Group Ongaku – Music of Group Ongaku


(HEAR sound art library / CD)

60年代の反芸術パフォーマンスの流れを、芸術制度の外側から、あるいは社会の下部からの直接行動として読み直した大著「肉体のアナーキズム」において、著者である黒ダライ児は、60年代の流れを以下の二つの流れに分けているように思える。まずひとつに、“反芸術パフォーマンス/アングラブーム/万博破壊共闘派へと連なる運動”の系。もうひとつが“草月アートセンター/インターメディアとテクノロジー/大阪万博へと連なる運動”の系である。無論、この大著が焦点を合わせるのは基本的に前者――例えばゼロ次元であり、九州派であり、糸井貫二である。この視点は、60年代を多層的に読むうえで、極めて興味深い示唆を与えてくれるものだといえる。

この流れのなかに〈グループ音楽〉は、どのように収まるのだろうか。〈グループ音楽〉の母体となる動きは、ライナーノーツによると1958年11月に小杉武久と水野修孝が東京芸術大学学内において即興演奏を開始することからはじまっている。そこに塩見千枝子(允枝子)、刀根康尚らがメンバーとして加わり、集団即興演奏の試みを繰り返す。そして1960年9月の公演を機に名称を〈グループ音楽〉とする。翌年の9月には草月会館ホールで「即興音楽と音響オブジェのコンサート」を開催し、その後も草月の企画などでイヴェントや演奏活動を行った。このようにして見ると、〈グループ音楽〉のメンバーらは“草月アートセンター/インターメディアとテクノロジー/大阪万博に連なる運動”の系にいるかのようにも受け取れるが、決してそうではなかった。日大映研から生まれた共同体である〈VAN映画科学研究所〉は、60年代において幅広く前衛芸術家たちが交錯する場として機能したが、小杉と刀根はこの場を介して、様々な領域の人々との共同作業を果たしている。足立正生や飯村隆彦のフィルムへのサウンドトラックの提供。また、ヨシダ・ヨシエの呼びかけによる「敗戦記念晩餐会」(1962年)、九州派によって福岡で開催された「英雄たちの大集会」(1962年)、京都で開催された「鎖陰の儀」(1964年)といった合同パフォーマンスへの参加。その一方では、「読売アンデパンダン」(第十四回、1962年)への“出品”なども行っている。そのようにして捉えるならば、〈グループ音楽〉とは単なる音楽集団ではなく、反芸術やインターメディア、音楽などが混在する地点における、ひとつの集合体であったようにも思える。

このCDには1960年5月8日に水野宅で録音された「オートマティズム」と「オブジェ」、1961年9月15日の「即興音楽と音響オブジェのコンサート」における「メタプラズム・9−15」が収録されている。そこに聴き取れるものは、「オートマティズム」と「オブジェ」であれば極端にエフェクトされた断片的な具体音や人声であり、「メタプラズム・9−15」であればヴァイオリン、ピアノ、チェロ、サックス、ギター、テープ、ドラム等による集団即興演奏である。いずれも国内における戦後最初期の音楽的実験であり、内容としても多様なサウンド素材と、隙間の多い演奏が楽しめる高内容な作品であると言える。しかし、これを単なる音楽的実験のみに留めるのではなく、反芸術から路上へと連なって、芸術制度を外側から揺るがした動向のなかにおいて聴き取ることも、また必要ではないかと思える。

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