Tesco USA 10th Anniversary/God Blast America! DVD Teaser


Tesco USA 10th Anniversary/God Blast America!

同時多発テロの傷跡も生々しい2002年のNYにおいて開催された、三日間にわたるノイズ/インダストリアルの一大イベント「God Blast America!」のDVDがリリースされるらしい。このイベントに参加した面子は、はっきりいって尋常ではない。この面子がこの時期のNYでライヴを行ったことには否応なく社会的批評性が備わってくるし、今もまだ世界の不均衡は終わってはいない。まだリリースは結構先だけど、これはかなり期待している。

明日のDommune

明日(今日)、Dommuneにて相原信洋追悼番組があるらしい。
http://www.dommune.com/reserve/2011/0523/

19:00−21:30には、松本俊夫とかわなかのぶひろ、中島崇も出演。こういう人選をみると、やっぱり相原信洋はアニメーションと実験映画の重なり合う位置にいた、極めて稀な作家だったんだなと思う。正座して観る。

以下、自分用メモ。松本+かわなかトークの部分です。

(松本氏、かわなか氏着席)

・相原信洋が京都造形(芸短)で教えることになった経緯、松本俊夫が呼んだ。
・日本におけるアニメーションの系譜、「アニメーション三人の会」の流れとは異なった存在としての相原信洋。
・実験映画との関係。アニメーションの根源性への問いかけがある。

・『ストーン』について。当初は『ストーン1』と『ストーン2』に分かれていた。ロールシャッハテストのような絵を荒野の石に貼付けて、ライブアニメーションとして作られた作品。空間そのものを取り入れて撮っている。動く雲、人。そういう発想はアニメーションにはなかった。

(『ストーン』の上映)

・相原信洋におけるマクラレンの影響。
・日本でのマクラレンブーム(ATGで上映された頃の話)。

・(相原以前の実験的アニメーションとしての)大辻清司の〈グラフィック集団〉による『キネカリグラフ』とマクラレンについて。
・相原作品には『キネカリグラフ』の抽象性とは違う、運動が開く視覚的世界がある。

・『ストーン』のような作品はこの後にはなくて、紙の上に絵を描く作品がメイン。描くことがとにかく好きだったと思う。線の運動が中心にあった。

・スタジオゼロに勤めて、商業アニメのアニメーターをやっていた頃に、フィルムコーポに作品を持ってやってきた(映写機とスクリーンを抱えて)。毎月作品を持ってきていた。

(『カルマ』の上映)

・『カルマ』は中期の作品にあたる。相原的なコズミックなテーマが出来上がってきている。キャラクターアニメではない、全体が動くアニメーション。一枚の絵が動くような。柔らかい繊細な動き。

(『やまかがし』の上映)

・『やまかがし』は初期の作品。スタジオゼロ時代、社長の鈴木伸一が見せた8mm映画に衝撃を受けて、自分で8mmを撮り始める。そうして作られた初の16mm作品。金銭的な理由からモノクロ。林静一との共通性もあったりして、彼独自の世界を発見する前の作品であるといえると思う。この後、『ストーン』から『カルマ』へと続いてゆく。『やまかがし』に見られる少年時代の記憶。

・『カルマ』はプライベートが地獄のようなときに、何かが動き出すようにして作られた。『カルマ』と同時期の作品をみるに、70年安保の傷を通して、近代西洋の文化的枠組みへの疑問のなかで、自分自身のアイデンティティを捉え返そうとしたのではないか。東洋的なるものの発見は同時代の作家にも見られた。そういう時代背景があった。

(松本氏退席 その後もトークは続いて『妄動』などを上映)

第3回恵比寿映像際:メディアが結ぶ夢 E.=Jマレ、R・グラハム、K・ジェイコヴス、園田枝里子、牧野貴

このプログラムは、それ自体が写真(静止した映像)と運動する映像の関係を考察するように、“映像メディア論としてのプログラム”として編まれている。そのコンセプトに写真美術館らしさを感じる。プログラムの冒頭においてはエティエンヌ=ジュール・マレーの連続写真が導入的に上映されたのだが、これも写美らしいといえば写美らしい。写真と運動する映像の関係性が考察されるとき、それは多くの場合、広義のアニメーションに結びつけて語られる訳だが、これは例えば伊藤高志のような、写真の再撮影アニメーション手法をとって制作されたような作品が、すぐに思い浮かぶだろう。

このプログラムのなかにおいて、その方向性はマレーの連続写真と、園田枝里子の作品において表れていたといえる。園田の『スペース・イズ・ザ・プレイス』は、屋内の壁一面にプリントアウトされた静止画イメージを貼って、アニメーション化してみせるという作品だった。とはいえ、単純なアニメーションに終始しているわけではなく、室内空間との対比のなかで、空間そのものが運動してゆく点において、石田尚志の「部屋/形態」的な面白さも存在していた。

その一方でこのプログラムは写真と運動する映像の、また別の関係性についても言及していた。それはケン・ジェイコブスと牧野貴の作品に表れていたといえる。映像メディアとは言ってみれば、フィルムならば24fps、あるいはビデオならば30fps(NTSC)という速度で、イメージを連続して映し出すことによって、運動を表現する機械である。この仕組みは、連続したアニメーションの運動ではない、別の視覚的経験をもたらすために使用する事もできる。

ニンフ/Nymph(Video, 2007)
ジェイコブスが近年取り組んでいる、3D的立体感を立体メガネなしで表現するという作品群のひとつ。その基本的な原理は、ステレオスコープ写真を数フレーム単位で交互に映し出すというものである。この運動がもたらす眼への直接的作用は、見る者に異様な視覚的経験を与えるものである。このような表現手法は、他の作家でもスコット・スタークが使用しているが、ジェイコブスの場合は引用された元イメージが持っている意味性も作品のなかに取り込んでいるところが面白い。この作品でジェイコブスは、ブルジョワのパーティ(?)の様子が映し出された、古びたステレオスコープ写真を引用して、痙攣的な立体感を生みだしている。タイトルのニンフとは、この引用元のステレオスコープ写真のなかに写る彫像を指す。ジェイコブスは写真内の人物を次々に立体化させて見せてゆき、この写真のなかの忘れられた小さな彫像にも生命を吹き込む。

METでホットドッグ/Hot Dogs at the Met(HD Video, 2009)
これも上記と同じ手法による作品であるが、引用元のイメージが古びたステレオスコープ写真ではなく、昔の(ステレオ)スナップ写真である。クーベルカやメカスの家族と一緒に、どこかの広場でホットドッグを食べる様子が写されている。それだけなら別にどうということはないのだが、この作品が孕む問題は引用イメージの性質にある。「ニンフ」の場合は引用元のフィルムが良い品質でスキャンされており、拡大してもフィルム粒子や埃によるノイズが見えるだけで、それは美的に受け止めることが可能なものであった。しかし「METでホットドッグ」の場合は、昔の写真があまり良くない品質でスキャンされており、拡大することによって圧縮によって生じた格子状のブロックノイズが目立ってくる。これを美的に受け止める人はあまりいないかもしれない。人によっては「細かい技術に無頓着なのだな…」という印象を持つだろう。しかし、私は、ジェイコブスが意図したかどうかは別として、彼はデジタルビデオの擬似的なマテリアル性を表出させたのではないかと考える。引用元のイメージを拡大して再構成するのは、以前より、彼の基本的なテクニックのひとつである。それによってジェイコブスはイメージを成立させる映画の構造を露呈させ、再構成してきた。一見無頓着にみえるこのブロックノイズも、そのように深読みすることが(多少無理すれば)可能だろう。

ロフト/A Loft(HD Video, 2010)
これも上記と同じ手法による作品である。使用されるイメージは引用ではなく、彼自身が住んでいた、マンハッタンのロフトの映像である。元のイメージから色を変化させたり、途中からマルチ画面にしてみたり、スライドさせたりと、複雑に再構成を行っている。別のサイトでも紹介したが、一応ダイジェストを貼っておきます。(彼の息子が監督した長編劇映画『Momma`s Man』でも、このロフトは登場する。ちなみに『Momma`s Man』では、ジェイコブス夫妻も俳優として出演している。)

そして、牧野貴の作品だが、25FPSでもグランプリを獲った「still in cosmos」については、昨年リリースされたDVDを観てもらうとして、ここでは「in your star」について述べたい。

in your star(HD Video, 2011)
「still in cosmos」は、過去の牧野の作品のなかでも、特に膨大な量の光の運動が圧縮された作品だった。本作もまた、フレーム単位で切り替わりながら運動する、膨大な量の光が圧縮された作品であるといえる。加えて本作には、新しい試みが存在している。それは、テレシネ前の35mmフィルム表面に付けられた、夥しい量のスクラッチノイズによるイメージの鮮明化/不鮮明化である。この夥しいスクラッチノイズは被写体イメージと混交し、スクリーン上で激しく運動する。多くの牧野作品では、被写体のイメージの輪郭が解れてゆき、その残滓のなかから、観客がさまざまなイメージを掬い上げてゆくことになるのだが、本作では、この白く鋭利な傷が細かい雨のように降り注ぎ、イメージの残滓と混ざり合っている。しかも、フルHDの高解像度テレシネは、その微細な傷を極めて鮮明に映し出す。映像がクリアになればなるほど、イメージの残滓は、微細な傷のなかに混ざり、幽霊化してゆくのである。ここまで情報量が増大すると、傷とイメージの残滓が混ざり合ったスクリーンが、まるでひとつの遠近感を持った空間のようにも見えてくる。また、本作のサウンドは、Machinefabriekが担当している(残念ながら上映会場のPAの限界により、音楽家が意図していたレンジのサウンドは出せなかったそうだ。映画の持つ潜在的な力をとことん引き出そうとする姿勢は、それに見合った環境を整えるために多くの障害をクリアしなければならない。制作とはまた違う意味で大変な話だ。)

Frans Zwartjes – The Great Cinema Magician


(Moskwood Video / DVD)

偽装されたホラーあるいはサスペンスとしてのZwartjesのフィルムは、とても興味深い。ホラー/サスペンス映画のストーリーおよびイメージにおいて、作品世界が奇妙に歪むような脅威の瞬間があるとすれば、Zwartjesはその瞬間を拡大し、それ自体を一本の作品としてしまう。『Pentimento』(1979)の廃墟化した強制収容所で繰り広げられる、精神的に病んだようなビザールな出来事の数々は、役者による劇映画的な演技の形態をとってはいるが、そこに叙述的なストーリー構造はない。勿論そのようなストーリー構造を持たないような実験映画は掃いて捨てるほどあるが、それらに対してZwartjesの作品が際立っているのは、その一方でB級劇映画の形態を巧妙に偽装している点にあるのではないかと思う。どれもこれも、B級劇映画のいちシーンと言われれば、確かにそのようにも見えてしまうのである*1。しかも、Zwartjesの作品は決してB級劇映画的なビザールイメージが先行するだけの映画ではない。随所にコンセプチュアルな、実験的アプローチが差し込まれているのが素晴らしい。特にそれが強く表れているのが『Living』(1971)だろう。正装をした男女(Zwartjes本人)が、真っ白な空き家にやってくる、そして二人は何かを探すかのように見取り図を確認し、部屋のなかをひたすら徘徊する(自身の手持ちカメラは縦横無尽に運動し、この二人の様子を追う)。これだけだと、まるでサスペンス映画のいちシーンだが、勿論この作品のコンセプトは、この二人の正体や目的を物語ることではない。ここにあるものは明らかに過剰な360°のカメラワークによって、空間をどのように異化するかという試みである。そして、そのような映画的実験は、作品世界が奇妙に歪むような、あの脅威の瞬間を呼び出すための媒介となる。オランダ実験映画の良質な部分が詰まったDVDであり、広い意味で映画を考察する方には是非観てほしいと思う(PALですが)。あと、Zwartjesのフィルムはサウンド的な意味でも、アナログ電子音満載で素晴らしいので、そちら方面の方々にもお勧め。

*1:例えばマイケル・スノウの『波長』の後半において、いきなり「殺人事件」が起こるというシークエンスがあるが、あれに近い。スノウの場合、コンセプチュアルな構造映画でありながらも、そこではメタ的に劇映画が偽装されている。

モホイ=ナジのDVD

葉山館のミュージアムショップに電話をして、カタログを代引きで送ってもらうことにした。いずれ観に行くけど、待ち切れない。そして、期間中取り扱っているという情報を得たモホイ=ナジのDVDについて、詳しく聞いてみる。版元はモホイ=ナジ財団らしく、ググってみて詳細が分かった。一枚あたり$98.50……高いけど、これは入手しなきゃならないだろう。版元で取り扱っているモホイ=ナジのタイトルは以下。リンク先にて全作品のプレヴューが観られます。

Architects’ Congress 1933, 29min
Berliner Stilleben 1931, 9min
Design Workshops 1944, 36:11min
Do Not Disturb 1945, 20min
Ein Lichtspiel schwarz weiss grau 1930, 6min
Gross-Stadt Zigeuner 1932, 11min
Lobsters 1935, 16min
The New Architecture and the London Zoo 1936,16min
Impressionen vom alten marseiller Hafen (vieux port) 1929, 9min

http://www.moholy-nagy.org/category-s/29.htm

Kinema Nippon

昨年の国立国際美術館を最後に一段落していたVital Signalsですが、少し作品数を減らして、Kinema Nipponという震災救済のための上映企画において再起動となりました。芸術・文化を震災に絡めることについては個人的に少し思うところがあるのですが、企画意図・内容ともに良い上映企画だと思います。アメリカとヨーロッパを巡回するそうです。

こちらがVital Signalsプロで、
http://www.kinemanippon.org/project/vital-signals-early-video-work/
こちらが実験映画寄りのJapanese Experimental Works I & IIプロです。
http://www.kinemanippon.org/project/japanese-experimental-works-i–ii/

ところでこの上映企画、Vital Signalsプロの方で連絡を受けるのとは全く別に、Japanese Experimental Works I & IIプロの関係で牧野さんからも連絡を受けていて、それらが同じ上映企画だったと気が付くのに時間がかかった。私が鈍いだけかもしれんが…。