生存戦略


2年がかりの計画が頓挫したのが三週間前。で、せっかく準備したものをお蔵にするのも勿体ないので、それを三週間でつくり直して、本日別のところに投げた。こういう機会がないと仕事をまとめられない性格なので、とりあえずよかった。投げ返されるかもだが。

この週末は昼食時にノシャップ岬という、まあまあの観光名所に通って、飯を食べながら仕事をしたが、おかげで仕事がはかどった。昼食の前後には、毎回水族館に通ってアザラシとペンギンを眺めたが、これもよかった。

黛敏郎の電子音楽 全曲上演会

黛敏郎の電子音楽 全曲演奏会

日時:2011年8月28日(日)
時間:第一部14:00開場 14:30開演
   第二部17:00開場 17:30開演
   いずれも開演15分前よりプレトーク

場所:京都芸術センター 1Fフリースペース
入場料:2000円(前売り1800円) 来場者には新刊書籍『黛敏郎の電子音楽』配布予定
出演:川崎弘二(プレトーク)、能美亮士(音響ディレクション・再生)
協力:西耕一

・以下、毎日新聞2011年8月11日地方版より。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110811ddlk26040532000c.html

黛敏郎・電子音楽上演会:多彩な20曲、5時間かけ 28日京都芸術センター/京都
「体系的に聴く貴重な機会」
 戦後日本を代表する作曲家の一人で、テレビ番組「題名のない演奏会」の司会者としても知られる黛(まゆずみ)敏郎(1929~97)の電子音楽の全曲上演会が28日午後2時半から、京都芸術センター(京都市中京区)フリースペースで開かれる。
 「涅槃(ねはん)交響曲」や、オペラ「金閣寺」「古事記」、映画音楽やミュージカルまで多彩な作品を残した黛は、日本での電子音楽のパイオニアの一人でもあった。能の世界を電子テクノロジーによって描いた「葵上」や、東京オリンピックのために釣り鐘の響きを使った「カンパノロジー・オリンピカ」など、多彩な作品を書いている。
 今回は現存が確認された黛の電子音楽約20曲を、休憩をはさみ約5時間の演奏会で一挙に上演する意欲的な試み。
 企画したのは、日本人作曲家の研究と作品普及を目的に、京都市立芸術大大学院生を中心に結成されたグループ「JCMR Kyoto」。
 メンバーの一人、清水慶彦さんは「黛の電子音楽は、国際的水準から見ても先鋭的な作品があるが、入手困難な音源もあり、聴く機会は少ない。今回は体系的に聴くことができる貴重な機会」と話している。黛の電子音楽を主題にした清水さんの新作も初演される。
 第1部(午後2時半~4時20分)と第2部(同5時半~7時40分)のそれぞれ開始15分前に「日本の電子音楽」の著者、川崎弘二さんのプレトークがある。(毎日)

こちらも開催が迫ってきたので再投稿。前売りは完売で、当日券(川崎さんのツイートによると50席くらい)のみとのことでした。http://twitter.com/#!/JCMRKyoto
『黛敏郎の電子音楽』の刊行も無事に間に合ったそうです。

追記(9/1):
黛敏郎の電子音楽全曲上演会の感想たち。
http://togetter.com/li/181882

覚え書き

泊原発3号機、北海道知事16日営業運転容認へ(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110815-OYT1T00654.htm

「泊原発の営業運転前に安全策を」 北大教授ら緊急声明(朝日)
http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY201108150248.html

泊原発3号機:無条件の再開容認に反対 道内の大学教授ら50人が声明(毎日)
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20110816hog00m040001000c.html

どうして安全対策を前倒しで進めて、それが完了するまで待つことができないのかと思ったが、結論在りきの不毛な話だった。結局、現状の経済・生活水準を維持するのが優先事項であり、それは経済優先の視点においては正しい。しかし、それは現実社会の一側面を評価しているに過ぎない。素晴らしい、反吐が出る。

そうならないことを強く願うが、将来、北海道に取り返しのつかないことが起った時に、高橋はるみ知事の責任が問われることはあるのだろうか。福島県佐藤雄平知事の責任すら追及されない現状では、言うまでもないことか。恐らく今この時点で、将来的な増設を含めた他の電源設備での不足分カバーを検討することもなく、厳密な安全対策に取り組む態度も見せないのならば、この先もずっとこのままだ。ちなみに泊村の歳入総額において、57%を電源三法交付金と北電からの税収が占めるそうだ(朝日新聞のサイトで見られなくなっているので、転載から)。これもまた分断線だ。リスクを被るのは全道であるといえるのに、地元四町村との同意形成に道民の意思を代表させることが出来るのか。
(以上、8/16に投稿)

追記(8/17):
泊原発3号機、営業運転に…保安院が検査終了証(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110817-OYT1T00714.htm

泊3号機、営業運転を再開 再稼働問題、波及限定的か(共同)
http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011081701000728.html

今この時点で無条件の営業運転再開を行うことが、今後どのような方針で安全対策や代替エネルギー問題に取り組むつもりなのか、その姿勢を如実に物語っている気がして、全く信頼感を持つことが出来ない。“既に起動してフル稼働しているため運転中と見なす”という前提も、結論在りきで条件を弄んでいるだけではないのかと思える。今後はストレステスト2次評価が控えている訳だが、こういう姿勢の相手をどれほど信頼できるのか疑問だ。少なくとも「国には、安全対策に万全を期し、丁寧に対応するよう強く求める」という他人任せの発言から、高橋はるみ知事に、道独自の安全対策を講じる意思や責任の自覚がないことはよく分かった。他の原発の再稼働問題において、都合よく先例にされかねないことを懸念する。

ところで、読売の報道によると「原発から半径10キロ圏内の4町村から異論はなかった」そうだ。電源三法交付金を背景とした賛意にどれほどの意味が?

追記(8/18):
知事 泊同意 安全と言い切れるのか(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/312503.html

その後の地元の報道。そのとおり、政治的な責任は明白に高橋はるみ知事本人にある。参考までに北電の電源設備の構成比の推移と、発電電力量の構成比の推移。前者においては原子力発電は25%である。毎日の報道における知事の一問一答での「原発が道民の電力供給の4割を現に占めている」という発言は、あくまで後者に依拠していることも一応知っておく必要があるかと。いろいろと錯覚しないために。

それにしても、原発が止まると経済が大変なことになると主張する人は、他の電源設備で不足分をカバーした場合、もしくは他の発電所を増設した場合の試算をどれほど厳密に行っているのだろうか(試算の結果として、やむを得ない部分を過渡的に原子力に頼るというのであればまだ理解できる)。リスクを上回る、原子力でなければならない絶対的な理由とは何だろう。不思議だ。

早くもTwitterで「#高橋はるみリコール」ハッシュタグが登場したらしい。確かにデモよりかよっぽど有効かもね。

追記(8/26):
で、やっぱりこれだ。

北海道電力 泊原発で社員にメール(NHK)
「北海道電力は、26日夜、記者会見し、3年前に泊原子力発電所のプルサーマル計画を巡るシンポジウムが開かれた際、社員に対し、シンポジウムに出席して計画を推進する意見を述べるよう呼びかけるメールを送っていたことを明らかにし、メールが送られた経緯などについて調査を進める考えを示しました。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110826/t10015183271000.html

追記(8/27):
続報。

泊再稼働に打撃 北電やらせ指示 プルサーマル白紙も 道・道議会は態度硬化(北海道新聞)
「北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機のプルサーマル計画に関する2008年10月のシンポジウムで、同社が社員に対し、会場で計画推進の意見を述べるよう促す「やらせ」をメールで指示していたことが発覚した。北電がプルサーマル実現のため世論を操作していたといえ、道などは態度を硬化。計画自体が宙に浮く可能性も出てきた。原発全体の信頼にもひびが入り、定期検査で停止中の1、2号機の再稼働にも大きな影響を与えそうだ。」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20110827-OYT8T00014.htm

プルサーマル計画シンポ、北電「やらせメール」認める(読売)
「北海道電力は26日、泊原子力発電所3号機(北海道泊村)のプルサーマル計画を巡る2008年の公開シンポジウムで、同社が社員に計画推進の意見を出すようメールで呼びかけていたと発表した。共産党北海道委員会が8月中旬に北電関係者からメールを入手し、同日に記者会見して公表したことを受け、同社が社内調査して判明した。」
「北電は1999年10月にも、道が実施した泊原発3号機の増設についての道民説明会と意見募集の際、社員に賛成意見を出すよう文書で指示していた。文書は説明会の地元支店から出席する社員数を「20~25人」などと割り当て、「老若男女のバランスを良く考えて選定する」などと書かれていた。」
「意見募集では、「主婦の立場から原子力は必要だとこの頃考えています」など、“ひな型”となる例文を提示し、5000件の賛成意見提出を目標に、「社員を通じて知人、友人にお願いする」と呼びかけていた。」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20110827-OYT8T00014.htm

追記(9/10):
続報。
北電また「やらせ」…ご意見聴く会へ賛成要請(読売)
「北海道電力が泊原子力発電所(北海道泊村)に3号機(出力91・2万キロ・ワット)を建設する計画を進めていた2000年3月、複数の周辺住民に対し、道主催の会合に出席して計画に賛成する意見を表明するよう要請していたことが9日、わかった。
 複数の出席者が証言した。北電を巡っては、道などが08年10月に催した3号機へのプルサーマル計画導入に関するシンポジウムで、社員に計画推進の意見を出すようメールで依頼していたことが判明しており、「やらせ」工作が常態化していた疑いが強まった。」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110910-OYT1T00128.htm

覚え書き

官房参与の原子力専門家が辞任(NHK)
「これだけの被ばくをする人は、全国の原発業務の従事者の中でも極めて少なく、この数値を小学生らに求めるには、学問上の見地や私のヒューマニズムから受け入れがたい。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110429/k10015638131000.html

NHK「かぶんブログ」にて全文。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html

原発事故の話はブログではやりたくないけど、これはさすがに別。与党内にもこれを問題視している議員がいるようなので奮闘してほしい。リスクの大きさとリスク回避に伴うコスト判断なんてものは、結局のところ各人がそれぞれ信じたいソースを信じて判断しているのであって、事後的にしか客観的評価なんて出せないものだと思う。しかし、子供や幼児に関わる懸念となれば話は別で、慎重であるに越したことはないはずだ。
(以上、4/30に投稿)

追記(8/24):
学校の放射線量に新たな目安(NHK)
「東京電力福島第一原発の事故を受けて示された学校での屋外の活動を制限する放射線量の目安について、文部科学省は年間の積算で20ミリシーベルト未満とする数値を廃止することを決め、新たな目安を年間1ミリシーベルト以下とすることを福島県に通知することになりました。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110824/t10015110761000.html

「放射線により窓を開けることができないため、小中学校へエアコンを設置してほしい。」(福島市)
http://shinsai.city.fukushima.fukushima.jp/?p=4868

「内部被ばくをさけるために学校給食には、東北・関東産の食材を使用しないでほしい。」(福島市)
http://shinsai.city.fukushima.fukushima.jp/?p=4453

その後の変化と現実。要するに手前が勝手に対応しろと言いたいんだよ、分断線の向こうの連中は。福島から子供を離れさせたいが金銭的に困難だという方々に、僅かでも送金して足しにしてもらいたいのだが、そういう窓口はないものだろうか。

追記(8/25):
福島県内の学校で始業式(NHK)
「「放射線への不安」などを理由に震災後、転校や転校する予定の小中学生が1万4000人に上っている福島県では、25日、多くの学校で始業式が行われました。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110825/t10015140061000.html

転校や転校する予定の小中学生が14000人という現実。これは国が対応するレベルだろう。

追記(9/10):
福島県民「移住したい」34% 被災3県世論調査(朝日)
「原発事故による放射性物質への不安では「あなたや家族に与える影響について、どの程度不安を感じているか」と4択で尋ねた。「大いに感じている」は岩手32%、宮城34%に対して福島は54%に上る。
 福島県民だけに「放射性物質による被害を避けるため、県外や放射線量の少ない地域へ、できれば移り住みたいか」と聞くと、34%が「移り住みたい」と回答。中学生以下の子供がいる家庭では51%に及ぶ。」
http://www.asahi.com/national/update/0909/TKY201109090610.html

「視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション」展

「視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション」展
神奈川県立近代美術館 葉山
休館日:月曜日[ただし5月2日は開館]
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
観覧料:一般 1100円(団体1000円)、20歳未満・学生 950円(団体850円)、65歳以上 550円、高校生 100円
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2011/nagy/index.html

京都国立近代美術館
休館日:月曜日
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで。金曜のみ午後8時まで/入館は午後7時30分まで。)
観覧料:一般 1300円(団体1100円)、大学生 900円(団体700円)、高校生 500円(団体300円)、中学生以下無料
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2011/387.html

京都の会期が9月4日までなので再投稿。ちなみに京都まで観に行きました。

改めてここでレヴューを書くつもりですが、簡単な感想としては、少し話はそれるけど、〈実験工房〉——特に山口勝弘がモホリ=ナギから多大な影響を受けていたことが改めてよく分かった。例えば『スペース・モデュレータ・スピッグ 1』(1942)と『ヴィトリーヌ』を比較すれば、その影響を想像することが出来る。また、〈実験工房〉が制作した、失われた実験映画『モビールとヴィトリーヌ』も、『光の戯れ 黒・白・灰』と同じく、山口のヴィトリーヌと北代のモビールを撮影したものだったのだろうと想像する。その『光の戯れ 黒・白・灰』において被写体となったキネティック彫刻『ライト・スペース・モデュレータ』は、レブリカが展示されており、30分おきに実際動かされていた。実にのんびりとした危うい動きが想像と少し違っていて、何だか新鮮だった。また、モホリ=ナギの初期の活動背景に当時の社会主義的な思想が見えるのも面白く、その点は直接的な政治性はなくとも後々の作品にまで見え隠れしているように思えた。

サマーフェスティバル 2011〈映像と音楽〉

サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2011 MUSIC TODAY 21
〈映像と音楽〉

8月22日(月)19:00 大ホール<管弦楽>
演目
・ビル・ヴィオラ×エドガー・ヴァレーズ:
砂漠 15人奏者、打楽器奏者とテープのための(1994製作/1950-1954作曲、35mm フィルム、カラー)
ほか
http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2011_orchestral.html

8月27日(土)19:00 ブルーローズ(小ホール)<室内楽>
演目
・久里洋二×一柳慧:
G線上の悲劇(1969/35mmフィルム、カラー、モノラル)
・松本俊夫×湯浅譲二:
オートノミー《自律性》(1972/16mmフィルム、カラー、モノラル)
・ 飯村隆彦×鈴木治行:
フィルム・ストリップスII-生演奏版(1966-1970/2011、DVCAM、白黒)
ほか
http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2011_chamber.html

いまいち興味を持てない演目もあるけど、上記は必見だろうと思う。「G線上の悲劇」はDVDで観られるけど、「オートノミー《自律性》」は松本俊夫DVDボックスに収録されていないので、是非この機会に。ちなみにこの作品は、波打ち際を撮影したフィックスの映像が、エフェクト機器の設定によって自動的に電子変調されていくという内容。当時はカラーでビデオを録画することが出来なかったので、モニターを16mmフィルムで再撮影して完成させたとのこと。メディアアートの先駆といえるインターメディアやビデオアートの文脈において、自動生成をコンセプト化した作品としては最初期のものであり、その点でも重要。「フィルム・ストリップスII」もDVDになっているが、生演奏版とくれば外せない。ヴィオラの「Déserts」は演奏と一緒に観たかった…観に行ける人は楽しんできてください。観に行けなくてマジで悔しいです。

+25FPS(ありがとうございました)

+25FPSとその他諸々の所用を済ませて北の街に戻る。

ご来場頂いた皆さま、誠にありがとうございました。今回は去年より若干規模が大きくなったので、どういった層のお客さんが来られるのか気になっていたのですが、良い感じに開かれた客層でした。なにしろ観客の多くが若かったことが、希望が持てることだと思いました。

実験映画の典型化の問題、国内特有の狭義の文脈の問題、そこから生じる歴史の使用法の問題…いろいろと言いたかった事柄をどこまで伝えられたのかは心もとない感がありますが、私が言いたかったことをシンプルにまとめると、文化的状況に対して、歴史に対して、制度に対して、形式に対して、様々な意味で開かれた映画/映像芸術の運動を形成してみよう、ということです。ああいった上映に足を運んで下さる観客の方々というのは、意見の違いも含めて信頼できる方々だと思っており、共に協力してゆきたいと思っています。

以下、会場で見かけたスキンヘッズのバンドどこかの野球部員。