Makino Takashi Open Experimental vol.2

Open_Experimental_vol.2-700x466

渋谷アップリンクにおいて、牧野貴の近作をまとめて上映する「Makino Takashi Open Experimental vol.2」が、8月3日に開催された。珍しく会場に足を運ぶことが出来たので、全作まとめてレヴューしておく。プログラムは「短編映画上映プログラム」と、「『Space Noise』ライブ上映+『Phantom Nebula』」の二部構成となっていた。この作家が、ここ数年の映画制作において何を主題としていたかを確認する、とても良い機会になったと思う。


「短編映画上映プログラム」
・『Article left by the departed』(2013年/8分/日本)
音楽:牧野貴
比較的はっきりとしたフォルムを保った水泡と、抽象的な粒子の運動が重ね合わされた、牧野と青柳龍太の二人展のための作品。

・『wordless in woods』(2014年/3.5分/日本+アメリカ)
音楽:タラ・ジェイン・オニール

タラ・ジェイン・オニールの楽曲「wordless in woods」のミュージックビデオとして制作された作品。木漏れ日の映像を素材とする、シンプルな抽象映像となっている。Youtubeで試聴可能(1080pでの視聴推奨)。

・『Ghost of OT301』(2014年/9分/日本+EU)
音楽:Inconsolable Ghost


牧野が所属する即興演奏ユニット、Inconsolable Ghostのアムステルダムでのライブ音源を使用した作品であり、珍しく音楽が先行する作品である。フィルムのスクラッチノイズやドリッピングのような微細な粒子が画面を埋め尽くす。その粒子の奥に、判別が難しい半抽象化した状態で、複数の人影が垣間見える。これは作家の解説によると、ある劇映画から取られたファウンドフッテージらしい。引用による意味の変形という方法が、この作家の表現方法にどのような作用をもたらすのか、まだ模索は始まったばかりだと思うので期待したい。

・『Generator』(2011年/19分/日本)
制作:愛知芸術文化センター 音楽:ジム・オルーク

愛知芸術文化センターの2011年度制作助成作品。東日本大震災の前から、同タイトルにて制作が進められていた。原発事故以前の東京の昼景/夜景を素材としながら、抽象的な光の粒子が都市を融解させてゆく。構想段階から「イメージの生成装置(ジェネレーター)」という作家のコンセプトは存在していたと思われるが、原発事故によって本作が背負うイメージは、作家の意図とは異なるものになったといえる。しかし、ある種の芸術の社会性とは、このように作家の意図を越えたかたちで、作品と社会との関係性のなかに生まれるものである。音楽は、ジム・オルークの弦楽器によるドローン主体の楽曲「Despite The Water Supply」(Touch, 7″)を、マルチトラックから再構成し直したもの。ロッテルダム国際映画祭にてタイガーアワードを受賞しており、牧野の海外の映画祭での評価を決定づけた作品である。未見の方は、愛知芸術文化センターのフェスティバルなどで定期的に再上映が行われているので、機会をみつけて観てほしい。Youtubeで試聴可能(ただし、Youtubeの解像度が最低限必要なレベルに追いついていないので、現場での鑑賞を推奨)。

・『2012 3D』(2013年/30分/日本)
音楽:牧野貴

一年を掛けて一本の映画を制作し、その生成プロセスを定期的に上映により公開するというコンセプトによって、2012年を通して作家が取り組んだ作品。この作家はじめての立体映画であり、片目のグラスを掛けてスクリーンを観ることによって、プルフリッヒ効果を応用した立体感を得ることができる(ただし、グラスの使用は観客の自由である)。グラスを掛けて鑑賞した場合、この作家が得意とする画面を埋めつくす微細な光の運動が、立体的な奥行きを持った複数のレイヤーのなかで立ち上がってくる経験を得られる。それは、現行の商業映画における3D技術とは、可能性のひとつに過ぎないということを突きつけてくる。ケン・ジェイコブスのパラシネマのアイデアに繋がる、技術的集合としての[映画]を内部的欠如から問い直す試みといえるだろう。また、映像メディアの移行期に制作されたこともあり、前半はフィルムによって、後半はビデオによって制作されている。前半における横方向に走る鋭利なエマルジョン面への傷、そして、後半における沸き立つようなピクセルの運動と、この使用されるメディウムの違いによる生成結果の異同も興味深い(フィルムであることの意義を、映画史的執着においてしか見出せない人々には理解しにくいだろうが)。ごく一部のみYoutubeで試聴可能(1080pでの視聴推奨)。


「『Space Noise』ライブ上映+『Phantom Nebula』」
・『Space Noise 3D』(2014年/30分/日本)音楽:牧野貴
アクション・ペインティング的な飛沫を主体とする抽象的な粒子の運動が、2台のプロジェクターによってスクリーンに投影される(ひとつは通常の方式でスクリーンに、もうひとつはスクリーンを包み込むようにして壁面に)。それによって、溶け合うようにして重層化された上映空間は、観客個人の注意の向け方によって、全く異なった視覚的経験が生成される場となる。更に、本作も『2012』と同じ方式の立体映画なので、片目のグラスをかけて観ると、重層化されたレイヤーの内部において視覚が分解されるような経験を得ることが出来る。なお、音楽は作家によるライブ演奏で、直線的なドローン・ハーシュノイズが生成されていた。このように、本作は視覚・聴覚を通して、リアルタイムに生成されるものとしての[映画]を追求するという、この作家のコンセプトが特に明確に表れている。

・『Phantom Nebula』(2014年/63分/日本+ノルウェー+オーストリア)
音楽:牧野貴、ROOM5、長谷川洋&マヌエル・クナップ
この作家の作品のなかでも最も長尺であり、新たな試みが随所に見られる作品。「The Bridge」、「Ghost of Cinema」、「Phantom Nebula」の三部から構成される。第二パートではノルウェーのROOM5が、第三パートでは元C.C.C.C./Astroの長谷川洋と、マヌエル・クナップが楽曲を提供している。パートごとに分けてレヴューしておきたい。
・Bridge: 水面の映像を重ねて抽象化を行うが、その生成プロセスを極めて判別しやすい形で見せている。それによって、意識が具体的な対象物から離れて、抽象化の方向へと向かうプロセスを観客に自覚させている。サウンドは作家によるドローン・ハーシュノイズ。
・Ghost of Cinema: この作家の今までの仕事の中でも、最も実験的なサウンドトラックの使用がみられるパート。サウンドトラックは外国語の会話のコラージュからスタートする。このような明確な具象性を持ったサウンドに対して、スクリーン上には、グリーンの粒子の運動を主体とした完全抽象の映像が投影される。一見すると、それらはマッチングしない組み合わせのように思われる。しかし、ここには映画以外の媒体からは得られない、映画に固有の経験が立ち上がっている。それは、端的に述べるならば、映像をサウンドによって異化させること、あるいはサウンドを映像によって異化させること、そのものである。続いてサウンドは、不安定な演奏の無国籍風の楽曲へと移行する。このサウンドトラックの転換方法は、ジム・オルークによる作品「Rules of Reduction」(Metamkine, MCD)に通底する、編集による意味の切断そのものである。
・Phamtom Nebula: 人工的・工業的な風景を素材としたと思われる抽象的な映像に、シンセノイズの奔流が併せられる。本作は全編を通して中央に抽象化された運動が集中するように構成されているが、このパートは、特にその構造が明確に見て取れる形になっていたように思う(すなわち、上下左右の対称性が分かりやすい)。

Advertisements