イメージフォーラムフェスティバル2013 Dプロ:彼方の方角―風景映画集

日本プログラムはあまり観に行くことがないのだが、このプログラムはタイトルからして構造的な作品やコンセプチュアルな作品が上映されそうな気がしたので観に行ってきた。特に興味深かった作品について述べる。

・Nancy & Henry – 田中廣太郎
(Video, 16min, 2013)
当初はさまざまな時代のさまざまな風景をつなげた日記映画かと思いながら観ていたが、どうも違うと気付く。やがて、エンドクレジットで動画共有サイトのURLが一覧表示されることで、これはインターネットの動画共有サイトで共有されている風景を中心とした引用によって構成された作品なのだということが判明する(違っていたらすみません)。インターネットを、匿名的に共有されるイメージの膨大なデータベースと見なして、そこから恣意的にイメージを引用して、そのデータベースの多層的な奥行きを可視化してみせるアプローチは、近年散見されるものといえる。カラー/サウンド(引用元のオリジナル音声であるかどうかは不明)。

・grained time vol.3 対象との距離 – 五島一浩
(Video, 6min, 2013)
望遠〜広角の反復と被写体に対するカメラ位置の変化を巧妙に組み合わせる逆ズーム的手法を用いることで、被写体のサイズはそのままに、背景の奥行きを大きく伸縮させる作品。カラー/サウンド。

・haze #2 – 福岡晃久
(Video, 4min, 2012)
一見すると濃霧に包まれた山脈を、移動撮影によって捉えた映像が黙々と進行するだけの作品だが、これは実際の山脈ではなく、単なる砂の山を撮影したものであるらしい。しかし、この抽象的なイメージは、観客の記憶のなかに埋もれた山脈の風景を想起させる。このように書くと、現実と虚構(ミニチュア)の境界線上でトリッキーな仕掛けによって観客を錯乱させるタイプの映像作品と思われるかもしれないが、違う。この記憶のなかの山脈を想起させるイメージは、実のところ何物も指標していないのだ。前作と同じく記憶と想起に関わる明確なコンセプトを持った作品。カラー/サウンドは恐らくターンテーブルのモーター音。

・IT HAS ALREADY BEEN ENDED BEFORE YOU CAN SEE THE END. – 有川滋男
(Video, 11min, 2012)
真っ白な家屋の窓枠を透過する光の変化と羽虫、不気味に映り込む人の手。穴のなかから外を見たような黒い枠のなかで、多層的に重ね合わされる水面、月、鳥などのイメージ。階段に置かれたサボテンの植えられた植木鉢と、それを照らす光の変化。白い額縁のなかの、火の点されたロウソクの写真。時間の進行とともに、無機的で空虚なイメージが黙々と積み上げられてゆく(この無機的な感覚は伊藤高志の『Zone』を思わせる)。どのショットにも微細な運動や振動の要素が含まれており、観るものは映画の終了に至るまで、その微細な運動を注視し続けることになる。緊張感に満ちた作品。カラー/サウンドは断続的なスクラッチノイズ。

・Frozen – 小瀬村真美
(Video, 22min, 2011)
紙の上に黒い染みがゆっくりと滲み拡がってゆく。次にその染みのなかに、静止画のように見える海に浮かぶ島々のイメージが浮かび上がる。やがて、全てのイメージはゆっくりと歪み変形してゆく。解説によると、どうやらこれは、造形的な制作プロセスを経て構成された映像であるようだ。はじめに写真のインクジェット出力にドローイングを加えたうえで、それを溶かして変形させる。次にこのプロセスを静止画として大量に再撮影して、最終的に映像化したものという理解でいいだろうか。映されたものと描かれたものが、媒体の物質性のうえで交じりながら変形してゆく作品であり、イメージの根拠についての混乱を引き起こすという意味で興味深いものだった。カラー/サウンドは波の音。(ただ、物質的な制作プロセスがコンセプトの中心に措かれるような作風であるならば、フィルムの場合はまだしも、デジタル映像の場合は作家がそれを作中の構造において明示しなければならないと思う。これはデジタル映像を扱う今日の現代美術家に付いて回る問題なのかもしれない。)

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