ギャラリーコンサート「松本俊夫の映画音楽」の報告

去る10月14日、久万美術館において、「白昼夢 松本俊夫の世界」の関連イベントとしてギャラリーコンサート「松本俊夫の映画音楽」が催された。

松本俊夫の実験映画に付けられた音楽は、どれもひとつの作品としても独立して聴ける程に完成されているのに、いまいち陽が当たっておらず、映画のついでに語られる程度のような気がして、『日本の電子音楽』の著者として知られる川崎弘二氏に今回のイベントをお願いすることになった。


コンサートに先立って行われたワークショップ「松本俊夫作品における映画音楽の作り方」では、コンサートの音響を担当して頂く能美亮士氏が持ち込んだテープエコー(Roland Space Echo RE-201)やオープンリールを使用して、テープ音楽の技法的な解説が行われた。その後、ワークショップ参加者の皆さんが鋏と物差しを使いながら、無作為に選ばれたテープを繋ぎ合わせるという『白い長い線の記録』で用いられた制作プロセスを体験してゆく。作品の受容において技術の理解は不必要であるという意見もあるだろうが、このようにテープ音楽の初歩的な制作プロセスをある程度体験することで、初めて実感できる部分が存在することも確か。それは作家が体験したと思われるプロセスを追体験するなかで、当時のメディアに固有な特性、すなわち限界や制限を、多少なりとも理解することに他ならないと思う。そのような限界や制限こそが作品を媒介したのだと言えるのだから、それらを追体験することも、また有意義だろう。そんなに固く考えなくともワークショップは工作的で楽しいものだった。こうしてワークショップを終えた我々は展示室内に移動して、川崎氏のプレトークを聴いてから、5台のスピーカーに囲まれて「松本俊夫の映画音楽」に対峙することになる。




今回、私はこれらのスピーカーをセッティングするリハーサルを見学することができたのだが、1chから5chまで、楽曲ごとにバラバラなチャンネル数のパラ音源をどのように配置するかという決定プロセスは、見学していて、とても興味深いものだった。また、能美氏は今回のコンサートのためにスピーカーやアンプは勿論のこと、5chの自作ミキサーまで持参しておられ、この領域に関わる人間の凄さを垣間見た気がした。上演曲目は以下の通り。

湯浅譲二作曲
「『白い長い線の記録』の音楽」
「ホワイト・ノイズによる『イコン』」
「スペース・プロジェクションのための音楽」

一柳慧作曲
「『色即是空』の音楽」
「『エクスパンジョン』の音楽」

まずは前半、湯浅譲二の作品が3曲続く。器楽音をもとにしたテープ作品である「『白い長い線の記録』の音楽」は、グラフィカルな視覚的表現が追求された本編の映像なしで聴くと、テープ加工された器楽音のバリエーションに改めて驚かされた。

「ホワイト・ノイズによる『イコン』」は、シャープなホワイトノイズを緻密に配置・構成したテープ作品であり、本日の上演作品のなかで、楽曲が先に発表された唯一の作品である。この作品は1969年に代々木体育館で開催された「クロス・トーク/インターメディア」のプログラムのなかで、拡張映画/インターメディア作品である松本俊夫の『イコンのためのプロジェクション』と併せて上演されている。『イコンのためのプロジェクション』の記録が殆ど残っていないので、その時の状況は想像するしかないが、能美氏の入念なセッティングによって、5chによる空間的な拡がりを感じ取ることが出来たように思う。

「スペース・プロジェクションのための音楽」は大阪万博せんい館での『スペース・プロジェクション・アコ』のためのテープ作品である。別室で展示されている『スペース・プロジェクション・アコ』の記録映像と切り離して、音のみに聴き入ると、複雑に構成された緊張感のある音の断片に、改めて圧倒される。特に引き延ばされた持続音に電子変調された人声が突然差し込まれたり、後半の激しい電子音のパルスが連続する辺りの展開が素晴らしいと思えた。

後半は一柳慧の作品となるが、緊張感のなかで激しさと静寂が配置されていた湯浅作品とは異なり、かなり異色な楽曲が並ぶ。「『色即是空』の音楽」は、拍子木のリズム、祭り囃子、シタール演奏、チープな電子音といった素材音源が重ね合わされ、緩やかに移行してゆくテープ作品である。激しいフリッカーを伴う本編の映像と併せて観ると、かなり強烈な眩暈を引き起こすサイケデリックな作品なのだが、音のみに聴き入ると、かなりシンプルかつポップな作品であったことに気付かされる。最小限のコラージュしか行っていないのに、素晴らしいトリップ効果を上げていると言っては褒めすぎだろうか。

そして最後は「『エクスパンジョン』の音楽」である。この作品は、もう現代音楽なのかどうかなんてどうでも良くなってくる、グダグダのジャーマンロックのような楽曲である。しかし、サイケデリックなだけの異色作という訳ではなく、バンド演奏に折り重ねられた空間を埋め尽くすような電子音の集積などは、テープ音楽の一種として聴くとなかなか面白いと思う。最後の締めとしても最適だったのではないだろうか。

コンサート全体を振り返ってみると、もちろん映画とはイメージとサウンドが別物でありながら重ね合わされることに大きな意味がある訳だが、今回は敢えてイメージから音楽を独立させることが試みられていたのだと言える。それによって音楽そのものの姿が明確になり、翻ってその楽曲が映画に付けられていることの意味——映画に対する音楽の位置を考え直す契機になったのであれば幸いです。

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