バーバラ・ロンドン スペシャル・トーク「ヴィデオ幻視者たち:それってテクノロジーと何の関係があるの?」

8月8日、ICCにて、MoMAにおけるビデオアート・メディアアートのキュレーターを長年務めていたバーバラ・ロンドン氏を招いて、「ヴィデオ幻視者たち:それってテクノロジーと何の関係があるの?」と題されたイベントが行われた。しばらくロンドン氏は日本に滞在していて、札幌国際芸術祭でも高谷史郎『Chroma』についてのトークに参加したり、京都でも同様のプレゼンを行ったりしたらしい。この日の登壇者はロンドン氏、パイクのエンジニアであった阿部修也氏、ICC学芸員の畠中実氏というメンバーだった。基本的にイベントは、ロンドン氏による個人的経験に基づくビデオアート・メディアアート史のプレゼンとして進行し、要所要所で三人が話を拡げてゆくというスタイルだった。以下、発言を逐次追った自分のためのメモを箇条書きでまとめておきます。聞き逃しや間違いも多い、かなり適当な内容なので、あまり当てにしないで下さい。(ちなみに会場からの質問の最初の二つは私です。)


ICC OPEN SALON
バーバラ・ロンドン スペシャル・トーク
ゲスト:阿部修也
ヴィデオ幻視者たち:それってテクノロジーと何の関係があるの?
Video Visionaries: What’s Technology Got to Do with It?
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2014/Opensalon67/index_j.html

プレゼンテーション
・(ロンドン)1930年代のMoMAが掲げた「Art in Our Time」について。
・(ロンドン)初期のパイク作品について(新しいメディアの使用について)。
・(ロンドン)1960年代の初期ビデオアートについて。ニューヨーク市長であったリンゼイや、マクルーハンの映像をマグネットで変形させた作品群について解説。そこには政治的なものも含まれている。
・(阿部)パイクのエピソードをいくつか。金がなくてビデオ機材を質に入れたりした(笑)。パイクはマグネット操作が上手かった。
・(ロンドン)1968年、MoMAの「マシーン 機械時代の終りに」にて、リンゼイ、マクルーハンの映像を変調させた作品を展示した。パイクはビデオをループで上演したが二日で壊れてしまった。
・(ロンドン)ウォーホルがパイクのスタジオに行って影響を受ける。そして、ウォーホルは『Inner & Other Space』(1965)を制作する。
・(ロンドン)アルド・タンベリーニの活動について。
・(ロンドン)ビリー・クルーヴァーのEATについて。ハイエンドなテクノロジーもあれば、一方では阿部+パイクのDIYなテクノロジーも併存していた。フランク・ジレットの作品が映るが特に触れず。
・(ロンドン)1970年代のヒッピーアーティストのビデオツール(ポーターパック)について。
・(ロンドン)1973年、MoMAの「オープンサーキット」について。ここには松本俊夫も参加して報告を行った。
・(ロンドン)ヴァスルカ夫妻が「キッチン」を創設。『ヴァイオリンパワー』(1970-1978)について解説。
・(ロンドン)ジョーン・ジョナスの『ヴァーティカルロール』(1972)について。ジョナスは、1970年に一度来日しているはずで、その後ビデオを入手した。自分自身のアイデンティティを探って、ジェンダーをテーマとする。スタジオにて一人でビデオの実験をおこなっていた。
・(ロンドン)ミュージックビデオ、ローリー・アンダーソンの作品について。
・(ロンドン)1979年、ビデオアートの展覧会であるMoMA「Video from Tokyo to Fukui and Kyoto」について。これは他の美術館も巡回した。
・(ロンドン)古橋悌二とダムタイプについて。古橋の『Lovers』(1994)を紹介。
・(ロンドン)キュレーターのリサーチについて。90年代に行ったインタヴューをネットにアップロードする活動について(http://www.moma.org/interactives/projects/1999/dotjp/)。
・(ロンドン)現代のアーティストのツールは、ポーターパックからスマホなどに変化した。アーティストのビデオは、いまやメインストリームになった。
・(ロンドン)2013年、サウンドアートの展覧会であるMoMA「Soundings」が最後の仕事となった。ヘッドホンを使用しない展示空間を意図した。
・(畠中)『ヴァーティカルロール』におけるテクノロジーの誤用。初期のビデオアートやメディアアートにおけるメディアの再発見について。
・(阿部)パイクは良い時代に活動できた。彼はテクノロジーを普通の使い方で用いなかった。
・(ロンドン)キャンパスのインタラクティヴ作品を紹介。アーティストはメディアの使用法の発見をアートの段階まで押し上げている。
・(畠中)ビデオからサウンドへという関心の移行が、ヴィオラに表れている。
・(ロンドン)ビル・ヴィオラとデイヴィッド・チュードアのサウンド面での繋がりについて。チュードアの『レインフォレスト』と、ヴィオラの『He Weeps for You』(1976)を解説。
・(阿部)パイクのエピソード再び。パイクは言うことが無茶苦茶で困らされた(笑)。金がなくて親の遺産を前倒しでつぎ込んだ話も。アートはショックを与えるのが価値であると。加えて、古いメディアを保存してゆく必要性について。
・(ロンドン)MoMAでもブラウン管のテレビを保管している。会場にアーティストの方がいるならお願いしたい。作家自身が作品を守らないといけない。(テクノロジーメディアを用いた)作品を売る時には仕様書・指示書を付けてほしい。MoMAはそこを大事にしている、といった呼びかけ。

会場からの質問
・(Q:私)MoMAは1970年代からテクノロジーメディアを用いた作品を積極的にコレクションしてきた。当時、美術館内部ではどんな苦労があったのでしょうか?
・(ロンドン)展示物を繋げたりする際のエンジニアリングなど、問題は常にあり、難しい。(←質問の意図が伝わらなかった…。)

・(Q:私)ビデオが普及してメインストリームになったと言われたが、その通りで、今や「ビデオやテクノロジーをどのように捉え直すか」というようなアーティストの動機は薄まっている。初期のビデオアーティストにはそういった動機があった。今ではビデオを当たり前のものとして使っている。「ビデオとは何か、メディアとは何か」というコンセプトは存在しない。そのようなメインストリームになった、現在の美術としての映像作品を、初期のビデオアートと同じ文脈で捉えられるか?
・(畠中)初期のビデオアートと、今の美術における映像作品は、ビデオというメディアとしては同じものを使っているけど、アーティストのモチベーションとしては違うのではないかということですね?
・(ロンドン)まず時代背景が違うというのが大きい。70年代は政治的な時代だった(ウーマンリブの運動、ドラッグカルチャー、「2001年宇宙の旅」のインナートリップ…)。私が日本に来た頃はJVCの「東京ビデオフェスティバル」などがあり、普通の市民もビデオにアクセスするようになった。そのなかでアーティストはビデオを普通じゃない使い方で用いることを追求していた。
・(ロンドン)今も、日本に来て若手のアーティストと会う機会がある。地震・原発事故の問題などを取り入れた若いアーティストもいる。彼らはそういった背景の中でアートをどう捉えるのかについて意識している。しかし現在では、昔のアーティストのようにテクノロジーを全面的に捉えるのではなく、複数のレイヤーの中の一つの要素としてテクノロジーを使っている印象を受ける。
・(畠中)70年代のテクノロジーには、未来を想像させるという役割もあったのではないかという気もする。

・(Q:風間正氏)そのようなテクノロジーやアーティストの違いを考えるなら、60年〜70年代と今で、人々の意識がどう変わったのかを考えないといけないのでは。
・(ロンドン)60年~70年代は政治的な挑戦が多かったと思う。その後、経済が発展しバブルは崩壊した。そして景気も悪くなり、今は実践主義的な、コレクティブな活動が戻ってきている気はする。

・(Q:瀧健太郎氏)ある批評家が言っていたが、初期のビデオアートと2000年代以降のビデオアートの違いは、観客を邪魔するというか、マスメディアへのアンチやカウンターといったところがあった。初期の方がビデオのマテリアル性への意識が強かったのではないか。しかし、2000年代は参加性やイリュージョナルな方向に進んでいるんじゃないかという意見がある。どう思うか?
・(ロンドン)サイクルがあると思う。二つに分けられないとは思うが、確かに綺麗な作品は増えたような気もする。音楽もそうで、美しさとともに、ノイズも存在するんじゃないかと思う。

・(畠中)初期のビデオを含むテクノロジーアートは手作業のものが多いように思われるが、当時は機械がやっているだけじゃないかとも批判されていた。現在では技術が一般化して、普通の人でも技術に触れる機会が多くなった。それにより、DIY的なアートは盛んに作られている。しかし、テクノロジーに頼っているだけだという誤解は今もあると思える。
・(ロンドン)興味深い指摘であり、今はPCなどのオブジェクトのなかにある実体とは何か、それをアーティストがどう具現化するか、というセオリーが出てきている。

その後、畠中氏が阿部氏にまとめを振るが、そこからまた話が拡がったりもしながら、この日のイベントは無事終了した。個人的にはロンドン氏が、現在の美術における映像作品の一般化をどう捉えているか、少しだけ見えた気がしたので満足した。

近年の日本国内でのビデオアートの捉え方は、クラウスのヴィデオ論の文脈に囚われ過ぎているところがあり、それによって必然的に立体作品やインスタレーションなどの造形美術を手がけている(もしくは手がけていた)美術家のビデオ作品のみが重要視されるという、ややバランスを欠いた現状があると思う。そういう現状を思うと、東近美や都現美のような国公立美術館ではなくICCでロンドン氏のプレゼンを聴くという状況も、また必然なのかもしれない。MoMAのビデオアート・メディアアートのキュレーターという立場から俯瞰したビデオアート・メディアアート史は、通史としても興味深いものであり、こういった通時的な前提があってこそビデオアートやメディアアートを批評的に、あるいは拡張的に読み替えることが可能なのではないか、と思えた。


さて、後日ネットをあさっていると、ロンドン氏の京都でのプレゼンテーションのレヴューを発見した。大変クリアなレポートであり、とても分かりやすい。
http://www.kcua.ac.jp/arc/2014/08/12/barbaralondon/
そして更にネットをあさっていると、浅田彰が、このプレゼンテーションの際に客席から行った質問の趣旨と、それに関わるレスポンスを述べているのを発見した。エントリー自体は札幌国際芸術祭についてのものですが、「*注2(後記)」の項目を参照のこと。なかなか興味深い…。
http://realkyoto.jp/blog/sapporo-internationalartfestival2014/

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