トラクターとデモ

幌延の深地層研究センターに関しては、あくまで研究施設であって放射性廃棄物は持ち込まないという三者協定が結ばれているが、このところ、どうも先行きが不透明になっている気がする。今年2月には掘削中にメタンガス噴出と、大量の地下水が湧き出す事件があったというのに、4月からの報道を並べてみてもこんな感じである。

・核のごみ最終処分 候補地「道内も対象」 エネ庁室長も明言(北海道新聞 2013年4月4日)※リンク切れ
 「原発から出る「核のごみ」高レベル放射性廃棄物の最終処分地の選定について、経済産業省資源エネルギー庁は、誘致に関心のある自治体に候補地としての調査に応募するよう申し入れることを検討している。これに関連し、鈴木洋一郎・エネ庁放射性廃棄物等対策室長は北海道新聞の取材に対し、核のごみの持ち込みを禁じた道の条例があるからといって、道内の自治体を申し入れの対象から外す理由にはならないとの見解を示した。」

・深地層研、北海道・幌延で模擬廃棄物の埋設試験(日本経済新聞 2013年7月19日)
 「高レベル放射性廃棄物を深い地層に処分する研究を進める日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センター(幌延町)は2014年度、実物大の模擬廃棄物を地下の坑道に埋設する試験を始める。実物大で発熱する模擬廃棄物を使った本格的な試験は国内で初めて。」

・幌延・深地層研:「廃止ありえない」 文科省改革案で所長が強調(毎日新聞 2013年08月10日)
 「日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センター(深地層研)は9日、幌延町で昨年度の調査研究成果に関する住民説明会を開いた。文部科学省が8日、高レベル放射性廃棄物の地層処分を研究している深地層研と瑞浪超深地層研究所(岐阜県)の統廃合を盛り込んだ改革案を示しており、質問が相次いだ。」「深地層研の清水和彦所長は改革案について「寝耳に水。これから本格的な試験が始まる。廃止はありえない」と幌延での研究の意義を強調。施設のNUMOへの移管を否定し、事業終了後に埋め戻す地元との協定は守るとしながらも、埋め戻す時期は「決まっていない」と述べた。」

この問題について、幌延町の隣りの豊富町で抗議集会とデモが行われるというので、少し気になってバイクを一時間ばかり走らせて、豊富町まで見に行って来た。450人が集まったという集会で鎌田慧氏らの講演を聴いてから、デモの様子をiPhoneで撮る。トラクターが先導するデモというのは初めて見た。これが北海道スタイルか…。のどかな風景のなかを進むデモは、なかなか良かった。原発の必要性を容認する意見といったものは、最終処分の問題と自分の生活圏を切り離したうえで発される意見であり、所詮は東京の論理に過ぎないんだよなあ、と実感した。帰りに豊富温泉のふれあいセンターに寄って温泉につかり、鹿肉ジンギスカンを食べて一服し、暗くなる前に帰路についた。

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・核のごみ最終処分地反対 北海道・幌延の隣町・豊富で全道集会(北海道新聞 2013年9月8日)
 「宗谷管内幌延町の幌延深地層研究センターで行われている高レベル放射性廃棄物の地層処分研究と最終処分場化などに反対する集会(道平和運動フォーラム主催)が7日、幌延の隣町の同管内豊富町で開かれた。」

Makino Takashi Special Lecture/Screening 2013 @ Art Center Ongoing

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Makino Takashi Special Lecture/Screening 2013
日時:9月7日(土)
料金:1500円+1ドリンク(先着30名様)
時間:開場18:30 開始19:00 (21:30終了予定)
http://www.ongoing.jp/ja/artcenter/gallery/index.php?itemid=282#makino

・上映作品:
『2012 in 3D』2013, 30分, 映像/音楽 牧野貴
『Article left by the departed』2013, 8分, 映像/音楽 牧野貴
『Space Noise』YCAM記録映像
『Deorbid』2013, excerpt?

・レクチャー:「ゴースト・オブ・シネマ」(参考上映多数)

日本人初の快挙となるロッテルダム国際映画祭2012最高賞から始まり、世界各国で快進撃を続ける映像作家、牧野貴が今年も Art Center
Ongoing にやって来ます。Ann Arbor映画祭において最優秀外国映画賞、ハンブルグ国際短編映画祭においてはグランプリを受賞した牧野の最新作「2012」の3D上映、そして最新作となる「Article left by theDeparted」の特別版、さらには8月23日にYCAMにて行われるジム・オルークとのライブ「SpaceNoise」のドキュメントを上映します。上映後には牧野貴によるレクチャー「ゴースト・オブ・シネマ」を開催致します。今なぜ映画表現を行うのか、今日における映画の発展、進歩とは何か、今牧野が映画表現の主軸だと考える「物質性」「一回性」について、そして今後の可能性について語ります。

海外長期ツアーに出かけてしまう牧野の近作を、まとめて観る今年最後の機会になると思います。レクチャー「ゴースト・オブ・シネマ」は、そのアイデアの片鱗のみ以前聞かせてもらいましたが、作家ならではの問題意識が感じられる興味深いものでしたので、こちらも是非。

「北端という表象—大島渚『少年』と稚内」の原稿

職場で開催している市民向けの大学公開講座があって、全教員に順番でお鉢が回ってくるんだけど、私の順番が来てしまった(9月28日)。この講座は、ウチの大学の認知度を市民の間で上げることが目的な訳ですが、実験映画や戦後前衛美術についてレクチャーをやっても誰も来ないだろうし、どうしたものかと考えて、こんなレクチャーをやってみることにしました。大島渚の『少年』の終盤に稚内が出てくるので、それをネタに60年代末の風景論と絡めながら、(実際に稚内で生活してみて分かった)風景論からはみ出すものについて論じてみようという趣向です。多分、地元民には受けるんじゃないかなと。

ついては、自分がやる公開講座をラジオ番組で紹介してくるように言われたので、昨晩から今朝にかけて一気に原稿を書いて、FM稚内に行って来ました。まあ、トークは雑談的なかたちでやらせてもらったので、結局この原稿は使わなかったんだけど…。以下、勿体ないので貼っておこう。

「北端という表象—大島渚『少年』と稚内」

 私たちは文化的な制作物に向き合うとき、どのようにそれを受け止めるでしょうか。まず、作者が作品に込めた意図を、作品のなかから読み取るというアプローチがあります。確かにそれも作品を受け止める方法のひとつなのですが、しかし、作品は作者の意図以外にも、様々なものの反映をその作品の中に表しています。すべての映画は、監督の意図を越えて様々なものとの関係を映像のなかに表現として帰結させているといえるでしょう。

 さて、今年一月に亡くなった大島渚は『戦場のメリークリスマス』(1983)などの作品で、世界的に知られた映画監督でした。一定以上の年齢の人ならバラエティー番組によく出演して、着物姿で怒ってばかりいるキャラクターとして記憶されているかもしれません。大島は多くの劇映画やテレビドキュメンタリーを制作しています。その作品は政治的・社会的なものを作品のなかにテーマとして反映させ、それを鋭く批評する作品ばかりでした。しかも、とても実験的な演出や編集が、それらの作品のなかで試みられています。

 代表的な作品としては、先鋭的な青春映画である『青春残酷物語』(1960)、学生運動の傷跡をめぐって延々とディスカッションが続く異様な作品である『日本の夜と霧』(1960)、死刑制度と民族と国家の問題に切り込んだ『絞死刑』(1968)、時代の熱気と新宿のアンダーグラウンドな文化をそのまま捉えた『新宿泥棒日記』(1969)、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしが主演して世界的な評価を得ることになる『戦場のメリークリスマス』などがあります。今回は、そんな大島が監督した作品のひとつである『少年』(1969)を題材に、監督の意図を越えたところで、この作品のなかで何が表現されているのかを考えてみたいと思います。ところで、今回の講座で何故『少年』を選んだのかというと、この映画では、物語の終盤で稚内が舞台となるためです。何故「稚内」だったのでしょうか。ここには監督や脚本家の意図を越えたところで、何かが表されているような気がします。

 この作品は、大島の作品にしては比較的スタンダードな映画的演出が行われた映画です。日本各地を転々としながら、当たり屋をやって金銭を脅し取って生活している家族(傷痍軍人の父親、母=父の同棲相手、少年、弟)の物語であり、少年が主人公です。当時、実際に起こった事件がモデルになっているそうです。この映画のなかでは、父親は示談と称して金銭を脅し取る役、母が車に当たる役を分担しています。やがて少年も車に当たる役をするようになります。そうして旅を続けるうちに、やがて母が妊娠し、父親はその子を中絶させようとします。旅の途中で少年は祖母の家に逃げようとしますが、結局家族の元に戻ります。その後は、むしろ積極的に車に当たる役を果たそうとします。そして、ある「仕事」のなかで警察が介入してきたことによって、両親は危険を感じるようになり警戒心を強めます。さらに旅を続けるうちに、実は母が中絶手術をしていなかったことが父親に明らかになり、両親は対立するようになります。そして、稚内が舞台となるシークエンスに突入します。

 稚内のシークエンスは、物語のクライマックスでもあるので、偶然引き起こされた交通事故による見知らぬ少女の死や、家族間での衝突などのイベントが描かれています。ここで最も重要なのが、少年がまだ言葉も分からない弟に聞かせる「アンドロメダ星雲から宇宙人がやってきて来て助けてくれる」というモノローグです。そして、最後に一家は当たり屋の仕事を辞めて大阪で暮らすようになるのですが、結局、両親が逮捕されることで映画は終わります。最後に少年が思い出すのは、稚内で死んだ見知らぬ少女の姿でした。

 まず、この作品に込められた作者の意図の範疇において言えることは、この少年が、ただ純真無垢な存在として物語の中に配置されているのではないということです。少年は、この状況における矛盾を浮かび上がらせ、その関係性を変化させる役割を持って配置されているのだといえます。大島は、よく政治的・社会的なものを作品のなかにテーマとして反映させますが、その多くは抒情的なものとして表現はされません。それらのテーマは、作品のなかで換喩的な演出をとりながら、冷徹な視点で分析されます。また、脚本家(田村孟)の意図として、終盤の舞台が何故「稚内」だったのかといえば、日本の端まで一家が流れ着いたということを距離的に強調するためだったと考えられます。この辺りまでが作者の意図の範疇だといえます。

 では、作者の意図の範疇外ではどうでしょうか。『少年』とは、当たり屋の一家が国内を移動してゆくロード・ムービーであったといえます。そして、この流浪する一家を取り囲んでいた風景とは、どの地方も高度経済成長の過程で平均化された標準的な景色として、すなわち平均的な日本の内部の様相として、殆ど大差のないものとして画面に映し出されています。この映画が公開された時期の映画評論シーンでは、「映画における風景論」というものが論じられており、映画に撮影された風景のなかから同時代の社会的構造の反映を読み取ることが試みられていました。大島の『少年』もまた、風景論映画として語ることが充分可能な作品であるといえるでしょう。(こういった風景論映画のなかで代表的な作品としては、永山則夫をモチーフとしながら、彼が見た(見られた)であろう風景だけを撮影したドキュメンタリーである『略称・連続射殺魔』(1969)があります。)

 しかし、私は稚内に自分が住んでみたうえで、この映画を見返してみて思ったのですが、「稚内」のシークエンスで映し出された風景には、平均的な「地方」に回収され得ないものがあるように思います。この映画における「稚内」の表象には、別の意味が生じていると思える訳です。この辺りのことを、当日はいろいろな資料を見せながらお話ししたいと思います。それはこの稚内が、「稚内」を取り巻く日本社会からどのように見られていた(見られている)のかということを、映画において確かめる作業になると思います。

「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針」についてのパブリックコメント

昼食の時間を削って、法案が成立してから一年以上も棚晒しにされていた「子ども・被災者生活支援法」に関する復興庁へのパブリックコメントを書いた。こんな感じでいいのだろうか…。

8月30日に復興庁が公表した被災者生活支援等施策の推進に関する基本方針は、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」の理念を歪曲させたものであるといえます。根本匠復興相は線量による画一的な線引きは「地域を分断する」と述べました。しかし、この法は東電・国の不作為による原発事故によって無用な追加被曝を受けた個人に対し、公平な支援を行うものです。地域で区別することによって、追加被曝する線量は変わらないのに、受ける支援の内容に差が出てしまうケースこそが、不平等と地域間での分断を呼び起こすものであるということを認識すべきです。そして、線量による線引きを行う場合、追加線量値は、ICRP Publication.111の総括末尾にあるように、国際的な経験の中で合意された値であるといえる1mSv/年とするのが妥当であることは言うまでもありません。

追加線量値1mSv/年を超過する場所に居住するかどうかは、リスクを勘案しながら当事者個人が選択すべきことであり、性別・年齢によって様々な判断があり得ます。それに対して行政が行うべきことは、帰還・居住することを選択した場合でも、移住することを選択した場合でも、双方不平等のないように支援を行うことです。これは同法の第2条に明記された理念です。帰還・居住することを選択した方々は決して東電・国の不作為を許容した訳ではなく、移住することを選択した方々は好き好んで移住した訳ではないのです。

また、この問題に関して国は居住者の選択を最大限尊重すべきで、国が追加線量値1mSv/年を超過する場所への帰還を先んじて促すような真似をすべきではありません。基本方針に合わせて発表された施策は、その大半が既存施策パッケージを踏襲したものでした。しかし、施策の設定に際しては、同法の第5条に基づいて、当事者である居住者の要望を取り入れるための意見聴取会を県内県外の自治体レベルで複数回開催すべきであり、そこで集約された人々の意見を反映させたうえで施策の設定を行うべきです。

「帰還・居住・移住」というどの選択であったとしても、無用な追加被曝を受ける居住者は、公平に支援を受ける権利があると思う方々や、私みたいに暇な方々は、一丁パブコメ書いてみてはどうでしょうか。これは、原発に賛成とか反対とかいった個人の信条とは、あまり関係がない話です。

復興庁が行っているパブリックコメント募集の提出先はこちら(9月13日まで)。
「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針(案)」に対する意見募集について

以下、参考まで。
・東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(子ども・被災者生活支援法)
・被災者支援法:復興庁、議事録作らず 会議資料も開示せず(毎日新聞)
・記者の目:骨抜きの原発被災者「支援法」=日野行介(毎日新聞)
・動かない被災者支援法 なぜ“放置”(NHK)

「クリストフ・ヒーマン 2013 Japan Tour」Christoph Heemann, Plastic Palace People, Celer @ Super Deluxe

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スーパーデラックスで8月20日に開催された、「Christoph Heemann 2013 Japan Tour」の東京初日を観に行った。事情があって、東京二日目(8月28日)のHollywood Dream Trip(クリストフ・ヒーマン+Celer)と、カフカ鼾(ジム・オルーク+石橋英子+山本達久)のライヴは観に行くことが出来なかったので、ここでは東京初日のみレヴューしたい。

東京初日の出演者および出演順は以下のとおり。
・Celer Solo
・Christoph Heemann Solo
・Plastic Palace People(Jim O’Rourke & Christoph Heemann)

まず最初は、東京在住のウィル・ロングによるユニット、Celerのソロ演奏。彼のことはよく知らなかったのだが、調べてみると膨大な量の作品をリリースしている多作な音楽家だった。彼はまず、演奏前に小型のスライドプロジェクターに明かりをともして、木々の向こうに広がる海岸(?)の静止画を会場壁面に小さく投影する。演奏に使用する機材は、古めかしいオープンリールのテープデッキとイコライザーというシンプルな構成。そのようにして開始された演奏は、シンプルなコンセプトでありながらも実に深みのある内容だった。テープ特有の靄に包まれたような音質のなかで、遠くから聴こえるような牧歌的なメロディが延々と反復される。そこにイコライザーの操作によって微細な変化を加えてゆく。このメロディは、どことなくHenryk Góreckiを思い出させるような素朴で「美しい」ものであり、静止した風景のイメージと相まって、聴衆の意識の奥底にある記憶を強く想起させるような、誘導的な効果を持つ。わずか30分ほどだったが、時間を忘れさせるような印象深い演奏だった。

続いて、クリストフ・ヒーマンのソロ演奏となる。ヒーマンは11年前にも、アンドリュー・チョークとジム・オルークからなる三人編成で、Mirrorとして来日ツアーを行っている。私は前回のツアーを京都メトロで観たはずだが、狭いクラブに満員電車並みに客を詰め込んでいたので音楽云々よりも体力的にキツかった思い出しかない。そんな訳でこの日は私にとって、ヒーマンの音楽に集中して向き合うことができる11年越しのリベンジの機会となった。ちなみに坊主頭に短パン姿のヒーマンは実に生活感があるルックスで、彼が演奏する音楽とのギャップがあって微笑ましかった。

さて、ヒーマンが演奏に使用する機材は、3台のCDJのみ。これらを小型の卓上ミキサーでミックスするという方法をとるらしい。もちろんCDJとはいえ、ヒーマンが所謂DJのようなミキシングを行うはずもなく、ライブの途中で時折音源CDを出し入れするのみだった。そのことから、全体的にはライブ演奏というよりも現代音楽系のテープ音楽・電子音楽の上演に近い印象を受けた。サウンドそのものは、Mirrorを思わせる直線的なドローンであるが、集中して聴取するならば、そのドローンのなかにシュルレアリスム的な異物感を身にまとった複数のレイヤーが潜んでいることに気が付く。こちらも30分ほどで演奏終了。

そして最後に、ヒーマンとオルークによる、Plastic Palace Peopleとしてのデュオ演奏となる。このデュオとしては既に2枚のアルバムがStreamlineからリリースされている。それらはオルークの個性であるミクロなレベルで循環するドローンの中に、ヒーマンらしい異物感を持ったサウンドレイヤーが注意深く重ねられた静謐な作品であった。私の勝手な予想では、恐らくこれらのアルバムに準ずるような音楽がライブで演奏されるものだとばかり思っていた。しかし、ちょっと違った。

デュオ演奏でヒーマンが使用する機材はソロの時と同じくCDJ3台、それに加えてオルークが使用する機材は、ノートPCとキーボード(マイク付属)という構成。その演奏内容は、全体としてはオルークの個性が表れたといえるドローンのなかで、ヒーマンが持ち込んだであろう異物感を持ったサウンドレイヤーや、ゆったりとしたギター演奏の録音、やけにノリがいいドラム演奏の録音などが、次々に現れては消えてゆくという展開だった。特に中盤でのドラムの登場には意外な感じもしたのだが、ヒーマンがアンドレアス・マーティンと制作した作品を思い起こせば、そんなに驚く程のことではないのかもしれないと思い直した。個人的にはPlastic Palace Peopleというよりも、奇妙なサウンドを駆使して独特の世界をコラージュしていたMirror以前のユニットであるH.N.A.S.を思い出すような、大変興味深いライブだった。

以下のリンクにジム・オルーク、クリストフ・ヒーマン、ウィル・ロングのメールインタビューがありましたので、一読を。
ジム・オルーク インタビュー
ウィル・ロング インタビュー
クリストフ・ヒーマン インタビュー

追記:ところで11年振りにクリストフ・ヒーマンを観ることによって、私は日本国内のノイズ・アヴァンギャルドと呼ばれる音楽をめぐる環境の、11年間の変化を再認識したような気がする。あの頃ならこの手の音楽(クラブミュージックと重ならないタイプのノイズ・アヴァンギャルド)を積極的に取り上げる音楽評論家もいたし、時には一般のサブカルチャー雑誌で大きく取り上げられることもあった。それに比べると、今はずいぶん落ち着いたものだと思う。実態に即した姿になったというべきか。

Steamroom@bandcamp

これは凄い!先日のクリストフ・ヒーマンのライブについてレヴューでもしようと思って、ついでにジム・オルークのタンブラーをチェックしたら、大量のデジタルアルバムがbandcampで購入できるようになっていた(購入しなくても最後まで試聴することができる)。今は地元のファストフード店の店先なので、あとで帰宅したら全部購入する。映画との関わりでいうと、7は牧野貴の『World』のサウンドトラックで、8はジム・オルークの『Not Yet』のサウンドトラックだ。

追記:ペイパルアカウントを持っていれば、簡単に購入できます。ちなみに8タイトル合計で54ドル/5501円でした。無論、この音楽の価値はそれ以上。一緒にカフカ鼾のデジタルアルバムも購入。

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-1
1. Falling Wall 19:40
2. Previous Wall 19:22
Recorded 2012. Originally released as a tour cd for the Christoph Heemann / Will Long / Jim O’Rourke 2013 Japan Tour.

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-2
1. Coast 42:08
Recorded 2013 at Steamroom Tokyo. Originally released as tour cd for Christoph Heemann / Will Long / Jim O’Rourke 2013 Japan Tour.

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-3
1. Four Corners 38:44
Recorded at The Guggenheim House, Kobe 2013.

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-4
1. Another Slow Night 40:06
Recorded 2011 at Steamroom Tokyo.

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-5
1. String Quartet and Oscillators 1 24:00
2. String Quartet and Oscillators 2 24:08
Written and recorded (electronic part) in 1990. New performance recorded at Super Deluxe, Tokyo, July 2013.
Violins: Hatano Atsuko, Chiba Hiroki Viola: Teshima Eriko Cello: Sekiguchi Masabumi

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-6
1. Scan 32:37
Originally released on the split cd “Frontieres?” with Syllyk and published by Eric La Cassa. Remastered at Steamroom Tokyo in 2013.

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-7
1. The World 50:32
Soundtrack to the Makino Takashi film “The World” 2009.

http://steamroom.bandcamp.com/album/steamroom-8
1. Not Yet 53:41
Soundtrack for the film “Not Yet” recorded at Steamroom Chicago in 1990.