フルクサス・イン・ジャパン2014 レヴュー一覧

以下、フルクサス・イン・ジャパン2014についてのレヴューを一覧としてまとめておきます。ちなみに私がよかったなあと思うのは、一日目、四日目、および最終日のラモンテ同時演奏です。

フルクサス・イン・ジャパン2014 #1 小杉武久
フルクサス・イン・ジャパン2014 #2 ミラン・ニザック
フルクサス・イン・ジャパン2014 #3 ベン・パターソン
フルクサス・イン・ジャパン2014 #4 エリック・アンダーセン
フルクサス・イン・ジャパン2014 #5 塩見允枝子
フルクサス・イン・ジャパン2014 #6 Viva! フルクサス

フルクサス・イン・ジャパン2014 #6 Viva! フルクサス

フルクサス・イン・ジャパン2014 #6 Viva! フルクサス
東京都現代美術館 4月20日

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この日は、塩見允枝子、エリック・アンダーセン、ベン・パターソン、靉嘔が参加して、多数の作品が演奏された。作品タイトルを明示しない、総体的なイヴェントとして構成されていたように思えたので、ここでも総体的にレヴューしておこうと思う。プログラムによると、この日の作品の上演は以下の通り。

・トーマス・シュミット / Zyklus
・靉嘔 / O7 (1976)
・靉嘔 / モーニング・グローリー Morning Glory (1976)
・エメット・ウィリアムス / 5人のパフォーマーのための10のアレンジ 10 Arrangements for 5 Performers (1963)
・ジョージ・マチューナス / アドリアーノ・オリベッティに捧ぐ In Memoriam to Adriano Olivetti (1962)
・ロバート・ワッツ / C/S Trace
・ベン・ヴォーティエ / 10分 Ten Minutes (1963)
・ベン・ヴォーティエ / オーディエンス・ピース No.10 Audience Piece No.10 (1965)
・アリソン・ノールズ / ニュースペーパー・ミュージック Newspaper Music (1963)
・ラ・モンテ・ヤング / ヘンリー・フリントのための566 566 for Henty Flynt (1960) + ラ・モンテ・ヤング / コンポジション 1961 Composition 1961 (1961) + ジョージ・ブレクト / 2つの持続 Two Durations (1961)
・ディック・ヒギンズ / ベン・パターソンのためのゴング・ソング Gong Song for Ben Patterson (1963)
・塩見允枝子 / Viva! フルクサス Viva! Fluxus (2014)

会場に入ると、靉嘔の「O7」のための段ボール製の大きな仕切りが設置されており、その傍らのスペースでは、客入れの段階から、ひとりのパフォーマーが円周状に並べられた瓶の中央で、瓶に水を注いでは、次の瓶に水を移すという反復的な作業を繰り返している(「Zyklus」)。そして会場は暗転し、段ボール製の仕切りの穴から様々なものを出し入れする靉嘔のイヴェント「O7」がスタートする。煙、傘のおもちゃ、風船、チューブから出された絵の具のようなもの等々が使用された。やけにのんびりしたパフォーマンスの後、エリック・アンダーセン、ベン・パターソン、靉嘔の三人が、バケツやタオルが乗せられたテーブル前に並んで立ち、歯磨きをおこなう(「モーニング・グローリー」)。普通に歯磨きを終えて、ここまでで靉嘔の作品が終了。

続いては、エリック・アンダーセン、ベン・パターソンを含む五人のパフォーマーがステージをうろうろと徘徊し出して、各人が本を読んだり、ゴムボールで遊ぶなどの動作を、歩きながら繰り返す。そして、塩見の鳴らす鈴を合図に、一時的に動作を止めてひと言だけ言葉を発する。何度か停止と進行が繰り返されて終了(「5人のパフォーマーのための10のアレンジ」)。次に、エリック・アンダーセン、ベン・パターソン、靉嘔を含む多数のパフォーマーが横一列に並んで、長細い指示書を手にもって立つ。そしてメトロノームが鳴らされる。このメトロノームの音に合わせて、全員がタイミングを読みながら、機械的に所定の動作(帽子を上げる、足を踏み鳴らす等)を行う(「アドリアーノ・オリベッティに捧ぐ」)。

次に、ベン・パターソンとシンバルを手に持ったパフォーマーがステージに立つ。ベン・パターソンが「この作品は、本当は大砲を使うのだが、今日はおもちゃの銃を使う」という説明を行ってから、空気式のおもちゃの銃で小さなボールを打ち出す。そのボールを、シンバルを持ったパフォーマーが受け止めようと試みる(「C/S Trace」)。次に、エリック・アンダーセンがイーゼルと黒いパネルを持ってくる。そのパネルには「10分で戻ります Ben」と書かれている(「Ten Minutes」)。ここまでで、第一部が終了。そして、観客に紙飛行機を折るようにとのアナウンスがなされる。ちなみに、第一部のあいだ、ずっと続けられていた瓶に水を注ぐパフォーマンスも、ひっそりと終了。

休憩時間の途中から、観客の動作を観察して口述するアナウンスが開始される(「オーディエンス・ピース」)。そして、アナウンスが終わると同時に第二部が始まる。ステージにはエリック・アンダーセン、ベン・パターソンに、何故かクリストフ・シャルルを含んだ5人のパフォーマーが立つ。彼らは一様に新聞を手にしており、指揮台に立つ塩見の指示に従って、様々なイントネーションで新聞を読み上げる。多言語が入り交じることで、クリストフ・シャルルが参加していたことを理解する。

続いては、三つの作品の同時演奏となる。クリストフ・シャルルら4人のピアノ奏者が二人一組となって交替しつつ、組んだ腕の両肘でピアノの鍵盤を叩く演奏を反復する(「ヘンリー・フリントのための566」)。その一方で、一人のパフォーマーがステージ床に白いテープをゆっくりと引き延ばして貼付ける。そして貼付け終わった長いテープをカメラで黙々と撮影する(「コンポジション 1961」)。また、客席側では二人のパフォーマーが赤と緑のテープを引き延ばしながら、それを客席通路の肘掛けに張り巡らせる(「2つの持続」)。分散と引き延ばされた持続の併置——本日のハイライトがこの同時演奏にあったことは間違いない。

そして、今度は観客全員にステージに降りるように、とのアナウンスがなされる。そして「一方の足を出して、それに体重を移し、一方の足を出して、それに体重を移し、一方の足を出して、それに体重を移し…」とのアナウンスが繰り返され、観客全員の参加でステージを歩き回るイヴェントが行われる。かなり高い人口密度のなか、体重の移動を意識したぎこちない歩行が展開される。しばらくして、観客にその歩き方のまま客席に戻るようにとのアナウンスが行われ、このイヴェントは終了する(恐らく「ベン・パターソンのためのゴング・ソング」)。最後に、ステージに並んだ、作家やパフォーマー達に向かって、観客たちが「Viva! フルクサス」と言葉を発しながら紙飛行機を投げることで、今回のプログラムは全て終了する。


今回、目の前で多数のイヴェントを観てきて実感したことだが、塩見やベン・パターソンをはじめ多くのフルクサス作家のイヴェントにおいては、プロセスや、ある技術自体を前景化させるような方向ではなく、演劇的あるいはオペラ的な総合化の方向においてパフォーマンスを展開させる傾向があるように思えた。そこでは音楽や美術は、演劇(演出)の一部としてパフォーマンスのなかに組み込まれる(特に塩見はこの方向が強いように思う)。では、それとは反対に、非演劇的なかたちで、プロセスや、ある技術自体を摘出して、その機能を読み替えるような方向にあるのはどの作品なのかというと、小杉武久の作品などは、その全てがプロセスや技術の前景化であるといえるだろう。エリック・アンダーセンの一部作品(「Opus 1961」)や、ラ・モンテ・ヤングの「ヘンリー・フリントのための566」や「コンポジション 1961」も同様である。フルクサスのイヴェントは実に多様だが、このような方向の差異が何となく見えてきたことは、連日フルクサスのイヴェントを見続けたことの収穫のひとつといえるかもしれない。個別のイヴェントのなかにある潜在的な可能性を拾い上げることなく、一部の作品、または回顧的な場の雰囲気だけをもって、一連のプログラムを大雑把に否定的な言い方で形容するのは勿体ないことだと思えるので、なるべくしつこく細部を記録しておいた。あくまで観客目線であり、全てのスコアの内容までは把握していないので、そのことに留意して読んでもらえれば幸いです。細部に勘違いがあればご容赦を。

フルクサス・イン・ジャパン2014 #5 塩見允枝子

フルクサス・イン・ジャパン2014 #5 塩見允枝子
東京都現代美術館 4月19日

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1:フィリップ・コーナー / ペタリ・ピアニッシモ Petali Pianissimo (2000)
まず二人のパフォーマーが、鍵盤の上に花びらを散らす。そしてピアノ奏者(塩見)が鍵盤を弾くことによってその花びらを床に落としてゆくという作品。点描的な演奏であるが、ここでの目的は、花びらの落ちる微かな音の方にある。

2:塩見允枝子 / ピアニストのための方向の音楽 Direction Music for a Pianist (1990/2014)
ピアノ奏者(稲垣聡)がスコアを一ページ演奏するごとに、そのスコアを放り投げ、ナレーターが詩の一節を読み上げる。それに合わせて客席のパフォーマーが様々な方法で音を発するという作品(小声でつぶやく、叫ぶ、鈴を鳴らす、ヴァイオリンを弾く、咳をする等)。ちなみに演奏後にスコアを確認すると、投げる方向も記入されていた。

3:塩見允枝子 / 幽閉された奏鳴曲 A Confined Sonata (2014)
ピアノ奏者(稲垣)がクラシック曲を演奏するのに並行して、塩見を含む三人のパフォーマーによってピアノの内部演奏が行われ、音楽が騒音に包まれる。更に、ピアノとピアノ奏者、およびパフォーマー全てを覆うように布がかけられて、この状況を包み込む。

4:ジュゼッペ・キアリ / 「ムジカ・マドゥレ」より Musica Madre (1973)
11個の小石が台の上に置かれており、パフォーマーがそれを一つずつ、様々な方法で(手や足、あるいはネットやハンカチを使って)鍵盤上に運ぶ。その後で、ピアノ奏者(塩見)が石を使用しながら、石の音やリズムを模倣するという作品。ジュゼッペ・キアリの著書にある一節を塩見が解釈することによってリアライズされた。

5:塩見允枝子 / 多元的ロンド Multidimensional Rondo (2014)
アルペジオを繰り返すピアノ奏者(稲垣)の傍らで、パフォーマーたちが、ピアノの脚に結ばれた三本の縄跳び用の紐を回す。その一方で、別のパフォーマーが最初の曲で使用された花びらを床に並べる。これらのパフォーマーたちはリフレインを口ずさみ続ける。そして交互に役割を変えながら縄跳びを行う。

6:塩見允枝子 / フルクサス・メモリアル・サーヴィス A Fluxus Memorial Service (1994/2014)
観客の参加による、亡くなったフルクサス作家に向けた追悼イヴェント。観客は一人ずつ塩見からビー玉を受け取り、ピアノ内部にそれを落とす。そして観客全員がこの行為を終えた後に、合掌をおこなう。

フルクサス・イン・ジャパン2014 #4 エリック・アンダーセン

フルクサス・イン・ジャパン2014 #4 エリック・アンダーセン
東京都現代美術館 4月18日

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この日は、第一部と第三部はコンサート形式で、第二部は観客参加のイベント形式で進行した。ちなみにコンサートには、巻上公一や寒川晶子ら8名の演奏者(ヴァイオリン×2、チェロ、サックス、トロンボーン、クラリネット、ラッパ、笙)が揃えられていた。まず第一部から説明する。

1:ラ・モンテ・ヤング / デヴィッド・チュードアのためのピアノ曲 Piano Piece for David Tudor #1 (1960)
暗闇のなか二人のパフォーマーが現れ、グランドピアノの椅子を脇にのける。次に別の二人のパフォーマーが稲穂、ニンジン、リンゴが入った木箱を運んできて、椅子の場所に置く。最後に別の二人のパフォーマーがバケツを持ってきて、椅子の傍らに置く。ただそれだけのイヴェント作品。

2:ラーリー・ミラー / 私だ C’est Moi (1968)
エリック・アンダーセンが指揮台の前に立ち、演奏家が一人一人登壇してゆく。コンサートらしい雰囲気。しかし、全ての演奏者が揃ったところで、指揮者が指揮を出すと、演奏者が一人ずつ「私だ!」と叫んでゆく。最後に全員で再び「私だ!」と叫ぶ。

3:エリック・アンダーセン / Opus 600 (1962)
ステージ右端から一人ずつ順番に引き延ばされた持続音を発してゆき、全ての楽器が重なり合ったドローンが形成される。最後は一斉に演奏を止める。

4:ジョージ・マチューナス / 唇と舌 Lips and Tongues (1962)
演奏者全員で、楽器ではなく口唇による破砕音を発するという楽曲。

5:ラ・モンテ・ヤング / コンポジション 1960 #7 Composition 1960 #7 (1960)
指揮者は演奏者の背後を徘徊し、任意の演奏家の肩に手をおいて演奏開始(および転換)の指示を出してゆく。演奏者は次の指示が出されるまで、引き延ばされた単一音や、短いパッセージを繰り返す。全体的な印象としては、微細な衝突を内包したドローンになっていた。最後は一斉に演奏を止めて終了。

6:塩見允枝子 / バウンダリー・ミュージック Boundary Music (1963)
演奏者全員で、通常の演奏方法によらない方法で、楽器から微細な音を発する楽曲。ボディを指で叩いたり、弓と弦をかすかに接触させたり、楽器を分解したり。

7:エメット・ウィリアムス / 数え歌 Counting Song (1962)
演奏者全員が、バラバラに観客を指差しながら人数を読み上げる。

8:靉嘔 / はひふへほ Ha Hi Fu He Ho (1976)
演奏者全員が一斉に爆笑する。最後は一斉に行為を止めて終了。

9:ジョージ・ブレクト / シンフォニー No.3 Symphony No.3 (1962)
演奏者全員が5分ほどの時間をかけて、タイミングを揃えながらゆっくりとしたモーションで椅子から滑り落ちる。

10:刀根康尚 / クラッピング・ピース Clapping Piece (1963)
指揮者の大振りな指示に従って、演奏者全員で拍手をおこなう。それぞれが個別のルールに従っているので、早い拍手、ゆっくりな拍手、停止などが混在した演奏となる。

11:アリソン・ノールズ / シャッフル Shuffle (1961)
足踏みをしながら歩くという作品。演奏家たちはそのまま退場する。

第一部は、上記11曲が休憩なしで演奏された訳だが、それぞれの作品が独立したものではなく、相互に関連し合った組曲のような構成となっていた。

12:エリック・アンダーセン / Opus 135-0022 (2010)
第二部では、コンサート的な雰囲気が一転して、ステージ上には三人の白衣の女性が立ち、三台のソファが並べられている。そして作家は観客に対して二分間のマッサージを受けるように促す。マッサージを受けられる箇所は、それぞれのソファごとに、耳たぶ、親指、アキレス腱の三カ所。観客は好みの列に並び、身体の部位の左右どちらをマッサージしてもらうか選択する。ステージ横には電動のターンテーブルも置かれ、乗りたい人は自由にこれに乗ることも出来る(ターンテーブル上で服を脱いでもよいと作家は指示する)。正面のスクリーンには、ターンテーブルに乗ったヌードモデルの映像がループで流される(股間はスクリーン前に置かれた黒い小箱によって、物理的に遮光されている)。そして、ムーディーなBGMまで流されて、奇妙なラウンジ空間が演出される。途中で、観客の参加によって「ロック・ザ・ニー」と題された二人一組で膝を突き合わせるダンスも行われた(私も見知らぬスタッフの方と踊った…)。行列は途切れることなく、一時間ほどイヴェントが続けられた。

13:エリック・アンダーセン / Opus 1961 (1961)
第三部では、まずピアノの鍵盤の前に四人の演奏家が立つ。そして一人の奏者が白盤を左端から右に向かって一音ずつ音高を上げながら弾いてゆく。そしてひとつのターンのおわりに、そこまでの鍵盤を全部弾く(このアクションでは、他の奏者も協力する)。そして最初に戻り、また左端より一音ずつ音高を上げながら弾いてゆくことを繰り返す(ターンが積み重ねられるごとに、前のターンにひとつだけ音が加わえられる)。これを鍵盤の右端に達するまで延々繰り返す。長時間に及ぶ、豊かな退屈に満ちた演奏だった。

フルクサス・イン・ジャパン2014 #3 ベン・パターソン

フルクサス・イン・ジャパン2014 #3 ベン・パターソン
東京都現代美術館 4月16日

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1:ベン・パターソン / カルメン Carmen (1990)
ミキサーとグラスが置かれたテーブルにベン・パターソンが着席する。そして、音楽が鳴り響くなか、作家の指示に応じて、仮面をつけたパフォーマー達が一人ずつバラの花を口にくわえて客席の後方から歩いてくる。作家はそのバラを受け取り、ミキサーにかける。総勢10人程のパフォーマーはステージ前方に並んで客席を見つめる。やがて全てのバラの花をミキサーにかけた作家は、しばらくグラスを眺めてから、一気に飲み干す。

2:ベン・パターソン / 池 Pond (1962)
ステージ上にテープで描かれたグリッド。それぞれの列にはアルファベットが振られており、このグリッドをパフォーマー達が取り囲む。そして、一人ずつゼンマイ仕掛けのおもちゃをグリッドのうえに置き、最終的におもちゃが停止した位置を確認し、何らかのルールに基づいて特定の単語を繰り返し発声する。

3:ベン・パターソン / 私の音、あなたの音、彼の音、彼女の音 My Tone, Your Tone, His Tone, Her Tone (2006)
まず、ベン・パターソンが未開社会の人々における「自分だけの音」にまつわる逸話を話す。そして、あらかじめ配っておいたフォネティック・コード一覧表に応じて、観客自らのイニシャルを二つの単語によって置き換えさせる。これが観客一人一人の「自分だけの音」となる。そして観客をステージ前に呼び集め、一人ずつ、この「自分の音」をマイクに向かって読み上げさせる。この音声はエフェクターによってループされ、参加者の人数分だけ多重録音されてゆく、そして最後には観客たちの声が一つの塊となったノイズ的な音響が完成する。観客参加のフルクサスらしい作品

4:ベン・パターソン / ナンバー6 Number6 (1961), 茶色 Color Brown (1961)
続いて、ベン・パターソンによって二つの詩が読み上げられる「No.6」は、観客に数字の6について想像するように指示した直後に、まったく関係ない行為を指示したり、数字の6について想像しないように指示する作品。「茶色」は、茶色にまつわる様々な物品を想像するように指示する作品。これもフルクサスらしい、観客の想像力に介入する作品であるといえる。

5:ベン・パターソン / トリスタンとイゾルデ Tristan & Isolde (1993)
クラシック曲が流れるなか、ステージにベン・パターソンとガウンをまとった女性が現れる。そして女性は下着姿となってベッドに横たわり、作家はそこにホイップクリームをたらす。そしてパフォーマーたちがベッドの周囲に集まって、ホイップクリームを和やかに食べる。食事という行為をキッチュに作品化したと理解すればいいのか。

フルクサス・イン・ジャパン2014 #2 ミラン・ニザック

フルクサス・イン・ジャパン2014 #2 ミラン・ニザック
東京都現代美術館 4月14日

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この日のコンサートは作家の急病により、本人不在のイヴェントとなった。ニザック作品のパフォーマンス後、ゲストとして急遽セッティングされたヤン富田のコンサートが催されたが、本ブログではニザック作品のみ取り上げることにしたい。

1:ミラン・ニザック / ブロークン・ミュージック Broken Music
別々のレコードを繋ぎ合わせて、周期的な針飛びノイズとともに音源をコラージュしたニザックの代表作である「ブロークン・ミュージック」の上演(録音)。本来であればレコードを用いて実演されたのだろう。仕方のないこととはいえ、残念。

2:ミラン・ニザック / インスタント・ファッション Instant Fashion
ステージ前方には古着の山と、ボウルに入ったペンキ、刷毛、カラー画用紙やハサミなどが散乱している。その傍らで待ち構える数人の黒服のパフォーマー。やがて男女10人の下着姿のモデルが次々と登場し、黒子たちは彼ら彼女らに古着の切れ端を着用させ――端切れを安全ピンで止めて、身体に巻き付けるだけだが――モデルの身体そのものにペイントし、即興的なコラージュ・ファッションショーが展開される。着用を終えて異様な出で立ちとなったモデル達は、他のモデルの作業が行われているあいだ、会場内をうろうろと徘徊する。先の「ブロークン・ミュージック」における、異質な諸要素を繋ぎ合わせるというコンセプトに通底した、コラージュされた身体の作成といえば大体想像がつくと思う。

3:ミラン・ニザック / グローブ Glove
会場にいる観客に、入場時に配った赤い手袋をはめさせたうえで行われる参加型のイヴェント。観客に対して、まず一分間のあいだ、手袋をはめた手を上げるようにとのアナウンスがなされる。次に会場の照明が落とされて、一分間のあいだ(ニザックに届くような声量で)大声を上げるようにアナウンスがなされる。すぐに終わった。

フルクサス・イン・ジャパン2014 #1 小杉武久

フルクサス・イン・ジャパン2014 #1 小杉武久
東京都現代美術館 4月13日

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1:小杉武久 / Micro1 (1961)
大判の紙を持ったパフォーマー(浜崎健)が、観客の前に立てられた一本のマイクを紙で覆う。その後、紙がゆっくりと開いてゆく音をマイクによって拾い、それを大音量で聴くという作品。パフォーマーが思いのほか力一杯紙を押し固めているため、固められた紙はほとんど音を立てず、静寂が演奏時間の大半を占める。これによって、観客は微細な音を聞き取ろうとして、聴取に集中することになる。

2:刀根康尚 / Smooth Event (1963)
音を発する機器の上でワイシャツにアイロンをかけるという刀根の作品。今回は何故かパフォーマーが湯浅学だったため、機器としてエレキギターが選択されていた。そのため、ガサゴソとした物音とギターのフィードバック音が入り交じり、奇妙にロック的な印象の再演となっていてユニークだった。

3:小杉武久 / South e. v. #2 (1962/2014)
サウスという発音を解体的なイントネーションで発声し、その音声を録音したテープに物理的操作と電子的変調を加えることで、さらなる変形を行うという作品。アシスタントはいつも通り和泉希洋志。まず小杉が発声を担当し、録音された音声を小杉と和泉が二人掛かりで変調する。小杉は椅子に座ってエフェクター類を操作するだけでなく、読み取りヘッドにかけたオープンリールの磁気テープを両手で持ち、それをスライドさせ、音声を奇妙に歪めるなどのアクションも行った。音声詩的な変調プロセスのライブ実演といえる。

4:小杉武久 / Organic Music (1962)
一定時間のあいだに、決められた回数の呼吸を行うという作品。呼吸を模した楽器によって演奏することも出来るので、今回はアコーディオンが選択されていた。小杉は、ゆっくりと、時には素早くアコーディオンの蛇腹を伸縮させる。呼吸の回数をコントロールすることによって、無意識の生理的行為が意識化されていた。

5:小杉武久 / Catch Wave (1967/1969)
度々演奏される、小杉のキャッチウェイブ。今回は和泉と浜崎を加えた三人での演奏となる。発信器とラジオ受信器のあいだで、干渉によって発声するノイズを聴き取るというコンセプトの作品だが、その激しい電子ノイズゆえに、ノイズ音楽好きにも古くから聴かれている作品である。まず、二人は釣り竿を手にする。この竿に結ばれた糸の先に発信器が取り付けられており、小杉と和泉はそれを揺らしながら床に置かれた受信器に接近させる。すると激しい電子ノイズがランダムに発生する。さらに、机上にはターンテーブルに乗せられた発信器も準備されており、その回転による距離の変化によって発生した電子ノイズも加えられてゆく。重層化された激しいノイズがひとしきり続いたところで、次に会場前方のドアが開けられ、自転車に乗った浜崎が会場に突入してきて、場内を走り回る。この自転車の荷台には受信器、車輪には発信器が取り付けられており、走行することによって電子ノイズを発生させる仕掛けになっている(スピーカーは自転車の前かごに放り込まれている)。視覚的にも音響的にも混沌としてきたところで、浜崎は自転車で再び場外に走り去り、音量が絞られて演奏は終了する。

6:小杉武久 / Chamber Music (1962)
演奏者が袋の中に入って、身体の一部を袋の外に出したり、袋のなかで演奏を行う作品。小さな打楽器を持った高橋悠治が黒い袋に入り込んで、身体をくねらせながら、手などの体の一部位を袋の外に出したり、時折、楽器の音を立てたりする。オブジェ化された身体そのものを再認する作品であるといえる。5分ほどして袋から出てきた高橋悠治が、袋を軽く蹴飛ばしていたのが可笑しかった。

7:ジョージ・ブレクト / Incidental Music (1961)
グランドピアノに対して、演奏技術とは無関係な日常的行為が指示されるという作品。高橋悠治は鍵盤をテープで止めたり、椅子の足をピアノ本体に引っ掛けたり、ピアノ内部に小さなブロックを積んで崩したり、これらの様子をポラロイドカメラで撮影したりする。

8:小杉武久 / Film & Film #4 (1965)
今回のプログラムのなかで唯一の「映画」作品。まず、大きな木枠に貼られた白い紙がステージに設置される。そこに16mm映写機からフィルムをかけない状態のランプ光が投影され、白い紙は何も映されていないスヌケのスクリーンとなり、一種の映画的空間が生み出される。次に小杉はスクリーンの背後からはさみを突き刺し、スクリーンを貫通する穴を中央に開く。そして、そのまま四角いフレームとしての穴を切り広げてゆく。その作業は一辺ずつ徐々に進められてゆき、観客の意識のなかでスクリーンであった対象は、小杉の身体的行為に並行しながら、ただの紙に変貌してゆく。このような、映画に身体を介在させるコンセプトは拡張映画ではよく見られるもので、そこに大きな驚きはないが、映画的空間と日常空間の接続を、漸進的なひとつの連続のなかで見せる例はあまり思い出せないので、その点において興味深い。時間のなかで演奏行為を展開させる音楽家ならではの発想だといえる。最終的に木枠を残して紙が全て切り取られて、パフォーマンスは終了する。