デモの是非

6/29の官邸前抗議終了直後に、道路に溢れた数万人の群衆の状況が不安定化しかけた時の映像。この瞬間は、おそらく震災・原発事故以降の日本を振り返った時に、ひとつの重要なポイントになり得るだろう。抗議の意思を持った群衆は、今の時代において、自分たちの条件にあった方法を試そうとしている。一昨日の大飯原発抗議の映像も、いろんな印象を持った人がいるだろうが、条件は異なれど本質的には同じものの延長線上にあると思う。

ところで、これだけデモの動きが目立つようになってくると、デモの是非を問う様々な言説がネットに溢れるようになってくる訳だが、それらは首肯せざるを得ないものから、どうでもいいものまで千差万別である。そして、後者は大体においてポジショントークかメタポジトークとなっている。以下は自分勝手な定義。

・今、自分がいるポジションに最適化されたことを言う:ポジショントーク
・「ああも言える、こうも言える」という超越的(中間的)なポジションを取る:メタポジショントーク(メタポジトーク)

ポジショントークでは自己についてのメタ的反省は得られない。メタポジトークは超越的ポジションを保持するために、メタ合戦や、レッテル張りや、結果としての傍観に至ってしまう。この二つに陥らない態度は、どうすれば可能なのか…要するに、自分のポジションに開き直ってしまわないで、そのうえで社会的立場も含めた自己のことは、自分では決して計れないと認めることが、どうすれば可能となるのか。そんなことを考えながら、ネットを検索。デモの是非についての、ポジショントークでもなく、メタポジトークでもない言説を探して。

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