国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメント

達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利に関する
国連人権理事会特別報告者アナンド・グローバー
訪日期間:2012 年11 月15 日~26 日
http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/

国連人権理事会による報告。正論過ぎて泣けてくるわ。「達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利」なんて優先されないんだよ、日本社会では。以下、特に気になった部分を引用。アンダーラインは、私が強く首肯した部分。大体みんな同じところで首を縦に振っていると思うが。

年間20 mSv という基準値は、1972 年に定められた原子力業界安全規制の数字と大きな差があります。原子力発電所の作業従事者の被ばく限度(管理区域内)は年間20 mSv(年間50 mSv/年を超えてはならない)、5 年間で累計100mSv、と法律に定められています。3 ヶ月間で放射線量が1.3 mSv に達する管理区域への一般市民の立ち入りは禁じられており、作業員は当該地域での飲食、睡眠も禁止されています。また、被ばく線量が年間2mSv を超える管理区域への妊婦の立ち入りも禁じられています。

ここで思い出していただきたいのは、チェルノブイリ事故の際、強制移住の基準値は、土壌汚染レベルとは別に、年間5 mSv 以上であったという点です。また、多くの疫学研究において、年間100 mSv を下回る低線量放射線でもガンその他の疾患が発生する可能性がある、という指摘がなされています。研究によれば、疾患の発症に下限となる放射線基準値はないのです。

残念ながら、政府が定めた現行の限界値と、国内の業界安全規制で定められた限界値、チェルノブイリ事故時に用いられた放射線量の限界値、そして、疫学研究の知見との間には一貫性がありません。これが多くの地元住民の間に混乱を招き、政府発表のデータや方針に対する疑念が高まることにつながっているのです。これに輪をかけて、放射線モニタリングステーションが、監視区域に近接する区域の様々な放射線量レベルを反映していないという事実が挙げられます。その結果、地元住民の方々は、近隣地域の放射線量のモニタリングを自ら行なっているのです。訪問中、私はそうした差異を示す多くのデータを見せてもらいました。こうした状況において、私は日本政府に対して、住民が測定したものも含め、全ての有効な独立データを取り入れ、公にすることを要請いたします。

自分の子どもが甲状腺検査を受け、基準値を下回る程度の大きさの嚢胞(のうほう)や結節の疑いがある、という診断を受けた住民からの報告に、私は懸念を抱いています。検査後、ご両親は二次検査を受けることもできず、要求しても診断書も受け取れませんでした。事実上、自分たちの医療記録にアクセスする権利を否定されたのです。残念なことに、これらの文書を入手するために煩雑な情報開示請求の手続きが必要なのです。

政府は、原子力発電所作業員の放射線による影響のモニタリングについても、特に注意を払う必要があります。一部の作業員は、極めて高濃度の放射線に被ばくしました。何重もの下請け会社を介在して、大量の派遣作業員を雇用しているということを知り、心が痛みました。その多くが短期雇用で、雇用契約終了後に長期的な健康モニタリングが行われることはありません。日本政府に対して、この点に目を背けることなく、放射線に被ばくした作業員全員に対してモニタリングや治療を施すよう要請いたします。

また、日本政府は、土壌汚染への対応を進めています。長期的目標として汚染レベルが年間20 mSv 未満の地域の放射線レベルは1mSv まで引き下げる、また、年間20~50 mSv の地域については、2013 年末までに年間20 mSv 未満に引き下げる、という具体的政策目標を掲げています。ただ、ここでも残念なのは、現在の放射線レベルが年間20 mSv 未満の地域で年間1mSv まで引き下げるという目標について、具体的なスケジュールが決まっていないという点です。更に、他の地域については、汚染除去レベル目標は、年間1 mSv を大きく上回る数値に設定されています。住民は、安全で健康的な環境で暮らす権利があります。従って、日本政府に対して、他の地域について放射線レベルを年間1mSv に引き下げる、明確なスケジュール、指標、ベンチマークを定めた汚染除去活動計画を導入することを要請いたします。汚染除去の実施に際しては、専用の作業員を雇用し、作業員の手で実施される予定であることを知り、結構なことであると思いました。しかし、一部の汚染除去作業が、住人自身の手で、しかも適切な設備や放射線被ばくに伴う悪影響に関する情報も無く行われているのは残念なことです。

また、日本政府は、全ての避難者に対して、経済的支援や補助金を継続または復活させ、避難するのか、それとも自宅に戻るのか、どちらを希望するか、避難者が自分の意志で判断できるようにするべきです。これは、日本政府の計画に対する避難者の信頼構築にもつながります。

訪問中、多くの人々が、東京電力は、原発事故の責任に対する説明義務を果たしていないことへの懸念を示しました。日本政府が東京電力株式の大多数を所有していること、これは突き詰めれば、納税者がつけを払わされる可能性があるということでもあります。健康を享受する権利の枠組みにおいては、訴訟にもつながる誤った行為に関わる責任者の説明責任を定めています。従って、日本政府は、東京電力も説明責任があることを明確にし、納税者が最終的な責任を負わされることのないようにしなければなりません。

訪問中、被害にあわれた住民の方々、特に、障がい者、若い母親、妊婦、子ども、お年寄りなどの方々から、自分たちに影響がおよぶ決定に対して発言権がない、という言葉を耳にしました。健康を享受する権利の枠組みにおいては、地域に影響がおよぶ決定に際して、そうした影響がおよぶすべての地域が決定プロセスに参加するよう、国に求めています。つまり、今回被害にあわれた人々は、意思決定プロセス、さらには実行、モニタリング、説明責任プロセスにも参加する必要があるということです。こうした参加を通じて、決定事項が全体に伝わるだけではなく、被害にあった地域の政府に対する信頼強化にもつながるのです。これは、効率的に災害からの復興を成し遂げるためにも必要であると思われます。

日本政府に対して、被害に合われた人々、特に社会的弱者を、すべての意思決定プロセスに十分に参加してもらうよう要請いたします。こうしたプロセスには、健康管理調査の策定、避難所の設計、汚染除去の実施等に関する参加などが挙げられるでしょう。

この点について、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が2012 年6 月に制定されたことを歓迎します。この法律は、原子力事故により影響を受けた人々の支援およびケアに関する枠組みを定めたものです。同法はまだ施行されておらず、私は日本政府に対して、同法を早急に施行する方策を講じることを要請いたします。これは日本政府にとって、社会低弱者を含む、被害を受けた地域が十分に参加する形で基本方針や関連規制の枠組みを定める、よい機会になるでしょう。

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爆音3D映画祭/『2012 act.5』ライヴ上映+『Still in Cosmos』

爆音3D映画祭
牧野貴『2012 act.5』ライヴ上映+『Still in Cosmos』 
※フィルターによる3D化

『2012 act.5』とは、初夏の爆音映画祭でも上映&演奏された『2012 act.3』の続き。 続編ではなくて、上映されるたびに再編集、追加されて2012 年を成長し続け、2012年が終わった時点で完成、という作品。「act.5」とは今年5回目の上映ということ。当然、監督本人によるライヴ演奏も。それに加え、入場時に配布される フィルターを目の前にかざすことにより、作品の見え方が大きく変化する、その立体感と変容の具合もお楽しみくださいとのこと。09 年の作品『Still in Cosmos』も、やはりフィルターで一気に見え方が変容。その困惑と混乱とカオスの宇宙の中に、再度引き込まれることになるでしょう

11月14日(水曜日)21:30-22:30
吉祥寺バウスシアター
料金2,000円

牧野貴の『still in cosmos』と新作『2012.act.5』が、11月14日に吉祥寺バウスシアターにて通常上映ではなく3Dによって上映される。これを先取りしたといえる試みは、今年2月のイメージフォーラムシネマテークで行われた、ヨハン・ルーフの特別講義(「映像作家ヨハン・ルーフによる3Dワークショップ」)のなかにもあった。
この講義は、立体視をスペクタクルのための装置として使用するのではなく、いままでに試みられてきた平面映像における実験的な空間表現の延長線上で、どのように捉え直せるのかということを問うものであった。これは、現実に準ずるリアリティを演出しようとする立体映像の潮流に反発して、映画によってしか可能とされない、別の空間表現への可能性を拓くものである。この講義の中で参考として示された映画は以下の通り。クラシックから、ケン・ジェイコブスのような著名な作家、近年の作家まで幅広い。しかし、いわゆる3D商業劇映画が挙げられていないところに、その意図がよく表れているだろう。

1:G.W. “Billy” Bitzer – Interior New York Subway, 14th Street to 42nd Street (1905)
2:Claude Lelouche – C’était un rendez vous (1976)
3:Johann Lurf – Vertigo Rush (2007)
4:Guido van der Werve – Nummer Acht (2007)
5:(失念)
6:Ken Jacobs – Capitalism Slavery (2006)
7:J.L.Godard – Weekend (1967)
8:Johann Lurf – A to A (2011)
9:牧野貴 – still in cosmos (2009)

以下にそれぞれの作品のポイントを簡潔にまとめる。

1:地下道を走行する列車をドリー撮影で追尾する。移動撮影が可能になった事で、被写体を中心とした運動が可能とされている。被写体を中心とした、ある空間における基準点の相対化。
2:市街地を暴走する車両にカメラを取り付けて、長時間のワンショットで映画を展開させる。カメラの移動を中心として、パースペクティヴをどのように構成(演出)するかということ。長回しの空間移動は、スノウ『波長』における空間の圧縮と同質なのかもしれない。
3:森林の中で、ズームアウトをしながらドリーイン/ズームインしながらドリーアウトを繰り返すカメラ。目眩を覚えるような視点の前後移動を、徐々にバルブ撮影によって変容させる。被写界の溶解。
4:氷河の上を歩く人物と、後方の氷河を割って進む大型船と、隠蔽されたカメラの相対的な関係性の検証。その関係性の帰結としての映像。
5:(失念)
6:視差を利用した古い立体写真を、左右交互に数フレーム単位で置き換える事で、擬似的な立体視を生み出す。(ちなみに、これは片目でも立体視の感覚を得る事が可能。)

1〜5までの映画で問われているのは、空間において被写体とカメラの関係をどのように構築するのかということであり、それぞれの作品は、それぞれのやり方で平面映像のなかに空間的な秩序を形成している。立体感というものは平面映像であっても、構成(演出)によって様々な立ち表れ方をする。その上で、それらの試みを延長するものとして、6のケン・ジェイコブスによる奇妙な立体視映画を例示する。この例示の流れは見事なもので、立体視という技法に対する固定観念をすっきりと解体させるものだった。立体視は、興行目的のスペクタクルのための装置ばかりではないのである。

そして次に、7〜8の映画となる。プルフリッヒ効果を生むための減光フィルターが観客に配布されて、『ウィークエンド』の横方向へのパンのショットと、車両用ロータリーをぐるぐる回りながら撮影したヨハン・ルーフの『A to A』、1ピクセル単位の微粒子が縦横無尽に運動する牧野の『still in cosmos』という三つの参考例が上映され、立体視の実験が行われる。このなかでも『A to A』と『still in cosmos』における立体視の効果は絶大であり、特に『still in cosmos』においてそれは、細かな微粒子が無限に続くような奥行きのレイヤーを持って観客の眼前に出現しており、驚異的な経験となった。

『still in cosmos』は、微細な光の運動のなかから、様々なイメージを観客に与えるような豊穣な映画である。その映画を、今回は劇場サイズのスクリーンと大音響で、プルフリッヒ効果を伴って上映しようという訳である。また、2012年を通して制作が進められている、日々生成する映画である『2012.act.5』も同じ条件でライヴ上映されるという。驚異的な映画的空間の生成によって、観客の視覚を激しく揺るがす試みになることは間違いないだろう。

また、『2012.act.5』については、遂に一部でフルデジタルでの映像制作に踏み切っており、制作環境の変化による、表現の変化の有無も気になるところだ。(よく勘違いされるので念のために述べておくと、私は、外的な要因によって作家が足掻くように変化することに関心があるのであり、素朴にデジタル環境を賛美しているのではない。)