いてほしいと願う。

Amazon、紀伊国屋 Forest Plusにて購入可能。
http://makinokino.exblog.jp/13764255/