Tiger Awards Competition for Short Films

愛知芸術文化センターの助成を受けて制作された、牧野貴『Generator』が、ロッテルダム国際映画祭の短編部門のタイガーアワードを獲得した。おめでとう。

Tiger Awards Competition for Short Films
The eighth Tiger Awards Competition for Short Films comprises twenty-one films, ranging in length from five to fifty-six minutes. For its Jury the IFFR welcomed Rania Stephan from Lebanon who’s first feature-length documentary film The Three Disappearances of Soad Hosni screens in the festival; film curator and writer Andréa Picard from Canada, who worked for the Cinematheque Ontario and curated the Wavelengths section of the Toronto International Film Festival; and film critic and screenwriter Dana Linssen from The Netherlands, editor-in-chief of de Filmkrant and contributor to NRC Handelsblad. The Jury handed out the three equal Tiger Awards for Short Film (3,000 Euros) to the winning filmmakers at IFFR venue WORM on Monday evening 30 January 2012.

Generator – Makino Takashi, Japan, 2011
With its impressive soundtrack and hybrid layering, Generator creates an explosive, pulsating experience of an environment on the brink of disaster.

Makino Takashi belongs to the new generation of Japanese experimental filmmakers. While studying at the Nippon University he made several Super-8 films. In 2001 Makino apprenticed with the Quay Brothers. He had his international breakthrough in 2007 with NO IS E. Since then, IFFR has shown several of his movies. In 2008, IFFR honored Makino with a Short Profile.

http://www.filmfestivalrotterdam.com/en/news-2012/short-films-awarded-at-international-film-festival-rotterdam-2012/

一つ言い添えておきたいことは、本作はタイトルから連想されるような震災と原発事故を題材として制作された映画ではなく、3月11日以前から同タイトルにて空撮が進められていた映画であり、結果的に作家の意図を超えて社会的な文脈を付与されることになったという事実である。詳しくは作家本人の言葉( http://makinokino.exblog.jp/16956097/ )と、愛知芸術文化センター「アートフィルム・フェスティバル」のパンフレットに寄せたエッセーを参照してほしい。

ところで現実と芸術の関係についての話になるが、私は現実に追従するようにして――要するに震災と原発事故という現実に追従するようにして――それを作家の名において作品化したような作品群に対しては、正直なところ、すっきりしない思いを抱えてしまう。制作することの意味を自らの内面において否定の危機にさらすこともなく、作家活動という営為を繰返すのであれば、そこに作家の主体は存在しないだろう。これは、「作品のなかに原発に対する反対、もしくは賛成のメッセージを詰め込むべき」というレベルの話ではないし、「芸術は社会的に役に立たないから素晴らしい」という素朴な話でもない。これは重大な現実に直面した時に、作家が、外からやってくる否定のプロセスに対してどのようにして耐えるのかという問題であるように思う。

Advertisements

+Vienna

+Vienna
http://plusscreening.org/?category_name=news

2012年2月16日(木)
19:00開場
19:30開演
料金:一般 2,000円+ ドリンクオーダー
学生:1,500円+ ドリンクオーダー
@晴れたら空に豆まいて 東京・代官山 http://mameromantic.com/

2011年に開催したアメリカ特集、クロアチアの映画祭とのコラボ上映に引き続き、今回はウィーンを特集します。ウィーンを代表する映像作家、ヨハン・ルーフ(http://www.johannlurf.net/en/)の来日に合わせ、彼の作品の上映及び、彼のセレクトによる作品を多数上映します。古くから音楽の都として栄えたウィーンから届いた作品群は、伝統とエレクトロニクスの融合とも言える革新的なものばかり。上映前には、ヨハンの作品に理解の深い波多野敦子さん(triola)によるライブも有ります。映像と音楽、アナログとデジタル、伝統と今を問いただす、クリエイティブな夜に是非ともお越し下さい!!!

ライブ:
波多野敦子 (triola)  http://hatanoatsuko.com/

上映:
ヨハン・ルーフ特集(作家挨拶あり)/Focus on Johann Lurf (in person)
・untitled (2003) 3min.
・pan (2005) 2min.
・VERTIGO RUSH (2007) 19min.
・12 Explosions (2008) 6min.
・* (2009-2012) 4min.
・A to A (2011) 5min.

ヨハン・ルーフセレクトによるウィーン特集/Films from Vienna
・Anna Artaker – 48 Köpfe aus dem Merkurov Museum (2011) 5min.
・Georg Tiller – Vargtimmen – After a Scene by Ingmar Bergmann (2010) 6min.
・Christoph Freidhöfer – War of Worlds (2009) 3min.
・Stefan Zlamal – we don’t (2010) 3.5min.
・Norbert Pfaffenbichler, Lotte Schreiber – 36 (2001) 2min.
・Tina Frank – Chronomops (2005) 2min.
・Ella Raidel, Hongjohn Lin – Somewhere, late afternoon… (2007) 11min.
・Leopold Kessler – Augarten (2008) 11min.
・Björn Kämmerer – Aim (2005) 2min.
・Björn Kämmerer – Escalator (2006) 3min. 16mm
・Thomas Korschil – Sunset Boulevard (1991) 8min. 16mm
・Sigi Fruhauf – Höhenrausch (1999) 4min. 16mm

企画:[+]

感謝:恵比寿映像祭 http://www.yebizo.com/
オーストリア文化フォーラム・東京 http://austrianculture.jp/

2月にヨハン・ルーフの来日に合わせて、彼の作品集と、ヨーロッパの実験映画における中心地のひとつであるウィーンの実験映画特集が行われます。牧野とヨハンの長年の交流によって実現したといえる催しですので、是非お越し下さい。

篠原眞電子音楽演奏会

2012/1/8
東京 門仲天井ホール

年の初めに「篠原眞電子音楽演奏会」に足を運んでみた。この日の演目は『To Rain and Wind B for 21-string koto and electronics』を除いて、全てテープ作品の上演であった。ここではテープ作品に限って述べてみたい。演奏者が存在しており、箏の演奏にリアルタイムで電気的変調を加える『To Rain and Wind B』について述べることは、自分には少々手に余るので割愛する。

まず、演目は『Visions I』と『Memoires』によって始まった訳だが、これらはいずれもケーニッヒが所長を勤めていたユトレヒトのソノロジー研究所において制作されたテープ作品である。無人のステージ上には、マルチチャンネルのスピーカーのみが並ぶ。その薄暗い空間で、テープ作品が上演される。『Visions I』は素材となる電子音を作成・変調して構成した、初期の電子音楽らしい作品であり、ノイズ的な激しい箇所もあって平板な構成に終始することはない。篠原眞のインタヴューを読んでいると、GRMでミュージック・コンクレートを学んだ経歴が、彼の電子音楽の作品に、大きな影響を与えたようにみえる。この作家において狭義の電子音楽作品は『Visions I』くらいなもので、他の多くの作品では、何らかの形で具体音による構成が行われている。

『Memoires』は、『Visions I』の素材電子音のレイヤーに、新たに日常空間で採取された具体音のレイヤーを加えて、統合的に構築を行った作品である。その緻密な電子音と具体音の配置は、前作と比べても圧倒的に面白く、この作家にとって(電子音楽の作品に限っていえば)具体音の構築こそが主な関心事であったことが伺える。この2作品の上演はスタッフの丁寧な準備によって最良の再生環境が整えられていたために、いずれもCDで聴くより生々しい印象を受けた。

『Personnage』は、人体から発される具体音を素材として、電気的変調を加えて構成したテープ作品であるが、こちらはパントマイムによる、舞台上での視覚的イメージを併行させる形式での上演だった。この上演を実際に観て思ったことは、当然な話だが、演劇性をとても強く感じるということだった。念のために付け加えると、個人的には全く未知の領域であるパントマイムの演技を間近で観られたこともあって、上演そのものは大いに楽しんだのであるが。ただ、この日のコンサートに限らない一般論なのだが、音楽の上演に視覚的イメージを伴わせるケースにおいて、音楽家が演劇的演出を意図すること――それは舞台芸術に付き纏うある種の束縛を呼び込むケースが多いのではないか、とも思った(視覚的イメージの併用は『City Visit』についても同じなのだが、こちらは恐らく別の問題が絡んでくる)。

『Broadcasting』はNHK電子音楽スタジオで制作されたテープ作品で、ある一日のラジオ放送のサウンドそのものを素材として、かなり積極的に電気的変調を加えたものである。ザラザラした質感を持ったサウンドが、断片的にコラージュされてゆく。本作を偏愛するノイズ愛好家の方々もいることだろう。この作品について、作家は電気的変調による素材の主観化と説明したが、この対極にあるのは『City Visit』であると言えよう――それは作家の言葉によれば「事実性の尊重」である。

という訳で、この日最後の演目である『City Visit』となる。本作はマンハッタンで採取されたサウンドを素材としたテープ作品だが、今回はマンハッタンのスライド写真の上映と同時並行して、第一部・第二部を続けて上演するという形がとられた(スライド上映なしでも上演可能らしい)。本作でのスライド上映について、作家は補助的なコメント以上の役割はないと解説するが、コメントであるとの説明を差し引いても、奇妙な構造を持った作品であると思った。ある場所において採取されたサウンドの編集ということなら、このプロセスにおける「事実性」とは映画のフィルム編集に近い性質を持つものであるといえる(この作品では、サウンドに電気的変調は加えられていない=もとの空間を聴覚的にイメージすることが可能である)。

実際のところ、本作でのスライド上映は極めて映画的な、スクリーンにおける象徴的役割を与えられている。しかしそれは、音楽との間に絶対的な関係を持つものではない。ここで聴かれるサウンドは、スライドの場所を絶対的に指示するものではない(言い換えるならば、正確な再現を指向するものではない)。それよりも本作は、スライド上映(視覚的イメージ)と音楽のあいだに、不安定な関係を結ばせることを試みている。現実と非現実の狭間といっても良いだろう。微細な日常空間のサウンドが一つの大きな房のように重ね合わされ、推移する。それはフィルム編集におけるディゾルブのようであり、都市の風景を、聴覚的に異化する。本作は現実の空間を、聴覚上の空間として異化するものであったといえる(その場合、採取されたサウンドの構成と配置こそが異化のプロセスである)。その異化を明確化するための役割を、スライド上映による視覚的イメージが果たしていたといえよう。となると、音楽的な甘美さにおいて本作を受容するのではなく、その異化を知覚することこそが、この作品が持つ可能性であるように思えてくる。 このような知覚とは、スクリーン上において視覚的イメージと音を、統合され同期されたものとして、もっともらしく再現しようと偽る「映画」の構造とは対極的なものである。