本日の散財(と展覧会レヴュー)

・Ann Arbor Film Festival DVD Collection Vol.7 / DVD
・「ヨコハマトリエンナーレ2014」展覧会カタログ
・「シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN」展覧会カタログ
・「堀浩哉 起源」展覧会カタログ
・堀浩哉 – 滅びと再生の庭 美術家・堀浩哉の全思考
・山口勝弘 – IMAGINARIUM
・Grim – Beautiful Morning / 7″
・Jim O’Rourke – Steamroom14 / File
・Jim O’Rourke – Steamroom15 / File

十月中旬までの散財。このところ観に行きたい(行くべき)展覧会が重なっていて、東京に行った際には、美術の方に時間をかけている。なのでカタログ類が多い。手短かに各展覧会をレヴューしておこう。

ヨコハマトリエンナーレ2014は、それほど期待していなかったが、実際に観に行って印象が大きく変わった展覧会だった。国際展としてのアクチュアリティは希薄だが、企画展として見るならば森村泰昌が設定した「忘却」というテーマに基づいて、かなり作り込まれた構成になっていたと思う。とても見応えがあった。時間の都合でエリック・ボードレールの映画『The Ugly One』(2013)は、その一部しか観ることができなかったが、例によって足立正生のナレーションを重層的に取り込んだ作品だった。確かにテーマに即して考えるならば、浅田彰が指摘するように『アナバシス』(2011)の方が合っていたようにも思う(『アナバシス』で表現されていたものは、「革命に生きた27年間」という空白を埋めようとする言葉の集積であった)のだが、最後まで観た訳ではないので保留としておく。その一方で、メルヴィン・モティの『ノー・ショー』(2004)は全体テーマに合わせて制作されたと言われても何の違和感もない、欠如についての作品になっていた。本作に表れている欠如とは、映像として映し出される空っぽの部屋が、実は美術館でも何でもない、フィクショナルな空室であることによって二重に捩じれている。これらの作品から、現代美術の文脈における映像使用の可能性の一端が、このような中心点として存在する欠如や空白と、その周囲を循環する再帰性の表現にあることを指摘することも可能だろう。

上目黒の〈青山|目黒〉で開催された「シュウゾウ・アヅチ・ガリバー」展(9月13日〜10月11日)は、シンプルな構成ながら、矢印に関わる作品を中心に、ガリバーの創作活動に光を当てようとする好企画。ここで会場の様子を見ることが出来る。滋賀近美で2010年に開催された「シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN」のカタログも販売されていたが、持ち合わせが足りなかったので、後日、美術館に直接オーダーして入手した。実験映画関係の仕事が興味深い。

多摩美術大学美術館で開催中の「堀浩哉展 起源」(10月18日〜11月9日)は、美共闘の活動などで知られる作家の退職記念展(私は観る時間を取れなかったが、毎日午後四時からパフォーマンスも行っているらしい)。数年前、初期ビデオアートをまとめた「ヴァイタル・シグナル」の準備を進めていた際に、作家に連絡を取って、ビデオを使用した1970年代の作品をリサーチさせてもらったことがあるのだが、1970年代以前と以後の絵画作品を併置させた今回の展示構成によって、あの時代にビデオを使用したパフォーマンスを行わなければならなかった動機が、より明確になっていたように思う。また、展示されていた運動関係のガリ版には未見のものが幾つかあって、個人的にかなり興味を惹かれた。ところで、カタログ収録の対談のなかに、1969年の「フィルムアート・フェスティバル1969」粉砕行動の現場に堀も居合わせたという記述があったのだが、これはかなり気になるトピックである。

横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の、「山口勝弘展 水の変容」(10月18日〜11月9日)は、山口の近作を中心に、幾つかの過去作品も織り交ぜながら構成された展示で、中谷芙二子の「霧」のように、山口の諸作品から「水」というテーマを取り出したものとなっていた(「霧」と「水」、そこに見出されているのは、いずれもメディアの媒介性・中間性である)。武満徹が音楽を担当した(元来はダンスパフォーマンスのための)ビデオ作品『WAVE LENGTH』(1984/1998)は本展覧会の白眉であるが、その荒々しい波は、否応なく隣室のドローイング『三陸レクイエム』(2011)と結びつけられる。実験工房に始まる山口の長い作家活動歴を思うと、どうしても情緒的になってしまう所もあるが、それを差し引いても、よく作り込まれた展覧会だった。

あと、先月になるが、ワタリウム美術館で開催されている「磯崎新 12×5=60」(8月31日〜2015年1月12日)も観に行った。いつもワタリウムで展示される解説映像はよく作り込まれていると思うのだが、今回は特に「空間から環境へ」(1966)から「お祭り広場」(1970)に至るまでの解説がよくまとまっていた。また、「間—日本の時空間」展(1978年10月11日〜1月11日、パリ装飾美術館)についての資料類が大変充実しており、松本俊夫の『氣:Breathing』(1980)が、海外において、どのような背景のもと上映されたのかについて、よく理解できる展示となっていた。

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