ケン・ジェイコブスの復習

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幾つか仕事が重なって長らくブログから遠ざかっていましたが、ひと段落ついたので再開。ひとまずケン・ジェイコブスを復習。私が持っているケンの作品は以下。意外と沢山出ている。

・Ken Jacobs ‎– 3X3D / 3D Blu-ray
・Ken Jacobs / John Zorn ‎– Celestial Subway Lines/Salvaging Noise / DVD
・Ken Jacobs ‎– New York Ghetto Fishmarket 1903 / DVD
・Ken Jacobs ‎– Let There Be Whistleblowers & Ontic Antics Starring Laurel and Hardy; Bye, Molly / DVD
・Ken Jacobs ‎– Tom Tom Piper’s Son / DVD
・Ken Jacobs ‎– 3 features and a short / 3DVD
・Ken Jacobs ‎– Star Spangled to Death / 4DVD

今回のサウンド・ライブ・トーキョーにおける、フィルムもビデオも使わないケン・ジェイコブスのパフォーマンス「ナーバス・マジック・ランタン」は、ジョン・ゾーンがサウンドを担当したバージョンのDVDもリリースされている。全く同一の映像素材なのかどうかは公演を観ないと分からないが、過去のDVDの内容に準じるならば、それは近年の作品のような、政治的主張が突然字幕で入るようなスタイルの作品ではない。

Ken Jacobs & Aki Onda – Nervous Magic Lantern Performance part 4/4, 2007 from Aki Onda on Vimeo.

しかし、個人的には「「ケン・ジェイコブス:知覚のアドヴェンチャー」」で紹介されたような作品にこそ、ケン・ジェイコブスらしさを感じてしまうところではある。ケン・ジェイコブスの実験映画は、フォーマリズムのバリエーションなどではない。それは芸術の政治(=芸術の制度)への抗議を通した、現実への抗議であると思う訳だ。だが、少し考えてみると、言葉としての政治的主張の有無などは、別段大した問題ではないのかもしれないと気がつく。この明滅の中に、自身を抑圧するあらゆるものへの苛立ちや抵抗を読み取れるかどうか。そこが問われているのではないか。この明滅の中で受け取った意識の解放を、現実の路上や毎日の生活に持ち込むことができるか否か。実験映画を観るということは、要はそういうことだ。

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