「太陽の塔」および「せんい館」跡地

黄金の顔

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黒い太陽

黒い太陽2

太陽の顔

太陽の顔2

万博公園に立ち続けている「太陽の塔」。過去においてみられた未来の夢としての大阪万博、そのシンボルとして誰もが知っているもの。またあるいは、戦後前衛美術に関心を持つ人にとっては、万博的=近代主義的なものの渦中にありながら、反近代主義精神の象徴として存在する異物。子どもの頃から万博公園に行った際に何度も目にしているはずだが、ある程度これにまつわる史的背景を知ったうえで見るのは初めてだったりする。改めて見ると、巨大さは勿論のこと、朽ちて豊かなテクスチャーを得た表面と、それに対して、劣化を感じさせずに光る「黄金の顔」という、物質的なものの現前に圧倒される。一切の有用性をもたない蕩尽の実践としての芸術は、未来を表すという「黄金の顔」の無時間性とは対照的に、いまもゆっくりと蕩尽を進行させているように見えた。

「太陽の塔」を確認した後、松本俊夫がディレクターを勤めた「せんい館」の跡地を確認すべく、公園内を進む。そして、少し驚いたのだが、国立民族博物館(みんぱく)が、まさに「せんい館」の跡地に建っていることを知った。「せんい館」の記念碑がどこかにあるはずなので探してみるが、見つけることは出来なかった。眩暈(イリンクス)の装置の跡地に、民族博物館が建てられ、古代の模擬(ミミクリ)的な宗教や文化を研究しているというのは、カイヨワを思うと随分出来過ぎた話だなあと思いながら、目的を果たせたことに満足して公園を後にした。以下、当時の「せんい館」周辺の航空写真(と私の足)。Googleマップにて「みんぱく」で検索をかけて、位置を確認してみて下さい。写真左脇にある池の形状が目印になるはずです。

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