11/11– 2

この日は午後2:00から「Terr(h)istories of video arts : Iceland」と題された、アイスランドのビデオアート特集上映からはじまる。このプログラムに含まれる作品の多くはインスタレーション向きの短い映像であったようだ。ストーリ的要素もなく、複雑なコンセプトもない、シンプルな作品ばかりだった。ちょっとシンプルすぎて物足りない気もするが。次のサイト(http://madatac.es)で大半の作品のスチルを見ることができます。印象に残ったのは以下の通り。

・Dodda Maggy – Minerva (2013, 2’)
暗闇を飛ぶフクロウ。カラー/サイレント。

・Sigrún Harðardóttir – Gaia Breathing (2011, 2’20)
水面が収縮する映像。カラー/サウンド。Vimeoにて観られます(http://vimeo.com/55512066)。

・Sigrún Harðardóttir – Glasshouse (2010, 4’47)
荒廃した飼育舎にて野鳥が飛び交う。カラー/サウンド(フィールド音+アンビエントなドローン)。Vimeoにて観られます(http://vimeo.com/63853006)。

・Sigrún Harðardóttir – Gaia in Action (2011, 2’20)
スローモーションで撮影された火山の火口の映像。カラー/サウンド。

・Steina Vasulka (with Woody Vasulka) – In the Land of the Elevator Girls (1989, 4’)
日本で撮影されたヴァスルカ夫妻の作品。エレベーターガールの乗ったエレベータのドアが開閉し、その度に異なった(典型的な日本文化の表象としての)外の風景がビデオ合成される。カラー/サウンド。

・Elísabet Brynhildardóttir – Prevaling Rhythm (2012, 2’)
吹雪の中を進む除雪車の様子。カラー/サウンド。

・Sally & Mo – Wuthering Heights (2010, 6’37)
カッパを来た裸の女性二人が、川の中に歩みを進める。そして、草原に置かれた、回転する扇風機のショットに繋げられる。カラー/サウンド(ヴァイオリンによる演奏)。

・Sigrún Harðardóttir – Gaia in Streaming (2013, 2’20)
暗闇の中で流れ落ちる瀧。カラー/サウンド。

午後3:30からは「Terr(h)istories of video arts : Cuba」と題されたキューバのビデオアート特集上映があったが、あまりしっかり観られなかったので割愛する。ただ、思ったほどの政治性は感じなかった。それに続いて午後4:30からは「Terr(h)istories of video arts : South America」と題された南米のビデオアート特集上映となる。社会的・文化的背景のなかにある残酷さを捉えたような作品が多かったのが興味を惹いた。

・Clemencia Echeverri – Juegos de Herencia (Colombia 2011, 6’ )
村落で行われる祭儀を撮影した作品。地中に頭だけ出して埋められた鶏。タオルで目隠しをした村民は、祭りの高揚のなかで鶏を殺す。その暴力は、単なる享楽として消費されるようなものではなく、より歴史的なものと関連付けられている。カラー/サウンド。

・Tomas Ochoa – Indios medievales (Equator 2010, 6’)
背広姿の男性が、古来からある柄杓による水責めの拷問を受けるという作品。植民地にまつわる歴史的背景の隠喩が織り込まれていると思われる。モノクロ/サウンド(聖歌)。

Ivan Marino - A woman on the trapeze
・Ivan Marino – A woman on the trapeze (Argentina 2012, 7’)
本来は3チャンネルのビデオアートとして制作された作品。荒廃した屋内における三つのポイントで、パフォーマーの女性が壁に吊るされる。そして、吊るす部位や方法を変えることによって、奇妙な空中ブランコを思わせるバリエーションが、機械的に展開されてゆく。不穏な、まるで絞首刑のような状況下において、機能を奪われて重力に従う身体の奇妙さ。回しっぱなしのパフォーマンス映像としてではなく、映画的な細かいフィックスショットの積み重ねによって作品を構成しており、ひとつのスクリーンで映画的に観ても引き込まれる。非常に印象深い。カラー/サウンド(機械的なノイズ音)。

・Charly Nijensohn – Dead Forest Storm (Argentina 2009, 5’)
ダム建設によって、祖先からの土地を追われた人々の存在を隠喩する作品。豪雨のなか、湖面に浮かぶ板の上に立つ人物。その光景を遠方より撮影する。カラー/サウンド(雨音)。

Oscar Farfan - Tierra Arrasada
・Oscar Farfan – Tierra Arrasada (Guatemala 2009-10, 8’)
何の変哲もない山中を撮影したショットが次々と映し出され、そこに80年代のグアテマラで起こった武力紛争と虐殺にまつわるエピソードが折り重ねられる(Wiki グアテマラ内戦)。同じコンセプトの写真作品も制作しているらしい。カラー/サウンド。

・Maya Watanabe – A-Phan-Ousia (Peru 2008, 5’)
様々な映画からサンプリングされた音声(台詞)が、一人の女性の口の動きに合わせて当てられる。カラー/サウンド。

・Roberto Bellini – Notas de uma Encenação (Brazil 2008, 15’)
テキサスのゴリアド郡で開催されている、1936年のテキサス革命のなかで起こったゴリアドの虐殺にまつわる地元行事のドキュメント(Wiki ゴリアドの虐殺)。カラー/サウンド。

午後5:30からは「Terr(h)istories of video arts : Quebec」と題されたケベックのビデオアート特集上映となる。興味深かった作品は以下の通り。

・Frank Vitale – Hitch-Hiking (1972, 15’) (extract)
駅に停車している貨物列車に忍び込み、無賃乗車(トレインホッピング)を行う少年。作家はポーターパックを手にして、この少年のヒッチハイク旅行に同行する。行き先の分からないまま、走る列車に揺られながらのんびりと吹き鳴らされるハーモニカ。観ていて気持ちのよい作品。初期のビデオアートが、ヒッピー的な文化圏のなかで広まっていたことがよく理解できる。この日の上映は抜粋だったが、作品にはこれとは別のパートもあるようだ。モノクロ/サウンド。

・Donigan Cumming – Culture (2002, 17’)
病床にある、入院中の老人のアパートを訪ねて、その所持品を探索する過程を撮影したドキュメント。老人の自室はひどく荒廃しており、彼の過去を示す品々や写真は、ゴミや腐敗物のなかに埋もれている。そのような、埋もれつつある個人史的なものとしての「文化」を作家は掘り起こしてゆく。カラー/サウンド。次のサイト(http://www.vdb.org/titles/culture)で一部を観ることができます。

その後、閉会の挨拶とライブ演奏込みのパーティーが催された。ここのフェスティバルは、毎晩大変旨い料理が観客に振る舞われる。高級料理ではないが本当に旨い港町の料理であり、満たされた気分になる。酒に弱いのでワイン一杯で酔っぱらいながら、ケイトさん、マイケルさん達と談笑。同じテーブルには何人かの作家や研究者が座っていたのが、そのうち一人がフランスのビデオ作家であるジャン=フランソワ・ギトンだったので驚いた。彼は2002年に来日して京都で上映会をやったことがあり、上映会後に一緒に飲んだ覚えがある(すっかり顔を忘れていた)。そのまま京都の思い出話を聞く。さらに話題は、クロアチアにおける実験映画とビデオアートの差異、ケイトさんが昔取り組んでおられた日本の同性愛文化についての研究、海外の人たちから見て日本の原発事故がどのように映っているのか等々、とめどなく広がってゆく。当時はオリンピック開催地の決定前で、東京招致委員会の「福島は東京から250キロ離れており、皆さんが想像する危険性は東京にない」という馬鹿馬鹿しい発言があった時期だったので、それをネタにしたら海外の人たちには馬鹿受けだった。

しばらくすると、クロージングイベントとして、瀧氏の“テレビの呼吸を聞く”というパフォーマンスが行われた。これはブラウン管に亀裂を入れて、気圧差から発する空気音を聞き取るというもの。以下、パフォーマンスの様子とその残骸。
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また、会場にはビデオアートの原点としてのポーターパックも展示されていた。改めて象徴的な機材だと思った。(その一方で、この文脈だけでは実験映画を掬い上げることができないことも再確認した。)
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零時を回った頃に、スタッフの皆さんと記念写真を撮って、会場を後にする。今回はザンスタン・ビデオの皆さんには本当にお世話になった。また、ケイトさん、ヤンさん、マイケルさんにも感謝。

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