Shadows of Evil – Black Metal Disc Guide


ユニオンが刊行したShadows of Evil – Black Metal Disc Guideは、メタル雑誌ではフォローし切れないブラックメタルの多様性をかなりの部分までフォローしており、充実した内容だった。マイナーな国々まで幅広く目を配りながら、アンダーグラウンドなブラックメタルや、ペイガニズムを経由して民族主義へと思想性をスライドさせたNSBM、ヴァイキングメタル、シューゲイザーブラックまで。こうして俯瞰すると、ブラックメタルは音楽形式としも、一つの文化としても実に幅広い多様性を持ちながら、極端化されたものであると改めて感じる。

初期から活動するブラックメタルバンドには、アンダーグラウンドに属しながらも、メタルとしてメジャー化することをある程度までは拒否しないというような、メタル文化そのものに対する伝統的な信奉あるいは憧憬があったように思える。勿論ネガティヴな意味でいう訳ではないが、大掛かりなフェスティバルに出演する様なブラックメタルバンドからは、そういった印象を受けた。アルバムリリースを重ねるごとにサウンドプロダクションが高品質化してゆくという変化も、それの別側面といえる。しかし、その一方でアンダーグラウンドであることを徹底するようなスタンスがブラックメタルには存在していた。そもそもアンダーグラウンドという言葉を文化において使用する場合、それは言い換えれば社会的な最小単位としての個人、および個人が生活する場所、社会空間としての路上に属する文化を指すものであるといえる。それは単なるマニアック趣味などではなく、極めて社会的なものである。

上の写真は、ピーター・ベスト( http://www.peterbeste.com/home/ )の作品のなかでも、私が最も気に入っている写真である。彼の写真は、日常的な社会空間というフレームの中でブラックメタルのミュージシャンを捉えている点で面白いものだと思う。私がブラックメタルに関心を持つのは、音楽的な側面に加えて、このような社会的なフレームの中においてである。このような、アンダーグラウンドであることを徹底する傾向こそが、ブラックメタルを音楽的な面でも、社会的な面でも極端化させてきたのではないだろうか(その極北に存在するバンドといえば、やはりIldjarnであったと思う)。そのスタンスは、言うまでもなくパンク・ハードコア、あるいはノイズ・パワーエレクトロニクス等々の音楽と同質のものだと思う。Shadows of Evil – Black Metal Disc Guideからも漏れた、さらにマイナーなバンドや盤はまだまだ深みの中に存在する。それは、実は驚異的なことだ。

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