第3回恵比寿映像際:メディアが結ぶ夢 E.=Jマレ、R・グラハム、K・ジェイコヴス、園田枝里子、牧野貴

このプログラムは、それ自体が写真(静止した映像)と運動する映像の関係を考察するように、“映像メディア論としてのプログラム”として編まれている。そのコンセプトに写真美術館らしさを感じる。プログラムの冒頭においてはエティエンヌ=ジュール・マレーの連続写真が導入的に上映されたのだが、これも写美らしいといえば写美らしい。写真と運動する映像の関係性が考察されるとき、それは多くの場合、広義のアニメーションに結びつけて語られる訳だが、これは例えば伊藤高志のような、写真の再撮影アニメーション手法をとって制作されたような作品が、すぐに思い浮かぶだろう。

このプログラムのなかにおいて、その方向性はマレーの連続写真と、園田枝里子の作品において表れていたといえる。園田の『スペース・イズ・ザ・プレイス』は、屋内の壁一面にプリントアウトされた静止画イメージを貼って、アニメーション化してみせるという作品だった。とはいえ、単純なアニメーションに終始しているわけではなく、室内空間との対比のなかで、空間そのものが運動してゆく点において、石田尚志の「部屋/形態」的な面白さも存在していた。

その一方でこのプログラムは写真と運動する映像の、また別の関係性についても言及していた。それはケン・ジェイコブスと牧野貴の作品に表れていたといえる。映像メディアとは言ってみれば、フィルムならば24fps、あるいはビデオならば30fps(NTSC)という速度で、イメージを連続して映し出すことによって、運動を表現する機械である。この仕組みは、連続したアニメーションの運動ではない、別の視覚的経験をもたらすために使用する事もできる。

ニンフ/Nymph(Video, 2007)
ジェイコブスが近年取り組んでいる、3D的立体感を立体メガネなしで表現するという作品群のひとつ。その基本的な原理は、ステレオスコープ写真を数フレーム単位で交互に映し出すというものである。この運動がもたらす眼への直接的作用は、見る者に異様な視覚的経験を与えるものである。このような表現手法は、他の作家でもスコット・スタークが使用しているが、ジェイコブスの場合は引用された元イメージが持っている意味性も作品のなかに取り込んでいるところが面白い。この作品でジェイコブスは、ブルジョワのパーティ(?)の様子が映し出された、古びたステレオスコープ写真を引用して、痙攣的な立体感を生みだしている。タイトルのニンフとは、この引用元のステレオスコープ写真のなかに写る彫像を指す。ジェイコブスは写真内の人物を次々に立体化させて見せてゆき、この写真のなかの忘れられた小さな彫像にも生命を吹き込む。

METでホットドッグ/Hot Dogs at the Met(HD Video, 2009)
これも上記と同じ手法による作品であるが、引用元のイメージが古びたステレオスコープ写真ではなく、昔の(ステレオ)スナップ写真である。クーベルカやメカスの家族と一緒に、どこかの広場でホットドッグを食べる様子が写されている。それだけなら別にどうということはないのだが、この作品が孕む問題は引用イメージの性質にある。「ニンフ」の場合は引用元のフィルムが良い品質でスキャンされており、拡大してもフィルム粒子や埃によるノイズが見えるだけで、それは美的に受け止めることが可能なものであった。しかし「METでホットドッグ」の場合は、昔の写真があまり良くない品質でスキャンされており、拡大することによって圧縮によって生じた格子状のブロックノイズが目立ってくる。これを美的に受け止める人はあまりいないかもしれない。人によっては「細かい技術に無頓着なのだな…」という印象を持つだろう。しかし、私は、ジェイコブスが意図したかどうかは別として、彼はデジタルビデオの擬似的なマテリアル性を表出させたのではないかと考える。引用元のイメージを拡大して再構成するのは、以前より、彼の基本的なテクニックのひとつである。それによってジェイコブスはイメージを成立させる映画の構造を露呈させ、再構成してきた。一見無頓着にみえるこのブロックノイズも、そのように深読みすることが(多少無理すれば)可能だろう。

ロフト/A Loft(HD Video, 2010)
これも上記と同じ手法による作品である。使用されるイメージは引用ではなく、彼自身が住んでいた、マンハッタンのロフトの映像である。元のイメージから色を変化させたり、途中からマルチ画面にしてみたり、スライドさせたりと、複雑に再構成を行っている。別のサイトでも紹介したが、一応ダイジェストを貼っておきます。(彼の息子が監督した長編劇映画『Momma`s Man』でも、このロフトは登場する。ちなみに『Momma`s Man』では、ジェイコブス夫妻も俳優として出演している。)

そして、牧野貴の作品だが、25FPSでもグランプリを獲った「still in cosmos」については、昨年リリースされたDVDを観てもらうとして、ここでは「in your star」について述べたい。

in your star(HD Video, 2011)
「still in cosmos」は、過去の牧野の作品のなかでも、特に膨大な量の光の運動が圧縮された作品だった。本作もまた、フレーム単位で切り替わりながら運動する、膨大な量の光が圧縮された作品であるといえる。加えて本作には、新しい試みが存在している。それは、テレシネ前の35mmフィルム表面に付けられた、夥しい量のスクラッチノイズによるイメージの鮮明化/不鮮明化である。この夥しいスクラッチノイズは被写体イメージと混交し、スクリーン上で激しく運動する。多くの牧野作品では、被写体のイメージの輪郭が解れてゆき、その残滓のなかから、観客がさまざまなイメージを掬い上げてゆくことになるのだが、本作では、この白く鋭利な傷が細かい雨のように降り注ぎ、イメージの残滓と混ざり合っている。しかも、フルHDの高解像度テレシネは、その微細な傷を極めて鮮明に映し出す。映像がクリアになればなるほど、イメージの残滓は、微細な傷のなかに混ざり、幽霊化してゆくのである。ここまで情報量が増大すると、傷とイメージの残滓が混ざり合ったスクリーンが、まるでひとつの遠近感を持った空間のようにも見えてくる。また、本作のサウンドは、Machinefabriekが担当している(残念ながら上映会場のPAの限界により、音楽家が意図していたレンジのサウンドは出せなかったそうだ。映画の持つ潜在的な力をとことん引き出そうとする姿勢は、それに見合った環境を整えるために多くの障害をクリアしなければならない。制作とはまた違う意味で大変な話だ。)

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