デモ


思うところあって、デモに参加した。原発問題そのものに関係のない団体のノボリは少なく、参加者にも極端な人はみられず、気持ちよくデモに加わることが出来た。まあ、あまり叫んだりもせず歩いただけだが。歩いてみて思ったのだが、「とりあえず体制と激しく対立するぜ」みたいなカウンターカルチャー的なノリが薄く、警官が信号などで親切に親子連れを誘導していたのも印象的だった。それでいいのだと思う。問題はシンプルなのだから、その主張ただ一点に活動を絞り込むべきだ。

追記:
今日においては原発に関わる運動は、推進側であろうと反対側であろうと、イデオロギーとしては無効化している。現在において原発に対して何らかの主張を示すこととは、結局のところ、その主張者個人のメリット/デメリットの反映に過ぎない。原発を維持したい人々がその様に主張するのは、それが彼らにとってメリット(経済効率)に結びつくからだ。同様に原発に反対する人々の主張も、彼らにとってデメリットがメリットを上回るからだ。線量の高い地域にとどまって暮らす人々の判断もまた、メリットとデメリットの比較によって出された一つの(困難な)回答である。

あらゆる主張の背後に存在するものは、個人の立場や事情においてのメリット/デメリットの判断——平たくいえば損得判断である。だから、もう、それぞれが好きなように勝手にやればいいのだと思う。なので今後は自分も、自分の損得判断に従って、デモに参加する。これは原発を再稼働することでメリットの方が大きくなると考える層と、デメリットの方が大きくなると考える層の対立である。得をする層と、損をする層の対立である。

だからといって自分は「何としても原発を止めねば」と決意みたいなものを抱えたり、エコとか平和運動とか何かのイデオロギーに立脚している訳ではない。ただ、原発事故の原因と現状が確認不能な段階で、原発をめぐるメリット/デメリットを秤にかけてみて、自身の立場や事情に照らし合わせてみて、潜在的なデメリットの方が圧倒的に大きいので、反対する方が自分にとって得策だと判断したから反対しているだけである。とても利己的な話だ。だって、あいつらだってそうしてるだろ?

再稼働問題の結果は、各層の行動の結果によって、必然的な形で現れてくる。別に結果に対して期待も失望もしない。

Advertisements