『週刊読書人』による柄谷行人氏へのインタビュー「反原発デモが日本を変える」

以下、転載。

「現在のデモは、固定した組織に属さない個人が集まったアソシエーションによって行われています。たとえば、僕ら(長池評議会のメンバー)は50人ほどですが、その種の小さいグループが、いっぱいあると思います。今後も、若い人たちがデモをやるならば、僕は一緒に動きます。」

「昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は代表制(議会)だけでは機能しない。デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。デモなんて、コミュニケーションの媒体が未発達の段階のものだと言う人がいます。インターネットによるインターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。インターネット上の議論が世の中を動かす、政治を変える、とか言う。しかし、僕はそう思わない。そこでは、ひとりひとりの個人が見えない。各人は、テレビの視聴率と同じような統計的な存在でしかない。各人はけっして主権者になれないのです。だから、ネットの世界でも議会政治と同じようになります。それが、この3月11日以後に少し違ってきた。以後、人々がデモをはじめたからです。インターネットもツイッターも、デモの勧誘や連絡に使われるようになった。」

http://associations.jp/archives/59

原発に絡む経済的利害、世代間格差、正社員と非正規の差別など、諸々の分断線によって人々がバラバラに分断された現在の社会状況下で、組織に属さない個人のアソシエーションがいかに可能かは困難な問題ではある。しかしながら最終的に物事が直接行動でしか動かないのは確かだ。デモにしろ、署名にしろ、投票にしろ。そのためには、入り組んだ分断線をまとめて一気に解消しようとするのではなくて、個別に問題を解きほぐして連帯するしかない。例えば、誰だって程度の差はあれ原発のリスクなんて欲しくはない、できるだけリスクを下げたいと思っているだろう。まずはそこを足がかりにして連帯できる可能性を探る。そして、一つの問題が終わったら連帯を解消するといったようなかたちで。ネットはその前段階を準備するものとしてある。できないことはないと思うのだが。

ところで、NHKのニュースサイトにて「福島知事 “辞任は当然”」との見出しをみて、「全くその通りだ、事故前は原発を推進しておいて、事故後は県民を被ばくの危険に晒して、未だに後手後手の対処しか出来ないでいる佐藤雄平知事など辞任して当然だろう」と強く同意した。違った。

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