「石田尚志 渦まく光」展@横浜美術館


「石田尚志 渦まく光」展
横浜美術館 2015年 3月28日(土)~5月31日(日)
沖縄県立博物館・美術館 2015年9月18日(金)~10月25日(日)
http://yokohama.art.museum/special/2014/ishidatakashi/

石田尚志は越境的なポジションにいる美術家/映像作家として知られている。もともと石田は、1999年のイメージフォーラムフェスティバルで特選となった『部屋/形態』(1999)や、愛知県立美術館オリジナル映像作品として制作された『フーガの技法』(2001)などの実験的なアニメーションにより、いわゆる実験映画の周辺においてその初期の評価を確立した。しかし、初期から現在に至るまでその表現の中心となっていたものは、アニメーション作品としての映像というよりも、むしろ描画行為それ自体であったと思える。そして、その行為をそのまま取り出すために選択された方法こそが、石田の作品を成り立たせる「ドローイング・アニメーション」であった。これは16mmフィルムカメラ(現在はデジタル一眼)のコマ撮りによって、平面上のドローイングの痕跡を撮影し、それをフィルムの上で——すなわち映画的な時間構造の中で展開するという手法である。一般的なドローイングが作品の完成に向かって終わっていく作業であるのに対して、このような手法によるドローイングには、明確な終着点が存在しない。それはフィルムやデジタル一眼を始めとした映像メディウムの特性を巻き込みながら、自動化された運動を続けることになる。

さて、今回の展覧会は石田にとって初の大規模な回顧展であり、横浜美術館と沖縄県立美術館を巡回する。フィルム/ビデオを問わず、映像作品が中心となる美術展示では、その方針によって見せ方が大きく変わるものだが、今回の横浜での展示は、石田の映像と深く結びついた造形物を、可能な限り併置するというアプローチが取られていた。石田は、過去にもたびたび平面作品などを映像に併置させる形で展示を行ってきたが、今回の展示でもその多くが再現されている。そのため、館内の壁や宙吊りのスクリーンには無数の映像が映し出され、その間を縫うようにして、絵巻物や平面作品、原画、インスタレーションのセットなどが展示されることになる(しかもフィルム作品については、可能な限りループ化されたフィルムによるプロジェクションを行っている)。その様子は、まるでこの空間全体が、複合的なインスタレーションとして構成されたものであるかのようだ。この一連の展示を観て、石田のドローイングが一つ一つの作品や各々のメディウムの枠組みを飛び越えて、一つの絵巻物のように繋がっていると思ったのは、私だけではないだろう。以下、具体的に各作品を概説することで、この展覧会全体を満たす複合性を表してみたい。


まず、美術館に入ってすぐのエントランスには、三枚の大きな壁が設置されており、ここには『海の壁—生成する庭』がプロジェクションされる。また、エントランスの天井近くの壁面には『絵馬・絵巻』もプロジェクションされている。

・『海の壁—生成する庭』(HD×3, 6min, 2007)※章立てとしては第4章に属する
三面スクリーンによるインスタレーション。横浜美術館での四ヶ月にわたる公開の滞在制作によって制作された。作品の流れとしては、まず映像の中の映像として、16mmフィルムによる海のイメージが映し出される。そして、この16mmフィルムによる映像を起点として、液状化したドローイング・アニメーションが進行してゆく。ホワイトキューブの床や、転倒した壁の表面に溜まった、液状化した絵の具の流れが印象的。撮影は数フレーム単位の連写で行われてるようで、液体の動きはカットアップされたムービーのようにも見える。サウンド。

そして、エスカレーターに乗って二階の企画展展示室へ向かうと、若き日の石田が描いた抽象画を冒頭に置いて、四つの章立てに分けられた展示が、観客を包み込むようにして展開されていた。

第1章「絵巻」
・『絵馬・絵巻』(16mm to HD, 2min2sec, 2003)
14mにも及ぶ絵巻のドローイングを、上向きのフレームの運動によって展開させる。映像と対になった絵巻本体も展示される。絵巻のドローイングはカラーインクによるものだが、フィルムにはモノクロ反転が施されている。白黒に還元された抽象的なフォルムが、宙吊りにされたスクリーンの中で走り続ける。サイレント。

・『海坂の絵巻』(HD, 1min12sec, 2007)
これも『絵馬・絵巻』と同じく、長い絵巻のドローイングをもとにした作品。墨汁によるドローイングを、手前から奥へ向かうフレームの運動によって追い続ける。撮影手法がユニークであり、紙のテクスチャーや墨汁表面の反射光にフォーカスが合わせられている。それによって、対象物の物質的な存在感が際立つことになる。やはり、映像と対になった絵巻本体も展示される。サイレント。

・『絵巻』(8mm, 5min10sec, 1995)
最初期のドローイング・アニメーション。黒インクによるドローイングを、8mmフィルムカメラによってコマ撮り。部分的に多重露光も使用。後年の洗練に至る以前の試みといえるが、基本的なコンセプトはすでに確立されている。サウンド。

・『絵巻その2』(8mm, 3min45sec, 1996)
上記と同じく、黒インクによるドローイングを、8mmフィルムカメラによってコマ撮りした作品。平面だけでなく、箱状のミニチュアも活用している。今作よりドローイングを逐一コピーして、再撮影によって構成するという手法も導入しているようで、運動のコントロールが複雑化している。終盤ではミニチュア内部で、針金を使用した立体アニメーションも表れる。サウンドはミニマル風な鍵盤曲。

・『20枚の原稿』(HD, 4min20sec, 2013)
まず原稿用紙にスポイトでドローイングを行い、これをデジタルスキャン。そして、サイズや透明度を操作しながらレイヤーとして重ね合わせて構成する。スポイトによる滲みが面白い効果を生んでいる。サイレント。薄いタブレットと原稿用紙を並べて、テーブル状の展示形態をとっていた。

・『色の習作』(HD×5, 3min 2min22sec 4min11sec 6min41sec 2min54sec, 2009)
作家が撮影したドローイング・アニメーションの16mmフィルム素材をテレシネし、ポストプロダクション作業を施した習作。カラリストである牧野貴の協力によって、ドローイングの原色から離れたカラーコレクションが行われている。まとめて展示された5本のうち1本では、フレーム外のスプロケットホールも含めてテレシネが行われ、画面全体を歪める表現も試みられている。サイレント。

第2章「音楽」
・『フーガの技法』(16mm, 19min, 2001)
愛知芸術文化センターオリジナル作品として制作された、石田の代表作の一つ。先述の、コピーを再撮影する手法が活用されている。音楽のテーマ展開に応じて、矩形の運動が厳密な遠近法の中で展開してゆく。それによって映画と音楽の関係が、大きなブロックごとの総体的なイメージの対比として捉えられる。サウンドはバッハ『フーガの技法』の部分。映画館的な暗室の中で上映されていた。

・『絵馬・絵巻2』(16mm to HD, 6min30sec, 2006)
上方向へのフレームの運動によって三つのドローイング・アニメーションを展開し、それらをレイヤーとして重ね合わせる。サウンドは石田の弟による鍵盤曲。

・『ベルクのアニメーション』(SD, 3min57sec, 1993)
8mmフィルム以前の、アナログビデオによる初期作。ドローイング・アニメーションの手法も部分的に試みられている。技術的な点からみると、この数年後に石田がアナログビデオをフィルムに持ち替えたことは、コマ単位でのフレームコントロールの容易さという点からも、また、解像度の高さという点からも必然だったというべきだろう。サウンドは、ベルクのヴァイオリン協奏曲。

・『ランドフスカのバッハによるアニメーション』(SD, 34sec, 1994)
上記と同じく、アナログビデオによる初期作。高速カットアップで、荒々しいドローイング・アニメーションが展開され、わずか30秒ほどで終了する。未完成あるいは中間報告といったところか。サウンドは、バッハの『半音階的幻想曲とフーガ』。

・『パフォーマンス記録映像』(SD, ?, 1992-1993)※章立てとしては第3章に属する
新宿アルタ前と、夢の島公園でのペインティング・パフォーマンスの記録。地面に紙を貼って、描画という身体的行為に没頭する。現在につながる石田のスタート地点を確認することができる。

第3章「身体」
・『渦巻く光』(HD, 2min40sec, 2015)※章立てとしては第4章に属する
ガラス板の上で、液状化した絵の具によるドローイングを展開する。撮影は数フレーム単位の連写で行われてるようで、まるでカットアップムービーのように液体が流れてゆく(それはアニメーションというよりも、液体を操作するパフォーマンスに接近している)。ガラス下からの透過光の操作も行われている。液体や光などの捉え難いものと、描画行為との相互作用が興味深い。天井近くの高い位置に吊るされたスクリーンに、映像がプロジェクションされていた。サイレント。

・『3つの部屋』(HD×3, 5min46sec 26min10sec 9min26sec, 2010)
三枚の絵画と、三台のモニターを併置したインスタレーション。カンバスに向かう制作中の作家の身振りをそのまま撮影し、3つの異なる編集方法によって展開する。そこでは、作家の身体もドローイング・アニメーションに取り込まれる。サウンド。

・『音楽と空間のドローイング』(HD×4, 3min55sec, 2012)
音楽に合わせて振られる作家の腕の運動を、四通りの方法(実写やコンピュータグラフィックスなど)で視覚化した作品。サイレント。

・『影の部屋』(HD×2, 7min52sec, 2012)
カンバスに向かう作家の身体的な身振りを、実写と赤外線の併置によって可視化した作品。サウンド。

・『浜の絵』(HD, 14min10sec, 2011)
・『夏の絵』(HD, 4min30sec, 2010)
・『海中道路(行き・帰り)』(HD×2, 10min31sec, 2011)
野外において地面を平面に見立てて、水によるドローイングを行うという連作。地面に描かれたパターンは、すぐに乾いて消え去ってゆく。これら第3章の諸作は、ひとつのコンセプトにおいてまとめることが可能だろう。石田にとっての描画行為とは、絵画を完成させるための作業ではなく、意識と身体の自動的な運動過程そのものなのだということが、ここでは様々な角度から浮かび上がっているように思う。全てサウンド。

第4章「部屋と窓」
・『燃える机』(HD×3, ?, 2015)
府中美術館での滞在制作によって制作されたインスタレーション。展示室内には府中美術館のスタジオを模した二つのミニチュアと、スタジオと同寸のセットが展示されている。そして、このミニチュアとセットに対して、サイズの異なる三つのドローイング・アニメーションがプロジェクションされる。それによって、空間の虚実が混ざり合う。サウンド。

・『白い部屋』(HD×4, 5min20sec|HD, 1min55sec,|16mm, 5min5sec, 2012)
複数の映像と様々なメディウムを組み合わせた集合体的なインスタレーション。具体的には以下の四つのパートから成る。
1:四面スクリーンにプロジェクションされる、ホワイトキューブ内でのドローイング・アニメーション。サウンドは映写機の作動音。このパートのみサウンドで、映画館的な暗室で上映される。
2:ドローイング前の部屋の記録映像。サイレント。小さな液晶モニターで展示。
3:(1)の作中で、使用された16mmフィルムによる映像がループ化され、壁面に対してプロジェクションされる。サイレント。
4:撮影に使用されたホワイトキューブの実寸セット。間欠的なライティングによって幻想的な影が生み出される。

・『部屋/形態』(16mm, 7min, 1999)
イメージフォーラムフェスティバルで特選を獲得した、石田の代表作の一つ。窓から自然光が差し込む古い寮の一室にて、床や壁を問わず、部屋全体にドローイング・アニメーションが展開する。サウンドはバッハの『コラール前奏曲』。宙吊りにされたスクリーンにプロジェクションされていた。

・『椅子とスクリーン』(SD, 8min30sec, 2002)
椅子と、椅子の虚像と、映像の中のスクリーン。この三者のあいだで展開する、空間の虚実を曖昧化するドローイング・アニメーション。サウンドはオルガンの持続音。展示室の片隅に置かれたモニターでの展示。この作品が映し出されたモニターの傍には、椅子の実物が置かれる。過去の展示ではインスタレーション版もあったと記憶する。

・『燃える椅子』(HD, 5min8sec, 2013)
青い光に包まれた、椅子の置かれたスタジオ。この空間の中で、チョークと水によってドローイングが展開される。水はすぐにコンクリートに染み込んで乾燥するため、描画行為は常に宙吊り状態に置かれ、生成と消失を繰り返す。やがて、壁には燃え盛る炎の実写イメージがプロジェクションされ、水浸しの壁面との対比をみせる。静謐な空間の中で、意識の層を下降してゆくような内向的な作品。サウンドはオルガンのドローン。

・『リフレクション』(HD, 6min, 2009)
カナダ滞在中に、ギャラリーにて滞在制作された作品。窓から陽光が差し込むギャラリーの壁面に、窓枠の影の輪郭を起点としたドローイング・アニメーションを展開してゆく。描画行為の進行とともに太陽は移動し、影はその姿を変えてゆく。どこか相原信洋の『Stone』(1975)を思わせる開放感のある作品である(数多いる日本のアニメーション作家のなかで、私が唯一、石田に近い方向を見出せるのは相原に他ならない)。サウンド。ちなみに『燃える椅子』と『リフレクション』は、一つの巨大な壁面の裏表にプロジェクションされていたのだが、その対比も面白い。

・『光の落ちる場所』(HD, 5min1sec, 2015)
巨大なカンバスの立てかけられたスタジオにて、ドローイング・アニメーションが展開される。自然光と照明光の混在のなかで、光は複雑にコントロールされる(まるで光を用いたドローイングのようでもある)。最後にはカンバスが切り裂かれ、その背後から光が溢れ出し、画面全体がホワイトアウトする。サウンド。スクリーンの傍らには、作中の切り裂かれたカンバスも立かけられる。

そして、出口近くの廊下には『色の波の絵巻』が展示され、展覧会全体を締めくくる。

・『色の波の絵巻』(HD, 53sec, 2010)※章立てとしては第1章に属する
『海坂の絵巻』と似ているがフレームの運動方向が逆であり、ドローイングが観客に迫ってくるような形をとる。被写界深度が浅いレンズを使用しているため、ドローイングに強いボケがかかっており、日常的なスケール感が狂う。サイレント。やはり映像と対になった絵巻本体も展示されていた。

以上、展覧会全体を満たす、渾然一体となった映像と造形物の複合性を伝えるべく、長々とした文章で努力してみた。是非、会期中に横浜に足を運んで、直接経験してください。

Advertisements