戦後前衛芸術のアーカイヴ公開

ニューヨーク近代美術館で昨年11月から今年2月にかけて開催された展覧会「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde 」は、国際的な枠組みにおける複数のモダニズムの再検討というテーマを掲げていたといえる。そして先日、同様のテーマに沿ったプロジェクトとして、同館のC-MAP (Contemporary and Modern Art Perspectives in a Global Age Initiative)が立ち上げたウェブサイトであるPostが公開されました。詳しくはAMeeTに掲載された、ニューヨーク近代美術館の足立アン氏のコラムを参照のこと。

http://post.at.moma.org/
ページ上段のContentsをクリックすると、目次が開きます。慶應義塾大学アートセンターが所蔵する草月アートセンター関連の資料をはじめとする、美術にとどまらず映像や音楽など、広範な領域に及ぶ戦後前衛芸術の貴重な資料が大量に公開されています。

http://post.at.moma.org/content_items/21-matsumoto-toshio-selected-works *松本俊夫関連資料
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このなかには松本俊夫の実験映画やビデオアートも多数含まれています。Postにおける松本俊夫作品の公開は、UBUWEBとは違って作家公認であり、新たにプリントからやり直した映像作品のクオリティも高く、まあまあ良い画質(1280×720)での公開となっています。ちなみに松本俊夫作品で公開されているのは『西陣』、『つぶれかかった右眼のために』、『スペースプロジェクション・アコ』、『メタスタシス』、『モナリザ』、『色即是空』、『アートマン』、『シフト』、『エングラム』の抜粋と、これらの作品の関連資料です。こうやって誰もが作品プレヴューや一次資料にアクセスできる環境をつくることは絶対に必要であり、このような試みのなかから新しいコンテクストが生成されてゆくのだと思う。過去の国内の実験映画やビデオアートに欠けていたものは、まさにこの環境だろう。

追記:
「日本の電子音楽」も紹介されていました。
http://post.at.moma.org/sources/1/publications/67

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幌延に関する報道

「北海道の核廃棄物処分研究施設で爆発のおそれ 掘削工事を中断」

北海道・幌延町(ほろのべちょう)にある原発から出る核廃棄物の最終処分方法を研究する施設で、2月6日、坑道内のメタンガスの濃度が基準値を超えたため、爆発のおそれがあるとして、掘削工事を1週間以上、中断していることがわかった。北海道庁は、この事実を公表していなかった。
(02/15 12:06 北海道文化放送)

引用元: FNNニュース: 北海道の核廃棄物処分….

「深地層研トンネルで大量出水 メタンガス噴出も」

日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センター(幌延町)の掘削中トンネルで2月初旬、メタンガスの噴出と大量の出水があり、掘削工事を中断していることが14日、分かった。水はトンネル切り羽から出ており、一時は1時間当たり最大60立方メートル出ていたが、水を止める工事を進めた結果、14日現在、約20立方メートルまで下がっている。同センターは、大量に出水した点について「地下水の多いところで研究を行っているため」としている。
(2013年2月15日  読売新聞)

引用元: 深地層研トンネルで大量出水 メタンガス噴出も : 北海道発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

幌延における高レベル放射性廃棄物地層処分の将来的な可能性は、これで消えたのではないかな。ちなみに幌延深地層研究センターは、現行は処分方法を研究する施設として存在しているので、放射性廃棄物は持ち込まれていない。

追記:

「幌延深地層研 現地調査へ 道が方針」(2013/02/25)
 日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センター(宗谷管内幌延町)で今月6日、基準値を超えるメタンガスが発生するとともに大量の地下水が流出した問題で、道は22日、3月1日までに現地調査を行う方針を決めた。
(北海道新聞2月23日朝刊 社会面掲載)

引用元: 幌延深地層研 現地調査へ 道が方針-北海道新聞[動画News ニュース].

その後の報道。リンク先にニュースの動画あり。過去にお話を聞いたことがある鷲見悟町議も発言している。端には川上幸男さんの姿も見える。

「サンデー・トピックス:幌延深地層研トラブル 「情報隠し」不信増幅 /北海道」(2013/03/03)
◇「想定内」公表せず 道や町の対応も不十分

 日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センター(幌延町)で2月起きたメタンガス濃度の上昇や地下水流出をめぐり、住民団体などから「情報隠し」と批判が出ている。同機構は道などの指摘を受け、トラブルの公表基準を見直したが、95年の高速増殖炉「もんじゅ」の事故ビデオ改ざんなど、前身の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)から繰り返される情報隠蔽(いんぺい)体質に、住民らの懸念が増している。【横田信行】
(毎日新聞 2013年03月03日 地方版)

引用元: サンデー・トピックス:幌延深地層研トラブル 「情報隠し」不信増幅 /北海道.

毎日によるまとめ。

ドナルド・リチー氏死去

戦争ごっこ / Wargames(1962)

ドナルド・リチーさん死去 日本映画を欧米に紹介 – 47NEWS(よんななニュース)
朝日新聞デジタル:ドナルド・リチーさん死去 黒沢・小津らを海外に紹介 – おくやみ

映画評論家であり、実験映画作家でもあったドナルド・リチー氏が亡くなった。一般的にリチー氏は日本映画の海外への紹介者として知られている。それに加えて、実験映画の領域におけるドナルド・リチーとは、『戦争ごっこ』や『死んだ少年』に代表される、性や死のイメージを潜在させる秀逸なフィルムを残した実験映画作家であり、海外の実験映画の動向をかなり早い段階で日本に伝えた媒介者である。また、飯村隆彦・石崎浩一郎・大林宣彦・金坂健二・佐藤重臣らによるフィルム・アンデパンダンにも関わっており、50年代から60年代の新しい映画運動において重要な役割を果たした人物でもある。

4年ほど前、私は一度だけ、リチー氏に個人的な聞き取り調査を行わせて頂いたことがある。六本木でリチー氏が出演するイベントが催された際にいきなり声をかけてお願いしたのだが、面識のない私にも気さくに対応して下さって、後日、上野のスタバで待ち合わせて一時間ほどお話を聞かせて頂くことになった。そこで幼少期の映画との出会い、日本に来られた理由、映画制作を止めた理由など、いろいろなことを質問させてもらった。しかし、そのとき強烈に印象に残ったのは映画の話ではなく、若き日のリチー氏が戦後の日本に新しい理想を持ってやって来たときの話と、現在の日本社会をどう感じているかという話だった。「現在の日本社会をどう思いますか?」という私の最後の質問について、かすかな怒りをこめて「戦争の前と同じだよ」と返したリチー氏の姿は、ある種の純粋な人柄を私に印象付けた。心からお悔やみ申し上げます。

レ・ザンスタン・ビデオ:「ビデオ・アートと地中海」

レ・ザンスタン・ビデオ:「ビデオ・アートと地中海」
2013年2月18日(月)16時半~18時
会場:シネマート六本木(六本木駅より徒歩約2分)
料金:入場無料
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/lesinstantsvideo-roppongi/

レ・ザンスタン・ビデオの本拠地であるマルセイユという都市は、地中海の国々に開かれた多文化が交差する場所であり、このプログラムでは地中海の国々のビデオ作品が集められていた。全体的に見ると、現代美術寄りのアマチュア的なビデオ作品が揃っていたという印象であるが、これはマーク・メルシエの説明によると、容易く使用できる安価なビデオ機器の普及が地中海の国々の人々にとって、ある種の社会的な発言の手段となったことを反映している。だからといってこのプログラムのなかで、ダイレクトに社会批判を行うような作品は、シャリーフ・ワーキドの『シック・ポイント』のみであるが、例えばズリカ・ブアブデラの『踊ろう』や、ラニア・ステファンの『ダメージ』のなかに隠喩されたものを思うならば、ビデオが社会的な発言手段として、これらの国の人々にどのように用いられたのかを了解することが出来るだろう。また、公共空間のなかで身体的なダンスを繰り広げるタイプの作品、例えばマーク・メルシエの『都市の闘牛』や、モハナド・ヤクビの『夜のリコ』なども、その内にある種の社会性をもっているといえる(『都市の闘牛』は作品として意図されぬダンスであるが)。以下に、ふたつの作品を国名込みでレビューしておく。

Chic Point from Sharif Waked on Vimeo.

シャリーフ・ワーキド『シック・ポイント(イスラエルのチェックポイントに向かうためのファッション)』(パレスチナ, 2003)
前半ではダンスミュージックに乗せて、腰回りが露になったスーツ、シャッター式に腹部を露出させるシャツなど、奇妙なファッションショーが展開されてゆく。後半では、ガザ地区などでイスラエル兵によって行われているチェックポイント(国境検問所)での審査(腰回りや腹部を兵士に見せることで武器や爆弾を所持していないことを示す)の様子が静止画像で静かに映し出されてゆく。

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ズリカ・ブアブデラ『踊ろう』(アルジェリア/フランス, 2003)
女性がベリーダンスの衣装を身に着けるが、その三枚の布は赤、白、青のフランス国旗の色である。そして女性は、フランス国歌に乗せてダンスを踊る。この一連のパフォーマンスが固定カメラによって、女性の腹部のみを映し続けるかたちで進行してゆく。フランス在住のアルジェリア人という作家のバックグラウンドと、フランスとアルジェリアの歴史を考えるならば、捩じれた意味を持つビデオ作品だといえる。しかし作品そのものからは、どことなく楽天的な印象を受ける。

レ・ザンスタン・ビデオ: 「アート・ビデオの50年(1963年-2013年)」

fes_Clauss2-e1359438868673© Nicolas Clauss

TABLE RONDE 50 ANS D’ART VIDEO (1963-2013)
シンポジウム アート・ビデオの50年(1963年-2013年)

日時:2013年2月19日(火)18時~21時
会場:アンスティチュ・フランセ東京 エスパス・イマージュ
ゲスト:阪本裕文(映像研究者)/瀧健太郎(ビデオアーティスト)/中島興(映像作家)/マイケル・ゴールドバーグ(映像作家)/マーク・メルシエ(レ・ザンスタン・ビデオ共同創設者、アーティスティック・ディレクター)
入場無料
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/lesinstantsvideo-table-ronde/

ビデオ・アートの公式の歴史は、ドイツでのフルクサスの活動(1963年)に起源を持ち、その際に、アーティスト、ナム・ジュン・パイク(韓国)とヴォルフ・フォルテル(ドイツ)がビデオ・アートのパイオニアとして作品を発表しました。しかしそれと同時に、このアート分野が各国で、それぞれ独自の歴史を築いてきたということは注目に値するでしょう。このシンポジウム参加者は、日本、フランス、マグレブ地方や中東などの国のビデオ・アートの歴史について独自の見解を示してくれることでしょう。

上映予定作品:
『ビデオ・フラッシュ』ミシェル・ジャフレヌー、パトリック・ブスケ(フランス、1982年)8min
造形的な要素やユーモラスな、いえそれ以上にポエティックと言えるようなエピソード、そしてテレビのイメージを使った奇妙な映像の組み合わせで構成されている『ビデオ・フラッシュ』は、小さな間奏曲のようです。

『ドッグ・デュエット』ウィリアム・ウェグマン(アメリカ、1975年)2min 38sec
ほぼ無音の作品、『ドッグ・デュエット』は映像に映っていない、何かを見つめる2匹の犬を写しています。2匹の犬の頭は、彼らが見つめている物体の動きを追って同時に動きます。作品の最後に、この物体の謎が明らかになります。

『ドッグ・デュエット』パスカル・リエーヴル(フランス、2009年) 2min 59sec
ウィリアム・ウェグマンの『ドッグ・デュエット』を人間が演じたリメイク作品。
パフォーマンス:ローラ・プシュ、ヴァンサン・ロルジェ

『ソロ』ロベール・カエン(フランス、1989年)4min
ベルナルド・モンテによるこの振付は、ロベール・カエンによって撮影されるために、想像され制作されました。ミシェル・ボカノウスキーの音楽に合わせて、円形劇場の中央にたたずむダンサーの孤独を語った本作は、スペインのテレビ局の「El arte del video(ビデオ・アート)」シリーズの一作です。

『レスポンソリウム』マリレーヌ・ネグロ(フランス、2009年)3min 20sec
若い映画監督が片方の目を失うことになった2009年7月のモントルイユ市でのデモ鎮圧。その後、警官による暴力やフラッシュボールでの被害に抗議してニコル・ブレネズとナタリー・ユベールが主導した共同作品『侮辱と反抗』の一部をなす作品。

『コロ』ナターシャ・パガネッリ(フランス、2009年)9min
『コロ』は、マチュー・ショーヴァンの音楽に合わせて、ロシア・バレエの時間の表現に対する振付上の工夫のミリマリスト・バージョンを思い起こさせるような夢幻劇を展開します…。巧みな編集による卓越した方法で生み出された大きな構造によって、万華鏡のように、大衆的な生命力に溢れたフィクションを生み出します。再構成された“自然”の中で、『コロ』は、メタファーを使い、国民感情のユートピア、民俗的な伝統の土台を明らかにします。

『インターメディア・オムニバス』 マイケル・ゴールドバーグ 1972年 3min
マイケル・ゴールドバーグが関わっていた、カナダのグループのオムニバス映像作品集。この映像は、彼が呼びかけ人となることで開催された、日本で初めてのビデオ・アート展「ビデオコミュニケーション Do it Yourself Kit」(ソニービル、1972年2月24日−3月6日)においても流された。同展は後の「ビデオひろば」(山口勝弘、かわなかのぶひろ、中谷芙二子、小林はくどう)の設立に繋がってゆく。

『プレイバック』 かわなかのぶひろ 1972年 2min
「ビデオコミュニケーション Do it Yourself Kit」において上演されたビデオインスタレーションの記録。ビデオをディレイ装置として使用することで、カメラに写された観客の映像を遅延させてゆく作品。かわなかはこの作品以降、どうしても映像を作品化してしまうフィルムとは異なるメディアとして、ビデオを共同作業の可能性において捉えるようになる。

『EAT』 山口勝弘 1972年 2min
「ビデオコミュニケーション Do it Yourself Kit」において上演されたビデオパフォーマンス。まず山口と小林はくどうが向かい合ってテーブルにつく。一人が食べ物を食べ、もう一人がそれをビデオで撮影する。そして、このパフォーマンスの役割はたびたび交替する。そのなかで撮る者と撮られる者の関係は曖昧になってゆく。その様子は別の固定カメラで撮影されて、会場のモニターに映し出された。

『老人の知恵』(抜粋) 中谷芙二子 1973年 2min
老人たちへのインタビューを集めてデータバンク化し、利用者が任意のデータを閲覧できるようにするというプロジェクトとして構想された。ここでは集合知的な知恵の集積が目指されている。ビデオを使用した訪問取材によってデータは収集されている。そのビデオの一部が、プロジェクトのプロトタイプとして「コンピュータ・アート展」(ソニービル、1973)のなかで公開された。

『メタスタシス=新陳代謝』 松本俊夫 1971年 7min 
医療用の画像変調機を流用することで制作された作品。便器の映像を固定カメラでテレビモニターに映し出し、画像変調機をリアルタイムで操作して、濃淡のグラデーションを別の色に置き換えている。フィルムとは異なる、ビデオとそれを操作する者の相互的な関係を見出すことができるだろう。色彩変化は、最終的にテレビモニターを16mmフィルムで再撮影することによって記録された。

『橋の下から』(抜粋) ビデオアース東京(中島興)1974年 10min
中島は家族を撮り続ける『マイ・ライフ』など、個人としての作品も制作しているが、その一方で「ビデオアース東京」を設立してケーブルテレビでの作品放送などを行い、ビデオの社会的側面を追求していた。本作はスタッフとともに地元の有名人であった、ある人物にインタビューを試みている。本作はケーブルテレビで放送された。最初は喧嘩腰であったこの人物も、撮影が終わる頃にはすっかり打ち解けたという。

『レジスター・ユアセルフ』(ビデオパフォーマンス・抜粋) 飯村隆彦 1978年 5min
自ら登録しなければ選挙権がもらえないアメリカの選挙制度を摸して、ビデオカメラの前で、背中向きになって自分の名前を登録させる、観客参加のビデオパフォーマンス。同パフォーマンス・シリーズはアメリカンセンター(1973/東京)、芸術アカデミー(1974/ベルリン)、クンスト・ハレ(1978/ケルン)、Anna Canepa Gallery(1978/N.Y.)で行われているが、今回はN.Y.での開催時の記録映像を抜粋。

『スペクタクルの社会における神学的状況について』 河合政之 2001年 6min
タレントやミカドたちは総称としてではなく、参照するための寓意として遍在している。スペクタクルの社会から引用されたイメージは、マスメディアの露悪的な模倣を用いることにより、スペクタクル社会自体の廃墟を幻視させる。

『Rikuzentakata le 20 mars 2011』 マイケル・ゴールドバーグ 2011年 1min20sec
2011年3月11日の東日本大震災のあと、マイケル・ゴールドバーグは陸前高田市に赴いて現場の状況を撮影している。この映像はヨーロッパのテレビ局で流されたが、マイケル・ゴールドバーグが現在行っている社会的・文化的な出来事を撮影して世界に向けて発信してゆく活動を、かつてのゲリラ・テレビジョン運動の目指したもの延長線上で捉え直すことは、ビデオ・アートの潜在的な可能性の大きさを示すことに繋がるだろう。

Tel: 03-5206-2500(アンスティチュ・フランセ東京)
アンスティチュ・フランセ東京 エスパス・イマージュ
〒 162-0826
東京都新宿区市谷船河原町15

日仏学院ならぬアンスティチュ・フランセ東京で開催される、このようなシンポジウム+上映に参加します。私は19日の日本側プログラムの選定に協力しました。この他にも、レ・ザンスタン・ビデオとしてのプログラムが四本組まれています。

レ・ザンスタン・ビデオ:「ビデオ・アートと地中海」
2013年2月18日(月)16時半~18時
会場:シネマート六本木(六本木駅より徒歩約2分)
料金:入場無料
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/lesinstantsvideo-roppongi/
上映は約1時間で、その後、マーク・メルシエ氏によるティーチインが約30分行われます。

世界のデジタル・アートとビデオ・アート
2013年2月20日(水)17時~18時半
会場:アンスティチュ・フランセ東京 エスパス・イマージュ
料金:入場無料
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/lesinstantsvideo-international/

レ・ザンスタン・ビデオ:「他所からの日本への眼差し」
2013年2月20日(水)19時~20時半
会場:アンスティチュ・フランセ東京 エスパス・イマージュ
ゲスト:河合政之(ヴィデオ・アーティスト)、マーク・メルシエ(レ・ザンスタン・ビデオ共同創設者、アーティスティック・ディレクター)
料金:入場無料
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/lesinstantsvideo-regard/

レ・ザンスタン・ビデオ:「南仏のビデオ・アート」
2013年2月21日(木)19時~20時半
会場:Apple Store, Ginza
ゲスト:マーク・メルシエ(レ・ザンスタン・ビデオ共同創設者、アーティスティック・ディレクター)
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/lesinstantsvideo-sud/

Sharits’ notes for N:O:T:H:I:N:G

日本でもこういった資料を、ちゃんと保存しないといけないと思うな。

文脈操作について

過去の自分の反省を込めて書くのだが、他人を指して、特定のジャンル外あるいは特定の体系外のものに排他的で不寛容な思考の持ち主であるとメタ的な位置から批判することは、自分を領域横断的で寛容な思考の持ち主であると印象付けるための、議論のゲームで優位に立つための常套手段であると思う。相手よりもメタな位置に自分を設定し、複数の文脈を操作する議論上のメタポジションを確保することは、一階層下の、唯一の文脈のみに依拠して意見を述べる相手よりも、一見して正当性を持っているような印象を第三者に与える(複数の文脈それぞれについての深い見識を持たないとしても)。また、一階層下のポジションからの、あらゆる批判を先回りして封じることもできる。

しかし、このような議論は不毛である。研究発表で発表者が知らないであろう全くジャンル違いのネタを持ち出して、意味があるのかないのか分からない微妙な比較を行い、発表者を困らせる聴衆並みに不毛だ。相手よりもメタポジションに立てるかどうかで正当性を競ったり、営業めいた発言を繰り返すことはもういいのではないだろうか。領域横断的な議論の是非とは、その議論が意義あるレベルのものであったかどうかによる。領域横断的な議論であれば全て正論、とはなるまい。話芸の一種としてならば別だが。

私は文脈を解体するような、引き裂かれるような交錯と、何かが再生成されるようなダイナミズムを期待しているのであり、それを媒介するような領域横断的な批判を期待しているのである。この頃私は、そのような領域横断的な批判とは、大雑把な手捌きによって行われる複数の文脈の操作によってではなく、体系そのもの、一次資料そのものに一度徹底して執着し、唯一の文脈のみに回収できない細部の異質さを見出し、それをひたすら拡大してゆくことによって可能となるような気がしている。複数の文脈の操作は、その異質さが無視できない、体系にとっての矛盾に転じた時に開始される。