イメージフォーラムフェスティバル2013 Lプロ:ストム・ソゴー 甘美から発作へ

深夜、スカイプでアメリカ在住の映像作家である西川智也氏と別件で打ち合わせをした際に、「先日、ストム・ソゴーの作品をイメフォで観ましたよ」と話を振ってみた。すると私が疑問に思っていたことを氷解させることを西川氏は話してくれた。その話は、ストム・ソゴー個人をめぐる話というよりも、より普遍的な問題として、母国を離れて海外で長く暮らし、その土地で作家として評価を受けた人物が直面する困難についての話として、深く考えさせられるものだった。前もって言っておくと、私はストム・ソゴーのことは知らなかった(自分も少し協力した「キネマ・ニッポン」のプログラムに名前があったことは知っている)。そんな私だが、ここに書いても失礼にならない範囲で話を進める。

10代の頃に渡米し、やがてアンソロジー・フィルム・アーカイブスで映写技師として働きながら映像作家としての活動を始めたストム・ソゴーは、若くして東海岸では知られた存在となる。その後、西海岸に移ってSan Francisco Art Instituteにて修士号を取得するが、2004年に日本に帰国する。それから何があったのかは知る由もないが、私の思う所では、海外で作家としての評価を受けた人物が、自分のことを知らない母国に戻った際に直面するような困難があったのではないかと思う。アメリカにいた頃のストム・ソゴーは、ニューヨーク近代美術館での上映会『Big As Life: An American History of 8mm Films』や、2002年のホイットニービエンナーレNew York Underground Film Festivalに作品を出品するなどしていた。

何名かの知人の話を符合させてみて理解したことだが、10年くらい前の日本の実験映画は、海外からすると全体像が見えにくい状況にあったらしい。もちろん海外作品を国内に紹介することは行われていたし、作家個人レベルでは海外の映画祭への出品や、海外の映像作家との交流もあった。しかし、少なくとも海外在住者の視点からみれば、日本の実験映画の全体像は見えにくいものであったらしい。国内に目を移せば、90年代頃から国内の商業劇映画や現代美術シーンにおいては、実験映画やビデオアートは軽視され、既に日本における実験映画の居場所などは失われた状態にあったといえる。そんな状況のなかで、実験映画やビデオアートに関わってきたイメージフォーラムなどの組織や個人の作家は、内向きに、自分たちの孤塁を守っていくので手一杯だったというのが実情だったといえよう。しかし、このようなシーンの狭さや母数の少なさといったものが、海外からみれば閉鎖性の表れとして見えてしまうことも否定できないだろう。

そのような状況下において、今までずっと母国を離れて異国の地で活動してきた映像作家が帰国したとすれば、どうなるだろうか。ちょっとしたタイミングの違いや出会いの有無によっては、本人が望まなかったような孤独な状況を招いてしまうことになりかねない。アメリカにあったような実験映画のコンテクストが、この国には存在しないのだから。これはストム・ソゴー個人をめぐる話にとどまらない。大阪に戻ってからのストム・ソゴーの状況については詳しく聞く気になれなかった。それ以降、彼は国内の組織や映画祭からは距離を置いて、孤立した状態で海外の映画祭に出品を続けたようだ。そして2012年に若くして急死した。

今回の上映は、遺された膨大な作品を大阪まで引き取りにいったアンソロジー・フィルム・アーカイブスのアンドリュー・ランバートの献身と、イメージフォーラムの理解によって実現したということらしい。素直に良かったと思う。しかし、本来ならばそれは、生前に与えられるべきものであった。

・声に導かれて – ストム・ソゴー
Guided by Voices – Stom Sogo
(日本/アメリカ, 8mm, video, 10min, 2000)
豊穣な色の花火のような光彩が、イメージの断片を内包しつつ激しく発光する。この映像は何重にも繰り返される再撮影(恐らくビデオによるフィードバック)によって、判別不能なほどに解体された現実のイメージと、激しいフリッカーを混ぜ合わせることによって得られている。おぼろげに判別できるイメージは、ボートを漕ぐ人々や、白鳥、動物、女性など。イメージの輪郭を解体し、まとめて光彩の渦のなかに投げ込むような作品である。カラー/サウンドはコラージュノイズ。(ストム・ソゴー作品のサウンドについてまとめて述べておくと、この日上映されたプログラムのうち『シンクアップ・エレメント』以外の作品は、既存の音源をカットアップしながらミキサー内部でフィードバックをかけてノイズ化したような、90年代を思わせるコラージュノイズばかりであった。聴いて分かる範囲の引用元でいうと、ロバート・ワイアットやボアダムズなどもミックスされていたように思う。)

言葉ではなかなか説明しづらいので、ネットにアップロードされている、同様の手法を使用した作品を見てもらった方が早いだろう。Vimeoでは、この日のプログラムには含まれていない『Ya Private Sky』(2001)を観ることができる。

YA PRIVATE SKY (Stom Sogo, 2001) from AnthologyFilmArchives on Vimeo.

・ゆるやかな死 – ストム・ソゴー
Slow Death – Stom Sogo
(日本/アメリカ, 8mm, video, 15min, 2000)
雑踏のなかを歩いてゆく人々の姿を撮影し、スローモーションで8mmフィルムの荒いテクスチャーと一緒にスクリーンに映し出す。激しさよりも、息苦しいまでの重々しさを感じさせる作品。モノクロ/サウンドはリズミックなコラージュノイズ。

・シルバー・プレイ – ストム・ソゴー
Silver Play – Stom Sogo
(日本/アメリカ, Video, 16min, 2002)
この日のプログラムのなかでは異色の作品。日本のテレビ番組やCMを引用してループ等を駆使しながらユーモラスにコラージュし、そこに日本やメキシコで撮影された日常風景のフッテージなどを挿入してゆく。本作のコンセプトは複数の文化圏を相対化する試みであるといえるだろう。それはやはり作家のバックグラウンドの反映であったのかもしれない。カラー/サウンドはコラージュノイズ。

・ペリオディカル・エフェクト – ストム・ソゴー
Periodical Effect – Stom Sogo
(日本/アメリカ, 8mm, Video, 9min, 2001)
『声に導かれて』や『Ya Private Sky』に近い感触の、解体された現実のイメージと花火のような光彩を混ぜ合わせた作品。殆ど判別することが出来ないが、素材となっているイメージは、車窓から捉えられた風景やポルノのワンシーンであるようだ。この作家の個性といえる、世界に存在している美醜さまざまな側面を光彩のなかに投げ込む姿勢が、本作では強く打ち出されている。カラー/サウンドはコラージュノイズ。

・シンクアップ・エレメント – ストム・ソゴー
Sync-up Element
(日本/アメリカ, Video, 23min, 2007)
上記の四作品とは異なり、日本に帰国してから制作した作品であると思われる。素材となっているのは、ライブにおけるバンド演奏の記録映像であると思うが、殆ど原型を留めていないので、何のバンドなのかは全く判別不明。このバンド演奏の素材が、異なるフレームを持ったレイヤーとして重ね合わされ、二重のフリッカーとして激しく明滅する。そして、イメージの輪郭は解体され、豊穣な色の変化をみせる光彩のなかで映画はスクリーン上の光に還元される。カラー/サウンドはWilliam Basinskiのアンビエントな楽曲である『The Garden of Brokenness』。

作品のメディア表記については、日本と海外で表記に混乱が見られるので、ひとまず下記を参照した。
http://www.courtisane.be/nl/event/sweet-first-seizure-second-i

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