Sound Screening Vol.3@東京おかっぱちゃんハウス

Sound Screening Vol.3
東京おかっぱちゃんハウス 2015年9月6日

以前から思っていたことだが、田巻真寛の作家性は、例えばクリス・ワトソンのようなフィールドレコーディングを行うサウンドアーティストのそれに近い。外的な環境を記録するレコーディング媒体が、テープレコーダーからフィルムになったようなものである。そのような、外的な環境と知覚の関係に対する関心は、彼が主催する聴覚と視覚の探索作業を集めたイベントシリーズである「Sound Screening」にも強く表れている。私は、志水児王がレーザー光のパフォーマンスによって出演した2012年の「Sound Screening」を観に行ったことがあるが、今回はその時に以上にイベントの方向性が明確となり、かなり興味深い内容となっていたので、ここにレヴューしておきたい。



・田巻真寛『Passages』(HD, 11min40sec, 2013)
フィルムによって撮影された一次素材を、デジタル化した上で編集して完成させた作品。基本的には風に吹かれてなびく白い布をフィックスショットで撮影している。この白い布はレンズ=視界を殆ど完全に覆っている。そのために、スクリーン上の映像は白い布という指示対象を失い、白く泡立つ粒子のテクスチャーとなる——まるでピーター・ジダルの『Clouds』のように。しかし強い風が吹いて、布が一瞬だけ大きく吹き上がる時、布の向こう側に見える景色が移り変わっているのに気がつく。スクリーンとレンズを覆う白い布を等価に扱い、見えることと見えないことの周期の到来を、自然の不確定な作用に任せた作品であるといえるが、この作品が問いかけるものはそれだけではないだろう。私たちは瞼を自分の意志で開いたり閉じたりして対象を見ることができるが、この作品において対象を見ることの自由を制限された時、私たちは、より対象を注視しようとする積極的な意志を持つことになる。そして、それは対象を見つめるだけでなく、瞼を開く自由を持たないがゆえに、必然的に瞼の裏側を見つめるという行為も含むものとなる。この作品における白い布とは、瞼の裏側のメタファーだといえるだろう。そして、瞼の裏側とは単なる暗闇ではないのだということを、この白い布の豊かなテクスチャーは気づかせてくれる。サイレント。



・村井啓哲『lucent』(サウンドパフォーマンス)
「ロウソクの火のゆらぎに反応し相互干渉する四つの発振器が発する音と電波をきく作品」と事前に解説されていた作品であり、四つの連結された発信器と、四つの小型スピーカー、そしてロウソクが和室の机の上に並べられる。このロウソクの炎の不確定なゆらめきに対して、各発信器に組み込まれたそれぞれのセンサーが反応することになる。作家の説明によると、この反応の際に連結された発信器の間で電気の取り合いが起こり、それがサイン波のゆらめきを生み出すのだという。まず照明が消され、ロウソクに火が灯される。そして暗闇の中でロウソクの炎を見つめる観客は、線の細いサイン波の複雑な絡まり合いに聴き入る。このパフォーマンスは和室で行われていたのだが、偶然にもこの日の天気は大雨であったため、さらに雨が屋根を伝う音がサイン波に付け加えられる。やがて作家は携帯ラジオを持ち出し、ノイズ混じりの受信状態のまま、ラジオを発信器のセンサーに近づける。それによって、サイン波にはさらに複雑な干渉が生じ、極めて豊かな音の空間がそこに立ち上がる(これが事前の解説における「電波」である)。このパフォーマンスは、私たちの日常的な聴覚が不確定な作用の重なり合いによって形成されていることを知らしめるものであり、大変興味深いものとなっていた。


ginzastrip
・Richard Tuohy『Ginza Strip』(16mm, 9min, 2014)
リチャード・トゥーイーは、オーストラリアの作家であり、自前で現像およびオプチカル処理設備を揃えてフィルム制作を行っている人物である。この作品は、プリズムレンズで撮影された銀座のネオン看板や、雑踏のイメージが素材となっている。そして、複雑なマスキングが施されたフィルムの上で、これらのイメージがカラーとモノクロに変換され、絡まりながら展開してゆく。作家の話によると、どうやら一次素材としてのネガから密着デュープを取る際に、ポジ側のフィルムにコート剤を塗ってマスキングをかけるという方法で制作したらしい。確かに、それによってコート剤が塗られた箇所は未露光の状態となる。そして、二回目以降の密着デュープの際にこのコート剤は剥がされ、その部分には新たなイメージが焼き付けられることになり、それによって先述の複雑なイメージの展開が可能となる。高度なフィルム処理技術に裏打ちされた職人的な作品だということができる。サウンドはカリンバの演奏。

On the Invention of the Wheel
・Richard Tuohy『On the Invention of the Wheel』(16mm, 13min, 2015)
この作品では、ハイコントラストフィルムで撮影された、一秒にも満たない自転車のホイールの映像が素材となる。この素材はカラーの反転と、フィルムの左右(裏表?)の反転によって複雑に組み立てられ、パズルのように構築された映像となる。サウンドは、自転車のブレーキ音のコラージュ。


・Richard Tuohy『Dot Matrix』(16mm x2, 16min, 2013)
ドットのパターンによるフリッカー・フィルムを2本準備して、それを一つのスクリーンに重ねて映写する。それによって観客の視覚を限界状態に誘導するような作品。ここまで視覚的にハードコアなフリッカー映画というのは稀である。しかも、本作はただ激しいだけではない。スクリーンの上では、フリッカーの周期の微妙なズレや、二重化されたパターンのモワレによって、ランダムな細かい衝突が生まれ続ける。この細かい無数の衝突こそが本作の真価であり、人間の視覚の不安定さと脆さ、さらには知覚の限界がそこでは露呈する。サウンドはフィルムのサウンドトラック部分にまで焼き付けられたドットのパターンによるもので、聴覚的には断続的なパルス音に変換される。もちろん、映像と同じく2本のフィルムのサウンドトラックもその場でランダムに混ざり合う。プレヴュー映像ではこの作品がもたらす知覚的な驚異を全く伝えきれていないが、文章の図説程度の役には立つだろう。

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