「日本におけるビデオアートの歴史について(Une histoire de l’art vidéo japonais)」

2014年に出版された、フランスの雑誌「LIGEIA」のビデアオート特集号に寄せたエッセイ「日本におけるビデオアートの歴史について(Une histoire de l’art vidéo japonais)」の日本語版を上げておきます。フランス語への翻訳をやってくれたアンスティチュ・フランセの方に渡した原稿を、若干修正・加筆したものになります。このエッセイを書く機会を与えてくれたのは、マルセイユのザンスタン・ビデオの主宰者マーク・メルシエ氏です。感謝します。

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・Une histoire de l’art video japonais PDF版(日本語版)

「LIGEIA」の目次については、過去のエントリーを参照のこと。
・LIGEIA DOSSIER : L’ART VIDÉO

2013年に、河合政之氏と瀧健太郎氏とともに訪れたマルセイユのザンスタン・ビデオはとても刺激的なフェスティバルだった。その中でフランス、イタリア、ギリシャ、クロアチア、カナダ、中東、キューバなどを始めとした、日本では殆ど知られていない国々のビデオアートの歴史に触れることによって、私自身、認識を改めたことが幾つかあった。特に大きく認識を改めたのは、日本国内の美術シーンでは「ビデオアート」という言葉が、ある時期以降、殆ど使われなくなっているのとは対照的に、それらの国々では「ビデオアート」という言葉が、より広い文脈を含むものとして普通に使われているという事実だった。それは、「アーティストがビデオを使用しているならば、ビデオアートである」というかのような、ある意味明快というか柔軟な「ビデオアート」の定義であったと言ってもいい。日本の場合、ビデオアートはある時代に結びついた表現として捉えられているところがあるが、それは極東の美術シーンにおけるローカルな認識に過ぎなかったということだろう。そうなると実験映画作家によるデジタルビデオ(デジタルシネマ)作品をどのように取り扱うべきかなど、文脈の混乱が生じるところもあるが、その柔軟な定義は、今の国内の状況に対して有用であるように思えた。


日本の場合は、ロザリンド・クラウスのビデオ論を根拠にしながら、ビデオアートの歴史を、造形美術と映像の関わりにおいて綴り直すという方針が、近年、東京国立近代美術館によって進められているように見える。「ヴィデオを待ちながら」や「反・映像表現」といった展覧会に、その傾向はよく表れている。言うまでもなく、そこで前提となるのは1970年前後の造形美術の文脈であり、フィルムやビデオを手がける以前に、何よりもまず造形を手がける美術家であったことが条件となる。そして、その方針においてはビデオひろばや飯村隆彦、中島興といった主要な初期ビデオアートの作家たちの存在は、ごっそりと歴史から抜け落ちることになる(海外の作家に当てはめるならば、パイクですら、この方針においては抜け落ちる)。

1970年前後の京都における造形美術と映像の関わりが、ひとつの重要な動きであったという考えには賛同するが、その一方で初期のビデオアートや、同時代の実験映画やエクパンデッド・シネマの試みを迂回し続ける東近美の歴史記述の姿勢は、記述者としてのバランスを欠いているようにしか見えず、違和感を覚えざるを得ない。私立の美術館やギャラリーであれば、そのような姿勢で、細かい文脈に特化した展覧会を行うのも良いかもしれない。しかし、国立の美術館ともなれば、より広い視野から、美術と映像をめぐる重層的な文脈を記述することにも期待したいところである。

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