瀧口修造とマルセル・デュシャン/実験工房の作家たち

「瀧口修造とマルセル・デュシャン/実験工房の作家たち」展を観に千葉へ行く。美術評論家であるよりも以前に詩人であった瀧口修造が、戦後になって物事に対して言葉で意味を与える評論に齟齬を覚え、意味以前の造形の制作(デカマルコニー、吸取紙、バーント・ドローイング)や、オブジェの収集(書斎に開店された架空の店「ローズ・セラヴィ」)へ向かったことはよく知られている。その態度は、言葉の取り扱いについて愚直すぎる程に誠実なものだった。少なくとも美術や映画に対する評論が、その意義はどうあれ、結果的に価値を読み替える一種の話芸に過ぎなくなった現在からすると、その態度——というよりも、その態度を取ることが可能であった時代に対して羨望を覚える。そのような評論の言葉を綴ることへの困難から「造形的実験」への転回へと向かう契機の一つが、1958年のデュシャンとの対面に始まる一連の交流である。この視点から、この展覧会は組まれている。それは、デュシャンの、芸術を自らの存在において失効させるような態度が、瀧口に影響を与えたことを様々な展示から浮かび上がらせるものであった。全体としては時系列に両者の交流が整理されていて、瀧口がどのようにこの交流を「共振」として結実させたか、そのことを考察するよい構成となっている。また、瀧口がデュシャンに送った手紙の文面にどことなく事務的なものを感じたり、瀧口がデュシャンのオブジェの入手に熱心であったことなども、面白い発見であった。

ところで、展示のなかにあった、デュシャンの『グリーンボックス』のような束ねられた本やインサートは、瀧口にとってみれば読み手との邂逅を待機する、意味化される以前のオブジェの束であったといえる。それは『マルセル・デュシャン語録』の出版や、数々のオブジェとしての手作り本に繋がった訳だが、ここで私が瀧口が手がけた諸々の本を観てまず連想したのは、エディションナンバー付きで数百枚程度のみがリリースされる、ノイズ関連のレコード群であった。これも個人的な話だが、今自分が関わっている仕事に関してよいヒントを貰った気がした。

一方、「実験工房の作家たち」だが、こちらは記録写真やモビールの展示など、興味深い資料的要素が満載。『スペース・モデュレーター』が会場の写真と共に展示されていたことで、それらの造形がどのような空間的役割を果たしていたのかが想像できたことや、初めて見るバレエ実験劇場との舞台の記録写真などを見られたのが収穫であった。

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