ナムジュン・パイクと電子の亡霊(ゴースト): 阿部修也さんとパイク・アベ・シンセサイザーの夕べ

日時:5 月28 日(火)18:15 – 20:30 (17:30 開場、ビデオシンセサイザーの公開チューニング)
場所:早稲田大学大隈小講堂
入場無料
主催:早稲田大学総合人文科学研究センター「イメージ文化史」部門
共催:早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系、早稲田大学川口芸術学校
http://hyosho-media.com/news/2013/0509_post-29.php

17:30 – 開場 〈パイク・アベ・シンセサイザー〉公開チューニング 阿部修也

18:15 – 第一部 〈パイク・アベ・シンセサイザー〉を語る
「心霊写真 WS/レクチャーシリーズについて」橋本一径
「ゴーストの系譜:ファンタスマゴリアからヴァーチャルリアリティまで」草原真知子
「ナムジュン・パイクとビデオアートの身体性」齋藤理恵
「ナムジュン・パイクについて」 阿部修也 (聞き手:瀧健太郎、草原真知子)

19:30 – 第二部: 〈パイク・アベ・シンセサイザー〉実演
パイク・アベ・シンセサイザー デモンストレーション 阿部修也
パイク・アベ・シンセサイザーと現代音楽によるパフォーマンス
阿部修也+瀧健太郎(ビデオシンセサイザー) 、寒川晶子(ピアノ):ジョン・ケージ作曲「ある風景の中で」ほか

早稲田大学で行われた「ナムジュン・パイクと電子の亡霊(ゴースト)」というイベントを観に行った。これはパイク・アベ・シンセサイザーの製作者として知られるエンジニア、阿部修也氏を招いた催しである。この日はプログラムの前に、パイク・アベ・シンセサイザーの公開チューニングも行われるということだったので、そんなに混むことはないだろうと思いながらも、開場前に会場に到着するようにした。ホールに入ると、壇上では阿部氏がテレビモニターを見ながら、パイク・アベ・シンセサイザーをチューニングしていた。その脇にはビデオカメラが設置された撮影ブースが組み上げられている。このブースでリアルタイムに撮影したビデオ信号をパイク・アベ・シンセサイザーに送ることで映像に電子的変調を加えて、テレビモニターに映し出すということらしい。また、テレビモニターと同一の映像が正面の巨大スクリーンにもプロジェクションされていた。

しばらく阿部氏のチューニングの様子を見ていると、なんと観客も自由にシンセサイザーを操作してもいいとのアナウンス。観客がわらわらとステージ前に集まる。さっそく私も列に並んでシンセサイザーを触らせてもらった。コントロールパネルはDIY的な雰囲気で、ツマミの名称がハングル文字で表記されていたりもする。カタログなどで見た写真から想像していた通り、シンプルな機構を持った手作りの電子機械という印象だった。このマシンは阿部氏が再現した機体のようだが、同型のマシンは過去に複数台製作されており、韓国のナムジュン・パイク・アートセンターにも納められているそうだ。また、隣のテーブルには、生前のパイクと構想を話し合っていたが、しばらく実現されないままだったという「コスモTV」シリーズの一作、『皆既日食』が展示されていた。(古い型のブラウン管テレビモニター上に、電子的に光輪を発生させた作品。)

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定時になって、プログラムは橋本一径、草原真知子、齋藤理恵の各氏による短いレクチャーから始まった。
・橋本は、「心霊写真 WS/レクチャーシリーズについて」と題した、このレクチャーシリーズを通してのテーマについての説明をおこなう。
・草原は、「ゴーストの系譜:ファンタスマゴリアからヴァーチャルリアリティまで」と題した、映画以前の幻灯からデジタルメディアに至るまでの、メディア史的な連続性についてのレクチャーをおこなった。草原はそのなかで、映画以前において存在していたが、産業としての映画が成立するなかで失われていった要素としてインタラクティブ性を挙げる。その延長線上で、60年代に試みられた拡張映画やマルチメディアイベントのインタラクティブ性について言及し、そのような試みの当事者たちが、後のコンピュータ・グラフィック創世記に関わっていたことを指摘する。
・齋藤は「ナムジュン・パイクとビデオアートの身体性」と題した、テクノロジーと身体性についてのレクチャーをおこなった。齋藤はそのなかで、自身のパイクについての研究を紹介しながら、パイクがテクノロジーの固定化に対抗して身体性を導入していたことを指摘し、高く評価していた。

ここで草原と齋藤が指摘しているインタラクティブ性や身体性といったものは、結局のところ身体的な次元での不確定性という枠組みにおいて共通するコンセプトであるといえる。これは今回のイベントに関わっている瀧健太郎周辺の作家らの取り組みにも共振するものである。それは、私たちを包囲し、高度化してゆくコントロールされたテクノロジーのなかで、芸術家あるいはユーザーが、如何にしてコントロールを乗り越えてテクノロジーにアクセスし、それを自治的に再編してゆくのかという問題であると思う。
(ただ、私見として述べておくと、近年の初期ビデオアートへの再評価は、「フィルム(実験映画・拡張映画)→ビデオアート→メディアアート」という映像メディア史的な視座から行われているといえるが、それ(メディア史的要因)はパラメータの一つに過ぎないという気もしている。その視座では浮かび上がってこない問題も一方で存在している。)

続いては、瀧・草原を聞き手とした阿部氏のトークが行われ、パイクと出会って、当時エンジニアとして勤めていたTBSを辞めて、シンセサイザーを製作した時期の苦労話などが語られた。このトークのなかでは様々な面白いエピソードが出てきたのだが、「TBSではノイズのない映像を作る仕事をしていたのに、なぜ逆といえる方向に進んだのか?」という草原の質問に対して、「予算のかかる割には成果の上がらない技術の仕事に飽きてきたから」と返す阿部氏のユーモラスな応答が印象的だった。

その後、阿部氏による解説を交えたパイク・アベ・シンセサイザーのデモンストレーションとなった。はっきりとその機構を理解することはできなかったのだが、パイク・アベ・シンセサイザーは、モノクロのビデオ信号にR/G/Bのカラーをつけて、各チャンネルの信号を重ね合わせることによって映像を変調するという仕組みのようである。チャンネル数は7つあり、発振器の周波数を変えることで画面上に生成されるパターンは変化するのだが、「このようなパターンを生み出す周波数は非常にシビアである。デジタルの発振器は細かい周波数を正確に出すことができるが、周波数を滑らかに変化させることが出来ないので、やっぱり自分で改造しないといけない」という主旨の阿部氏の説明が興味深かった。また、変調された信号は出力レベルが極端に高いので、昔パイクがそれをテレビで放映した際に、テレビ局の送信機を故障させたこともあったそうだ。なので、パイク・アベ・シンセサイザーの現物を見ることによってしか、モニター上のその強烈な発色を体験することはできないという。

この日は最後に、瀧によるパフォーマンス(パイクの顔写真をコラージュする)の映像を、阿部氏が操るシンセサイザーによってリアルタイムで加工し、それに合わせて寒川晶子がケージの楽曲などをピアノ演奏するという演目が上演された。大変有意義なイベントであったと思うので、今後もこのレクチャーシリーズには期待している。

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