メディアの固有性

「デジタル復元における三色分解を用いた映像の長期保存——映画『銀輪』の場合」(日本写真学会誌 2011年74巻1号、pp4-11)という論文を読む。これは松本俊夫の『銀輪』(1956)をケーススタディとして、フィルムの長期保存の方法を探るというものである。なかなか興味深かったので、少し詳しく書いてみたい。

まず、デジタル修復までのプロセスは以下。

35mmネガ>35mmマスターポジ>デジタルスキャン(4K)>デジタルデータを2Kに落とす>デジタルデータ修復(パラ消し、キズ除去、位置補正、フリッカーの安定化、カラーコレクション)

そして、「デジタルデータ修復」以降は3つのプロセスが試される。

1「従来のデジタル復元版」:デジタルデータを35mmカラーネガにレコーディング(2K)し、上映用プリントを起こす

2「三色分解アナログ合成版」:デジタルデータをRGBに三色分解し、その濃淡情報を3本のモノクロネガフィルムにレコーディング>その3本のモノクロネガをオプチカル合成によってカラー化>35mmカラーネガにレコーディング(2K)して、上映用プリントを起こす

3「三色分解デジタル合成版」:デジタルデータをRGBに三色分解し、その濃淡情報を3本のモノクロネガフィルムにレコーディング>その3本のモノクロネガを再びデジタルスキャン(4K)し、その4Kのモノクロデータを2Kに落としたうえでデジタル合成によってカラー化>35mmカラーネガにレコーディング(2K)して、上映用プリントを起こす

そして、この3つのプリントを比較して、「従来のデジタル復元版」よりも、「三色分解アナログ合成版」と「三色分解デジタル合成版」の方が画質の点で勝っており、特に「三色分解アナログ合成版」が最も良い画質であった事が述べられる。

そして、「映像の長期的な保存は、けっして最新のデジタル技術だけで解決する事はできない」と結論付けられる。また、長期的な保存においてはデジタルよりもフィルムの方が適しているとの見解が参照され、フィルム技術と機材・薬品の継承が重要であるとして締めくくられる。

以上が論文の大まかな流れである。(「三色分解デジタル合成版」のプロセスは三色分解デジタルデータをアナログ媒体に焼き直して、再びデジタルスキャンして合成し、またアナログ媒体に焼き直すということで、2回も余計なデジタル/アナログ変換を行っている訳だが、これは「三色分解アナログ合成版」のオプチカル合成が将来的に出来なくなった時のためのものらしい。奇異なプロセスに見えるが、これはいわば代替案であろう。)

思った事について述べる。このケーススタディでは、最初から映画をフィルムで観るということが枠組みとして決定されている。その上で、三つの方法が試されている。このこだわりも、フィルムによるメディア経験の必要性を根拠としているのであれば理解できないこともない。そして、この枠組みのなかで「従来のデジタル復元版」よりも「三色分解アナログ合成版」の方が画質が良かったというのも、検証の方法にもよるがあり得るだろう。そして、オプチカル合成が将来的に出来なくなって「三色分解アナログ合成版」を作る事が出来なくなった場合には、デジタル/アナログ変換を繰り返すことになる「三色分解デジタル合成版」という代替案が取られる訳だが、これをフィルムによるメディア経験を高画質で伝えるためには致し方ないこと——として捉えるならば、確かにそれはベターな方法となるのだろう。

ただし、やはり違和感もある。私もフィルム技術と機材・薬品の継承が重要であるという点には賛同するが、それは文化的な意義においてそう思うのであり、画質や映像の長期保存の点においてもフィルムは優位にあると本ケーススタディから主張するのには、少々疑問を感じてしまう。たとえ戦略的な言説であったとしても、やはり前提の立て方が少し違うのではないかと。その前提に拠るのであれば、4Kデジタルデータを修復して、そのままDLP上映したものとの比較を行わなければならないだろう。

それよりもフィルムに関わる映画技術とそのメディア経験には、それ自体で文化的、または歴史的な意義がある、だからこそ保存する必要があると主張する方が良いのではないかと思う。実験映画の領域には、フィルムおよび映写機やスクリーンといった映画の制度をコンセプト化した構造映画と呼ばれる作品群があるが、こういった作品群に強い関心を抱く身としては、そもそもフィルムの価値とは、画質や保存性の優劣競争とは異なるところにあると思えてくる訳です。もしかしたら、そういったことを踏まえての、敢えての戦略的身振りかもしれないが。

KINEMA NIPPON キネマ・ニッポン東京上映会

KINEMA NIPPON
キネマ・ニッポン東京上映会
http://www.imageforum.co.jp/cinematheque/958/index.html

キネマ・ニッポンとは、日本の実験映画、ビデオアート、古典映画などを選出し、世界中の都市でアート施設や団体と協力し上映を行なう、東日本大震災の救済募金活動を目的とした企画です。洞察力に富んだ日本の映画作品やビデオ作品を賛美し共有することにより、この困難な時期にキネマ・ニッポンが媒体となって映像における分解式を集結させ、活性化させていきます。アメリカで集められた全ての寄付金は日米協会の震災救済基金を、ヨーロッパでは日独協会を通して寄付されます。
(キネマ・ニッポン企画・制作 愛理・ナッシュ、ニーン・山本・マッソン)

日付:3/18
当日:1,000円(入替制・ただし19:00からのディスカッションは無料)
タイムテーブル:Nippon Re-Read 1/16:00 Nippon Re-Read 2/17:30 ディスカッション/19:00

プログラム
Nippon Re-Read 1(16:00~)
ホワイト・カリグラフィ Re-Read 飯村隆彦/ビデオ/12分/1967
Still in Cosmos 牧野貴/ビデオ/18分/2009
See-Sea-Saw 鈴木余位他/16mm/10分/2010
Lika(Licre) Stom Sogo/ビデオ/26分/2007
Down the Line 能瀬大助/16mm/2.5分/2000
(68分)

Nippon Re-Read 2(17:30~)
Shibuya-Tokyo 西川智也/16mm/10分/2010
Tokyo-Ebisu 西川智也/16mm/5分/2010
鍵 園田枝里子/8mm/6.5分/2005
つぶれかかった右眼のために 松本俊夫/16mm/12分/1969
シノノメ オモゴ イシヅチへ 狩野志歩/ビデオ/15分/2008
12月の記憶 田巻真寛/16mm/6.5分/2007
ラジオ体操の時間 能瀬大助/ビデオ/11.5分/2003
(67分)

作家とのディスカッション・Q&A(19:00~)

イメージフォーラム3Fにて、キネマ日本と題されたプログラムの日本巡回上映会が催される。そこで、松本俊夫の『つぶれかかった右眼のために』が16mm三面マルチにて上映されるそうだ。この作品、DVDでは一画面に合成されたバージョンが収録されているが、本来の三面マルチ上映はあまり行われないので、この機会に参加してみてはどうか。DVDで一画面バージョンを観ることと、スクリーンで三面バージョンを観ることは、かなり意味合いが異なる。
また、このプログラムにおいて大御所と呼べる世代の作家は松本・飯村のみであり、その他は日本の若手の実験映画作家が集結してるので、新旧の作品を比較して、それぞれの時代における実験性の違いを見い出せるはずだ。

吉本隆明氏の死去

吉本隆明が亡くなった。自分の場合は花田清輝との論争への関心から、氏の著作に触れた。両名の言説の差異は、50年代から60年代にかけての芸術・文化を考えるうえで、欠かすことが出来ず、それは社会的な運動性をどう把握するのかという問題だったように思う。ご冥福をお祈りします。

『戦後の思想界を代表する論客として1960年代の学生運動や多くの知識人に影響を与えた評論家で詩人の吉本隆明さんが、肺炎のため、16日午前2時すぎに東京都内の病院で亡くなりました。87歳でした。』(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120316/t10013761031000.html

ところでNHKが浅田彰からコメントとっているのが、少し意外だった。

デモ


思うところあって、デモに参加した。原発問題そのものに関係のない団体のノボリは少なく、参加者にも極端な人はみられず、気持ちよくデモに加わることが出来た。まあ、あまり叫んだりもせず歩いただけだが。歩いてみて思ったのだが、「とりあえず体制と激しく対立するぜ」みたいなカウンターカルチャー的なノリが薄く、警官が信号などで親切に親子連れを誘導していたのも印象的だった。それでいいのだと思う。問題はシンプルなのだから、その主張ただ一点に活動を絞り込むべきだ。

追記:
今日においては原発に関わる運動は、推進側であろうと反対側であろうと、イデオロギーとしては無効化している。現在において原発に対して何らかの主張を示すこととは、結局のところ、その主張者個人のメリット/デメリットの反映に過ぎない。原発を維持したい人々がその様に主張するのは、それが彼らにとってメリット(経済効率)に結びつくからだ。同様に原発に反対する人々の主張も、彼らにとってデメリットがメリットを上回るからだ。線量の高い地域にとどまって暮らす人々の判断もまた、メリットとデメリットの比較によって出された一つの(困難な)回答である。

あらゆる主張の背後に存在するものは、個人の立場や事情においてのメリット/デメリットの判断——平たくいえば損得判断である。だから、もう、それぞれが好きなように勝手にやればいいのだと思う。なので今後は自分も、自分の損得判断に従って、デモに参加する。これは原発を再稼働することでメリットの方が大きくなると考える層と、デメリットの方が大きくなると考える層の対立である。得をする層と、損をする層の対立である。

だからといって自分は「何としても原発を止めねば」と決意みたいなものを抱えたり、エコとか平和運動とか何かのイデオロギーに立脚している訳ではない。ただ、原発事故の原因と現状が確認不能な段階で、原発をめぐるメリット/デメリットを秤にかけてみて、自身の立場や事情に照らし合わせてみて、潜在的なデメリットの方が圧倒的に大きいので、反対する方が自分にとって得策だと判断したから反対しているだけである。とても利己的な話だ。だって、あいつらだってそうしてるだろ?

再稼働問題の結果は、各層の行動の結果によって、必然的な形で現れてくる。別に結果に対して期待も失望もしない。

原発・民間事故調報告書について

原発・民間事故調報告書についての下村健一(@ken1shimomura)さんのツイート。大変興味深いので転載。

下村健一 ‏ @ken1shimomura
民間事故調が一昨日公表した、原発事故の検証報告書を巡る報道…ツマミ喰いは各メディアの自由だけど、《正しく認識せねば、正しい再発防止策は導けない》という意味では、この全体イメージの歪み方は本当にマズい。同事故調に全面協力した者の1人として、明日以降、順次ここでコメントしたい。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175253511217487872

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【原発・民間事故調報告書/1】400頁以上の大部、日々少しずつ精読中。3章「官邸の対応」、4章「リスクコミュニケーション」、付属資料「最悪シナリオ」の部分を中心に、コメントしていきたい。目的はただ一つ、微力ながらも《本当に有効な再発防止策》に近づく為。立ち会った者の責任。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175972226506559488

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/2】まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175972283779780609

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/3】私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175972480681381889

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/4】実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175972630229291008

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/5】それが、3・11当日の総理執務室の現実。確かに、こういう張り詰めた時の菅さんの口調は、慣れていない者を委縮させる。それは30年前の初対面の頃から感じていた問題。しかし、「だって怖かったんだもん…」という幼稚園のような言い訳が、国家の危機の最中に通用していいのか?
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175972712978714625

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/6】この部分、他の証言も総合して、報告書はこうまとめている。「菅首相の強い自己主張は、危機対応において物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を委縮させるなど心理的抑制効果という負の面の両方の影響があった。」 この評価、私も同感。《以下明日以降》
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/175972793651961856

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/7】報告書P.77「官邸が電源車を用意手配したにも関わらず、11日夜から12日にかけて電源車に繋ぐコードが無い等の報告があり…」⇒これ、私も見ていた通り。この文から2つの事が判る。つまり、総理室詰めの技術陣は電源車の手配にも即応できず(だから「官邸」が手配)、更に…
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/176350926196584449

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/8】「電源車が現場に到着したら、電気を原発側に送るコードが要る」ことにも前もって1人も気付かなかった。この後も、こうしたトホホは信じ難いほど続く。当時の私のノートの走り書きより:「うつむいて黙り込むだけ、解決策や再発防止姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者」
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/176350986787487744

下村健一 ‏ @ken1shimomura
【民間事故調/9】一方でノートにはこんな殴り書きも。「Kに冷却水が必要」…Kとは菅さんのこと。危機が刻々募る中、技術陣の無様さに、次第に総理のテンションが高じていったのも事実。あそこは優しく彼らの硬直を解いてあげるのがリーダーの務め。…私がその立場でも、それができた自信は無いが。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/176351055137882114

下村健一
‏ @ken1shimomura
【民間事故調/10】自分だけ冷静だったように振り返るのはフェアじゃないから、正直に言う。私自身、あの時は人生最大の緊張状態にいた。眼を合わせない専門家さんに、「頼むから、1つの作業が始まったら、次に何を備えなきゃいけないか、先回りして考えて下さい!」と懇願したのを覚えている。
https://twitter.com/#!/ken1shimomura/status/176351114952851457