EXP 牧野貴/[+]上映会:Ghost of Cinema

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牧野貴の西日本上映ツアーと、同志社大学での[+]上映会が、今週末から来週にかけて行われる。詳細な日程は、以下のサイトを参照のこと。DVDに収録されていない近作や、ライブ上映などが盛り沢山なので、是非。
http://doom-insight.net/exp/

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同志社大学での[+]上映会では、牧野が提示したコンセプトである「映画における魔術的なもの」に関わるプログラムが組まれている。
http://doom-insight.net/exp/doshisha.html

 今回選んだ全ての作品には共通点が有ります。それは今日における映画の発展とは何かという事を無言で問いただす、非常に希有で個性的な主張をする映像作品であるという事です。
 全ての作品は、デジタル技術や言葉に依存する事無く、また過去のフィルム文化への偏愛を主張する事も無くそれぞれの方法論において、それぞれの言語において作品を完成させています。映画の発展とは何か、それは何処から来るのか、それは人間の自由な想像力と発想しか有りません。自由な発想と想像力が映画という魔術的方法と奇跡的に出会った場合にのみ、新しい映画と呼び得るものが突如として、忽然と闇の中に浮かび上がるのです。
 現存する技術を購入してマニュアル通りに使用するだけでは絶対に生まれない、豊かな想像力に溢れた魔術的映画を、どうぞ体験して下さい!

牧野貴

日時:7月9日(火)
料金:500円均一 *同志社大学学生・教職員 無料
会場:同志社大学寒梅館クローバーホール
お問合せ:同志社大学今出川校地学生支援課 tel:075-251-3270
主催:同志社大学今出川校地学生支援課、 [+]

17:30 開場
18:00 上映
19:40 牧野貴ティーチイン「映画における光学的/魔術的考察」

上映作品
『RECONNAISSANCE』 ヨハン・ルーフ
『RIVER RITES』 ベン・ラッセル
『INITIAL VAPOR』 葉山嶺
『Just Ancient Loops』 ビル・モリソン
『2012』 牧野貴

デジタルシネマの解像度が35mmフィルムと遜色ないレベルに到達し、画面上においてフィルムと近似したガンマカーブやカラーバランスを実現できるようになった現在、それでもなお、フィルムにのみ存在し、デジタルシネマにおいて存在しないものとは何か。

35mmであれ16mm/8mmであれ、フィルムによって制作された映画には、必ずフィルムに固有の「魔術的なもの」が宿ると言ったとき、その魔術的なものとは何を指すのか。おそらくそれは、物質的支持体によって成立するフィルムにおいて不可避な、偶発性や不確定性の介入に他ならないと思う。微細に泡立つ粒子の運動、フレームの揺れ、スクラッチノイズ。これらの介入は、撮影されたイメージに対して、思わぬ形での魔術的な効果——現実の変容——を付け加える。その効果は絶大であり、何気ない日常風景を捉えた未現像のフィルムが、自家現像によって超越性を持ったイメージに変貌するという現象は、映像作家なら一度は経験したことがあるはずのものだ。

これは多くの映像作家を惹き付けて離さない、フィルムに固有の経験である。しかしながら私は、フィルム文化への愛着を表明して年々困難になるフィルムによる制作環境と格闘しながら、フィルムに固有の「魔術的なもの」に拘り続けることが、映像芸術全体で見た時に、どのような意味を持つものなのか、疑問を感じてもいる。もちろん自分の作品を実現することが、作家にとっては最大の目的なのだから、それは果たされるべきであるが。

では、もう一方の現在形のデジタルシネマにおいて、「魔術的なもの」は存在し得るのかというと、フィルムと同じような形では存在しないといえる。メーカーの規格に沿って管理されたデジタル環境においては、偶発性や不確定性といったものの存在は排除されるべきものである。たとえ、プラグインとして用意されたエフェクトによって、フィルムに固有の「魔術的なもの」を真似たとしても、それはあくまで偶発性や不確定性の模倣に過ぎない(ただし、プログラミングによって完璧なランダム性を作品内部に実装したのであれば、少し話が変わってくるだろうが)。

デジタル環境で制作された映画において「魔術的なもの」はいかにして存在可能なのか。フィルムとデジタルという、それぞれのメディアの固有性を越えた「映画における魔術的なもの」を考察し、拾い上げてゆくこと。おそらくこの問題は、近年の牧野が一回性を持ったライブ上映に可能性を見出しつつあることと無関係ではない。これは現時点では未来に向かって開かれた問いである訳だが、このプログラムにその解答となるような萌芽を見つけることは可能だろうか、暗闇のなかで立ち会ってみて欲しい。

念のために述べておくが、ビデオアートにおいて取り組まれているようなメディア批判的な方法論は、ここで扱っている問題とは方向が異なる。ここで扱っている問題とは、映画における心理的な問題に関わる。

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