憲法と義務

20年近く前に亡くなった私の祖父は、太平洋戦争のときに兵隊に取られて戦線へ行っていた。あまりそのことが私と祖父との日常会話のなかで話題に上ることはなく、私も、なんとなく自分からは聞かないようにしていた。今思えば、もっといろいろ聞いておきたかったと思う。その後、戦後日本の前衛芸術、特に1950年代〜1960年代をいろいろと調査してゆくうちに、池田龍雄や松本俊夫に聞き取りをする機会に恵まれるようになった訳だが、そのインタビューのなかで、かつて聞けなかったことを取り戻すかのようにして、彼らの戦争体験を聞くことになる。池田龍雄の特攻隊訓練の話や、子どもだった松本俊夫が戦闘機による機銃掃射を避けて川縁に身を隠してやり過ごした話などは、私にとってとても印象深いものだった。作家がひとりの人間として戦中・戦後の社会と分ち難く結びついていることが実感できたからだ。それは岡本太郎や山下菊二らの戦地での経験や、あるいは瀧口修造や花田清輝の戦時下の日々を、より具体的に想像することにも繋がった。私は、戦争体験を持たない者の憲法改正案、例えば「国防軍」についての文言に、その論者が持つ空想的な国家像の投影を感じる。

また、他にも昨今論じられる憲法改正案のなかで「公共の福祉」という文言が「公益及び公の秩序」に置き換えられてしまっているあたりは実に巧妙であると思う。これは社会が包括する個人の自由権よりも、社会全体の効率性を優先させるという意味であり、そこでは、まるで権利の位置付けが逆転したかのように、大きく変質させられている。また、「自由及び権利」に対しても、現行憲法にある「責任」の文言に加えて、唐突に「義務」という文言が持ち出されている。確認しておくが、一般論としての自由にともなう「責任」については、現行憲法でも昔からはっきりと明記されている。問題の焦点は、憲法の大きな強制力のなかで「自由及び権利」に対応するかたちで、何者かによって追加して課される制限としての「義務」であろう。自由権のそもそもについては、弁護士小倉秀夫氏の以下のツイートが分かりやすいだろう。

片山さつき氏のツイート、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」(https://twitter.com/katayama_s/status/276893074691604481)から始まった片山氏と想田和弘氏の議論に関連して。

Advertisements