Jim O’Rourke “two sides to every story”@草月ホール DAY2

JO_twosides
Jim O’Rourke “two sides to every story” DAY2
ジム・オルーク 東京・草月ホール 10月26日
・Program:Bad Timing 全曲LIVE
・Program:Jazz Trio and Big Band

個人的などうでもいい話だが、この日、自分に割り当てられた座席が右壁側だったため、ステージの右側後方1/4くらいが見えない状態でコンサートを観るハメになってしまった。コンサートの内容は全く申し分なかっただけに、自分の運の悪さが恨めしい。よって下記レヴューにある楽器編成は一部不明確です。


・Program:Bad Timing 全曲LIVE
DAY2の最初は「カントリーブルースとミニマルミュージック」にあたるプログラムである。これについては、少し説明を加えておく必要があるだろう。97年に発表された『Bad Timing』(1997)は、バッドタイミングによって出会うことのなかった二つの音楽、ミニマルミュージック(あるいはアメリカ現代音楽における実験主義)とカントリーブルース(あるいはその発掘者としてのジョン・フェイヒー)についてのアルバムであった。この二つの音楽は時代は異なれど、いずれも広義にはアメリカ民族音楽といえる訳だが、その歴史はすれ違い、重なり合うことはなかった。だからこそオルークはこのバッドタイミングをやり直し、一枚のレコードの中で二つの文化を出会わせようとする。オルークはこの年、『Bad Timing』と同じテーマを持つ作品といえる、もう一つのアルバム『Happy Days』(1997)を発表している。これはアコースティックギターによるカントリーブルース的な繰り返しの演奏と、ハーディーガーディーによるドローンを重ね合わせた作品であり、Revenant盤の帯解説でもジョン・フェイヒーとトニー・コンラッドを結びつける仕事であると表現されている。ちなみにRevenantとは、言うまでもなくフェイヒーの作った自主レーベルである。さらに、この前年に発表されたGastr Del Solの『Upgrade & Afterlife』(1996)では、フェイヒーの「Dry bones in the valley (i saw the light come shining ’round and ’round) 」をミニマルミュージックとしてカヴァーし、トニー・コンラッドをヴァイオリンで参加させている。このように1997年頃のオルークの仕事には、ミニマルミュージックとカントリーブルースを結びつけるというテーマが存在していたと言える。

このプログラムでの楽器編成は、オルークがギター、そしてピアノ兼キーボード兼ピアニカ兼フルート、ベース、ドラム兼ビブラフォン、ペダルスティールギター、ヴァイオリンという総勢6名(私の座席からは見えなかったが、ダーリン・グレイも「94 The Long Way」でコントラバスを演奏していたようだ)。演奏はアルバムの曲順通り進行する。まず「There’s Hell In Hello But More In Goodbye」だが、ドラムのパートが入ることによって、アルバムの繊細な演奏に比較して、かなりロック寄りのアレンジになっていた。そのため、アルバムに存在していたGastr Del Sol的な繊細な構築性はやや後退していた。「94 The Long Way」は管楽器のパートが弦楽器に置き換えられていたが、それは重要な役割を充分に果たしていた。「Bad Timing」は比較的アルバムに忠実で、ビブラフォンの反復と微細なドローンの絡み合いによって、Gastr Del Sol的な構築性が実現されていた。そして、そのままギターノイズのドローンによって「Happy Trails」に繋がる展開もアルバムの通り。ただし中盤の転換点となる管楽器のパートは、やはり弦楽器に置き換えられていた。全体的に見てみると、前半2曲のロック寄りのアレンジには好みが分かれるところだろうが、後半2曲はアルバムに近い繊細な構築性を再現していたと思えた。勿論、個人的には全て申し分なしである。


・Program:Jazz Trio and Big Band
二日間のコンサートの締めくくりは「フリージャズ」にあたるプログラムである。実のところ、私はこのプログラムを「プレーヤーの組み合わせを変えてセッションを行い、最後に全員で集団即興を行うのだろう」と高を括っていた。しかし、実際の内容はそんな浅はかな想像を超えるものだった。これは正しく「Jazz Trio and Big Band」としか形容できない音楽である。

まず、ステージの前方に立つのは、坂田明(サックス、クラリネット、鈴、ヴォイス)、ダーリン・グレイ(コントラバス)、クリス・コルサーノ(ドラム)というお馴染みのトリオである。ここまでは想定の範囲内だといえるが、ビッグバンドが予想外だった。トリオの背後にピアノ奏者と、チューバやトロンボーンなど管楽器奏者5名が並び、オルークは観客席に背を向けて座って、ビッグバンドの指揮に専念する(管楽器奏者の一部は自分の座席からはよく見えなかったので、詳細がよく分からない)。

セッションが開始されると、坂田+グレイ+コルサーノのトリオは最初から全く躊躇なく、手数の多い即興演奏を展開する。そしてオルークは、カードと手数字によってビッグバンドを指揮する(ビッグバンドは譜面を見て演奏していたので作曲は行われているのだが、カードが複数使用されていた事から、恐らくそれはパーツごとの作曲だったのではないかと思う)。トリオを自由に動き回らせて、ビッグバンドはトリオの動きを補正するように、構築的に動いてゆくという対応関係である。それによって普通のフリージャズならばあり得ないような、異常な音楽が展開していた。これまた曖昧な言い方になるが、一瞬も止まらないトリオの即興が最高潮に達した時、それがピアノのクラスターと低音域の管楽器のリフによって、もう一段持ち上げられるような印象である。もちろん既存のフリージャズ系のオーケストラにも似たような試みを見出すことはできる。しかし、この編成ではオルークが全体的な視点からビッグバンドを指揮するというポジションに専念しているため、トリオの自由な即興が特定の状態に達した時に、全体を編集的にコントロールすることが可能となっているのだ。一気に15分程度の第一セットを駆け抜けて、比較的静かな第二セットから、ビッグバンドによるリフが先導する中で坂田のヴォイスが唸る第三セットへと続き、暴風雨のような演奏は終了した。呆然とするしかない、あり得ないような音楽だった。

追記:Globe Unity Orchestraのこの演奏などは、方向が近いかもしれない。ただし、Jazz Trio and Big Bandでは、これがもっと柔軟に、即応的に指揮されて行くことになる。参考まで。

追記2:グレン・コッチェのインスタグラムに写真がありました。


こうして観客は「現代音楽(電子音楽)」、「ポップス」、「カントリーブルースとミニマルミュージック」、「フリージャズ」というオルークの提示した四つのテーマを、二日間にわたって聴いたことになる。そのうえで私たちは、このジム・オルークという音楽家の内部にある多面性をどのように受け止めればいいのだろう。それは、観客各人が考えればいいことだが、私なりに思ったことを蛇足ながら付け足しておこう。

この多面性に共通するものがあるとすれば、それは、持続や反復による「循環構造を前提とする編集性」ではないかと思う。この提案は、弦楽器の音響加工による現代曲や、『Bad Timing』および『Happy Days』を例に挙げるならば、容易に同意してもらえると思う。さらに言えば、『Eureka』や『Simple Songs』のようなポップな楽曲ですら、ミニマルミュージックを経た反復の要素はある程度存在している。フリージャズについては、今まではちょっとはっきりしなかったが、今回はビッグバンドの指揮という枠組みによって、即興を一段高い次元から即応的に編集しようとする考えが強く押し出されていた。ただ、誤解して欲しくないのだが、ここで言う編集性とは、最終的な完成状態というものを持たないものである。その編集作業は完成に至ることなく、約束された失敗によって、循環構造の中で変化を生み出し続ける。どこかのインタビューで本人も語っていたように記憶するが、これは両足の靴紐を結んでわざと転ぶようなものである。まあ、いずれ詳しくジム・オルーク論として書いてみたいと思うので、ここでは暇人の思いつきとして聞き流していただければ幸いです。

Advertisements