市民講座「北端という表象―大島渚『少年』と稚内」の後で

「北端という表象―大島渚『少年』と稚内」の市民講座を先ほどすませてきた。お客さんは少なかったけど、講座終了後の質疑がとても楽しかった。それはお客さんのなかに69年当時、アートシアター新宿文化で『少年』を観ており、その時はまさか自分が稚内に住むことになるとは思わなかったけど、その後、都合で稚内に住むようになったという方が来ておられたからだったりする。

〈風景論映画〉の均質化される風景への批判からはみ出すような、「日本の内部にありながら、現実を越えてゆく外部性を付加された場所としての稚内」の表象を、劇映画『少年』のなかに読み取るというのが、今回のために私が準備したアイデアだった訳だが、その方はこのアイデアについて「稚内に住んでみるとそこに日常を越えてゆく外部性など本当は存在しない訳で、だからこそ更なる外部性が必要とされるのだろう」と述べておられた。そして、「だからといって南下することに外部性は見出せないので、その場合のさらなる外部性は、例えばさらに北に、ロシア文化に求められたりするのだろう」とも述べておられた。その通りだと思う。人生の途中で、稚内の外側から稚内にやって来た者として、その感覚はとてもよく理解できる。そして劇中の少年の場合、そのような更なる外部性は「アンドロメダ星雲からやってくる宇宙人」や、「事故死した見知らぬ少女」として象徴化され、内面化されることになったのだといえる。

また、職場の同僚のなかには稚内で生まれ育った方が何人もいるのだが、その方々からは、『少年』のなかに登場する風景について、いくつかの興味深い、地元民ならではのコメントを頂いた。交通事故のあった陸橋のシーンについては、「港三丁目の陸橋ではなく、今はもう無くなった潮見四丁目の陸橋ではないか」とのこと。また、駅前のシーンについては「稚内じゃなくて、恐らく小樽で撮影されたものじゃないか」等々。とても面白いコメントであり、撮影の様子を想像すると楽しい。確かに駅前のシーンの風景には違和感がある。もしかしたら稚内で撮影されたシーンは意外と少ないのかもしれない。

いろいろと準備は大変だったけど、今回の市民講座を一番楽しんだのは間違いなく自分だったと思う。結果的にとても満足している。しかし、60年代にアートシアター新宿文化に通っていたような方を前にして、その時生まれてもいなかったくせに60年代の映画を語る私の状況は、まさしく釈迦に説法以外のなにものでもなかった(笑)。

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