「北端という表象—大島渚『少年』と稚内」の原稿

職場で開催している市民向けの大学公開講座があって、全教員に順番でお鉢が回ってくるんだけど、私の順番が来てしまった(9月28日)。この講座は、ウチの大学の認知度を市民の間で上げることが目的な訳ですが、実験映画や戦後前衛美術についてレクチャーをやっても誰も来ないだろうし、どうしたものかと考えて、こんなレクチャーをやってみることにしました。大島渚の『少年』の終盤に稚内が出てくるので、それをネタに60年代末の風景論と絡めながら、(実際に稚内で生活してみて分かった)風景論からはみ出すものについて論じてみようという趣向です。多分、地元民には受けるんじゃないかなと。

ついては、自分がやる公開講座をラジオ番組で紹介してくるように言われたので、昨晩から今朝にかけて一気に原稿を書いて、FM稚内に行って来ました。まあ、トークは雑談的なかたちでやらせてもらったので、結局この原稿は使わなかったんだけど…。以下、勿体ないので貼っておこう。

「北端という表象—大島渚『少年』と稚内」

 私たちは文化的な制作物に向き合うとき、どのようにそれを受け止めるでしょうか。まず、作者が作品に込めた意図を、作品のなかから読み取るというアプローチがあります。確かにそれも作品を受け止める方法のひとつなのですが、しかし、作品は作者の意図以外にも、様々なものの反映をその作品の中に表しています。すべての映画は、監督の意図を越えて様々なものとの関係を映像のなかに表現として帰結させているといえるでしょう。

 さて、今年一月に亡くなった大島渚は『戦場のメリークリスマス』(1983)などの作品で、世界的に知られた映画監督でした。一定以上の年齢の人ならバラエティー番組によく出演して、着物姿で怒ってばかりいるキャラクターとして記憶されているかもしれません。大島は多くの劇映画やテレビドキュメンタリーを制作しています。その作品は政治的・社会的なものを作品のなかにテーマとして反映させ、それを鋭く批評する作品ばかりでした。しかも、とても実験的な演出や編集が、それらの作品のなかで試みられています。

 代表的な作品としては、先鋭的な青春映画である『青春残酷物語』(1960)、学生運動の傷跡をめぐって延々とディスカッションが続く異様な作品である『日本の夜と霧』(1960)、死刑制度と民族と国家の問題に切り込んだ『絞死刑』(1968)、時代の熱気と新宿のアンダーグラウンドな文化をそのまま捉えた『新宿泥棒日記』(1969)、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしが主演して世界的な評価を得ることになる『戦場のメリークリスマス』などがあります。今回は、そんな大島が監督した作品のひとつである『少年』(1969)を題材に、監督の意図を越えたところで、この作品のなかで何が表現されているのかを考えてみたいと思います。ところで、今回の講座で何故『少年』を選んだのかというと、この映画では、物語の終盤で稚内が舞台となるためです。何故「稚内」だったのでしょうか。ここには監督や脚本家の意図を越えたところで、何かが表されているような気がします。

 この作品は、大島の作品にしては比較的スタンダードな映画的演出が行われた映画です。日本各地を転々としながら、当たり屋をやって金銭を脅し取って生活している家族(傷痍軍人の父親、母=父の同棲相手、少年、弟)の物語であり、少年が主人公です。当時、実際に起こった事件がモデルになっているそうです。この映画のなかでは、父親は示談と称して金銭を脅し取る役、母が車に当たる役を分担しています。やがて少年も車に当たる役をするようになります。そうして旅を続けるうちに、やがて母が妊娠し、父親はその子を中絶させようとします。旅の途中で少年は祖母の家に逃げようとしますが、結局家族の元に戻ります。その後は、むしろ積極的に車に当たる役を果たそうとします。そして、ある「仕事」のなかで警察が介入してきたことによって、両親は危険を感じるようになり警戒心を強めます。さらに旅を続けるうちに、実は母が中絶手術をしていなかったことが父親に明らかになり、両親は対立するようになります。そして、稚内が舞台となるシークエンスに突入します。

 稚内のシークエンスは、物語のクライマックスでもあるので、偶然引き起こされた交通事故による見知らぬ少女の死や、家族間での衝突などのイベントが描かれています。ここで最も重要なのが、少年がまだ言葉も分からない弟に聞かせる「アンドロメダ星雲から宇宙人がやってきて来て助けてくれる」というモノローグです。そして、最後に一家は当たり屋の仕事を辞めて大阪で暮らすようになるのですが、結局、両親が逮捕されることで映画は終わります。最後に少年が思い出すのは、稚内で死んだ見知らぬ少女の姿でした。

 まず、この作品に込められた作者の意図の範疇において言えることは、この少年が、ただ純真無垢な存在として物語の中に配置されているのではないということです。少年は、この状況における矛盾を浮かび上がらせ、その関係性を変化させる役割を持って配置されているのだといえます。大島は、よく政治的・社会的なものを作品のなかにテーマとして反映させますが、その多くは抒情的なものとして表現はされません。それらのテーマは、作品のなかで換喩的な演出をとりながら、冷徹な視点で分析されます。また、脚本家(田村孟)の意図として、終盤の舞台が何故「稚内」だったのかといえば、日本の端まで一家が流れ着いたということを距離的に強調するためだったと考えられます。この辺りまでが作者の意図の範疇だといえます。

 では、作者の意図の範疇外ではどうでしょうか。『少年』とは、当たり屋の一家が国内を移動してゆくロード・ムービーであったといえます。そして、この流浪する一家を取り囲んでいた風景とは、どの地方も高度経済成長の過程で平均化された標準的な景色として、すなわち平均的な日本の内部の様相として、殆ど大差のないものとして画面に映し出されています。この映画が公開された時期の映画評論シーンでは、「映画における風景論」というものが論じられており、映画に撮影された風景のなかから同時代の社会的構造の反映を読み取ることが試みられていました。大島の『少年』もまた、風景論映画として語ることが充分可能な作品であるといえるでしょう。(こういった風景論映画のなかで代表的な作品としては、永山則夫をモチーフとしながら、彼が見た(見られた)であろう風景だけを撮影したドキュメンタリーである『略称・連続射殺魔』(1969)があります。)

 しかし、私は稚内に自分が住んでみたうえで、この映画を見返してみて思ったのですが、「稚内」のシークエンスで映し出された風景には、平均的な「地方」に回収され得ないものがあるように思います。この映画における「稚内」の表象には、別の意味が生じていると思える訳です。この辺りのことを、当日はいろいろな資料を見せながらお話ししたいと思います。それはこの稚内が、「稚内」を取り巻く日本社会からどのように見られていた(見られている)のかということを、映画において確かめる作業になると思います。

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