David Grubbs Japan Tour 2016@ムジカーザ

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David Grubbs Japan Tour 2016
デヴィッド・グラッブス/代々木上原・ムジカーザ/1月22日

デヴィッド・グラッブス(今回からデヴィッド・グラブスという表記がみられるが、慣れているのでこちらの表記で書かせてもらう)が、今年の始めに久しぶりに来日して各地でコンサートを行ったので、レヴューしておきたい。今回の来日は、グラッブスの著書『レコードは風景をだいなしにする』(フィルムアート社、2015)の出版に合わせてのものなので、このエントリーでは、付記のなかで、同書の簡単なレヴューも記しておく。すいません、長文です。


私が初めてグラッブスの演奏を聴いたのは、だいぶ記憶が薄れているが、Red Krayolaの初来日公演(1999年)の際だったと思う。当時は「シカゴ音響派」という、少し間の抜けた呼び名が通用していたので、その文脈で私はGastr Del Solを始めとする音楽を聴くようになっていた。その後、このあたりの水増しされたバンド群の殆どは、凡庸に思えてきて聴き返すこともなくなってしまうが、Gastr Del Solは別だった。他のバンドが、音響を楽曲の装飾として回収して行ったのに対し、Gastr Del Solだけは全く異なる方向にある、革新的な試みを行っているように思えたのだ。その革新的な試みとは、ひと言でいうと一種のメタ音楽の試みであった。ただし、ここで言うメタとは様々なジャンルの形式を引用するという意味でのメタではない。過去のエントリーで、私はそれを「楽曲に電子ノイズや不定形な音響をぶつけて、溶け合わせる」という言葉で表現した(このエントリーを参照)。これを違う表現で言い換えると、常態的に複数のレイヤーを持ちながら進行し、複数の聴取を可能とするような音楽と表現できるだろう(そのような音楽は決して多くないが、数少ない例として、ここではTony Conrad with Faustの存在を挙げておく)。

そのような音楽が、どうして成立したのかといえば、それはジム・オルークとグラッブスの互いの異質な部分が、絶妙な形で組み合わされたからだといえる。初期のオルークは、ヨーロッパのフリーインプロヴィゼーションや、大学で学んだ現代音楽、そしてOrganumやH.N.A.S.のような実験的なノイズから多大な影響を受けていた。一方、グラッブスは高校時代に結成したSquirrel BaitからBastroに至るまでの、パンク/ハードコアバンドでの活動を出自としていた。そのような活動を踏まえて、グラッブスは解体直前のBastroにおいてミニマルなインストゥメンタルの方向へ向かい、バンディ・K・ブラウンとのデュオとしてGastr Del Solを結成する(ちなみに、解体直前のBastroでは、後にGastr Del Solとして発表されることになる楽曲の原型が演奏されていた)。Gastr Del Solは1stアルバム『The Serpentine Similar』(1993)をリリースするが、ブラウンはすぐにデュオを脱退する。そこにオルークが加入し、Gastr Del Solは複数の音楽をめぐる実験の場となる。そして、作曲されたものと作曲されないもの、聴取されるものと聴取されないもの、ポピュラー音楽(=カントリーブルース)と現代音楽(=ミニマルミュージック、テープ音楽、電子音楽)など、複数のレイヤーが重なり合ったメタ的な音楽として、2ndアルバム『Crookt, Crackt, Or Fly』(1994)とミニアルバム『Mirror Repair』(1994)、トニー・コンラッドとの共作である『The Japanese Room At La Pagode / May』(1995)、室内楽編成でのミニアルバム『湖畔通りの竪琴工房』(1995)といった傑作を次々と生み出してゆく。やがて、この追求は3rdアルバム『Upgrade & Afterlife』(1996)という革新的な作品を生み出すに至るのだが、翌年、Gastr Del Solはポピュラーソングを中心的な要素として、実験性を後退させた4thアルバム『Camoufleur』(1997)を残して、その活動を解消することになる。

Gastr Del Solについての話が長くなったが、二人のその後の活動も踏まえておきたい。オルークは、自身の作品としては『Eureka』(1999)と『Insignificance』(2001)以降、『Simple Songs』(2015)がリリースされるまでは、ポピュラーソングからは比較的距離を置いてきた。勿論、Sonic Youthへの参加や、様々なバンドのプロデュースは行っていた。また、若松孝二の映画音楽、『The Visitor』(2009)、『All Kinds of People』(2010)もあったし、ライブで『Simple Songs』の楽曲を演奏することもあった。だがそれは、『Simple Songs』に至るための長い準備期間といえるもので、この期間に形として残された自己の音楽表現は、やはり恐山やカフカ鼾のメンバーとの活動を含めたフリーインプロヴィゼーションと、ドローンを主体とした電子音楽であったと言っていいだろう。また、近年bandcamp(steamroom.bandcamp.com)で、過去のアーカイヴを含むデジタルアルバムのリリースを頻繁に行うようになってからは、コンセプトごとに作品の方向(フリーインプロヴィゼーション、電子音楽)を定める傾向が明確になっているように思う。

グラッブスは、その後もGastr Del Solからそのまま引き継がれたような、ポピュラーソングと現代音楽的なものを重ね合わせることへの関心を、ソロアルバムのなかで保ち続けてきたといえるのだが、多くの場合、作曲された楽曲や歌に対比される不定形な音響の部分への取り組みは不足していたように思う。比較的、実験的なコンセプトを持っていたであろう『Act Five, Scene One』(2002)ですら、不定形な音響のレイヤーが安直に配置されていたと思える。ただし、グラッブスがAndrea Belfi(ドラム、エレクトロニクス)、Stefano Pilia(ギター)と組んだトリオ、Belfi / Grubbs / Piliaとしての活動(2010~)に表れた実験性については特筆しておく必要があるだろう。このトリオは、一応作曲された楽曲を演奏するのだが、その内部には不定形な音響の要素が含まれており、さらにBelfiとPiliaが即興演奏に長けた演奏者であるため、作曲されたものと作曲されないものが混在したような、不定形さを持ったアンサンブルとなっている。その演奏は、かつてのGastr Del Solの水準に迫るものである。


私がグラッブスの音楽をどのように評価しているかは、これで大体明確になったと思う。改めて簡潔に述べると、実験的な音楽としては若干物足りないということだ。オルークとはバックグラウンドが違いすぎるので、比較するべきではないのかもしれないが、実験性の有無に基準を置くならば、そのような印象を持ってしまう。このような先入観込みで、私は代々木上原ムジカーザへ向かった。初めて訪れるムジカーザは、小さなコンサートホールであるが、アコースティック楽器向けの広い天井を持った良い場所で、繊細なサウンドの音楽に向いている。グラッブスの使用楽器は、エレクトリックギターとスチールギター(12曲目のみ)というシンプルなもの。ツイッターにこの日のセットリストの写真があがっていたが、実際の演奏曲目とは一部違うように思えるので、私のメモを照合させて整理したのが下記のリストである。(間違っている可能性も高いので、あまり信用せずに参照してください。)

1: Charm Offensive(Belfi / Grubbs / Pilia)
2: Cool Side Of The Pillow(Belfi / Grubbs / Pilia)
3: Out with the Tide (Ken Vandermark and David Grubbs)
4: The Plain Where The Palace Stood
5: Learned Astronomer(The Wingdale Community Singers)
6: Knight Errant
7: The Hesitation Waltz
8: Onrushing Cloud(Belfi / Grubbs / Pilia)
9: Fugitive Colors
10: Abracadabrant
11: An Optimist Declines
12: 未発表? Mind’s Eye Touch
13: 未発表? Bonsai Waterfall

このようなセットリストの分析を試みたのは、グラッブスの演奏の印象が予想と違うものだったので、どこまで意図的に作りこまれていたのかを確認したかったからである。コンサートは上記のリストの通りインストゥメンタルを中心として、いくつかの短い歌も挟みながら演奏して行くものだが、曲間を取らずに、そのまま次の曲に緩やかに移行してゆくというスタイルだったので、全体の流れとしては、まるでアドリブで爪弾かれて行くカントリーブルースのようにも聴こえた。伴奏者がいないことによって、演奏にかなり自由な緩急がつけられていたことも、そのような印象を強めることに寄与していたのだろう。セットリストについて、もう少し詳しく述べる。この日の演奏が、風景が移り変わるように次々にフレーズを切り替えてゆくBelfi/Grubbs/Piliaの『Charm Offensive』から始まったのは意外であったが、グラッブスはこの長いインストゥメンタルのあとに、短い歌である『Cool Side Of The Pillow』と『Out with the Tide』を配置し、その後に、再びミニマルで勢いのあるインストゥメンタル『The Plain Where The Palace Stood』へと繋げていた。このように、この日の曲順は、インストゥメンタルと短い歌を交互に置いたGastr Del Solのアルバム構成を連想させるもので、以降の演奏も基本的にこの配置を踏襲しながら展開していった。最後の曲はスチールギターによって、弛緩したフレーズが反復される未発表(?)のインストゥメンタルで、加えてアンコールでも未発表(?)の楽曲を披露してコンサートは終了した。個人的には、その演奏の至る所にGastr Del Solに通じるような、複数のレイヤーが重なり合った表現が散りばめられているように感じたので、心底満足した。特に最後のスチールギターによる表現は、もっと聴いてみたいと思えた。


付記:コンサートの後、しばらく時間を置いてから、私はグラッブスの著書『レコードは風景をだいなしにする』を読んでみた。すると、グラッブスの音楽について、今までとは少し違う考えもわいてきた。この長いエントリーは、ここからグラッブスの著書についてのレヴューに転じる。

グラッブスの『レコードは風景をだいなしにする』は、録音物による流通の拡大が、1960年代のアメリカ実験音楽とヨーロッパのフリーインプロヴィゼーションの原風景をどのように変えたのかを、テーマごとにエッセイとして記述した本である。ちなみにグラッブスはブルックリン大学で、実験的なポピュラー音楽や詩について教鞭をとる大学教員(ブルックリン大学ウェブサイト)でもあり、原著はデューク大学から出版されている。個別のエピソードを積み上げてゆく書き方なので、あまり論理的な本ではないが、その書き方ゆえに様々な音楽家の証言や、一枚一枚のレコードの背景に光が当てられていて面白い。各章のテーマを、私の関心に基づいて適当にメモしたものは、以下の通り。(私の勝手な関心に基づいているので、これも参考程度にとどめて下さい。)

第1章「ラジオから流れるヘンリー・フリント」
・60年代はリリースされなかった録音物が、80〜90年代辺りから発掘されるようになり、60年代のアメリカ実験音楽についての歴史的通説が改められた
・60年代のフリントは、アカデミックな現代音楽の特権性を批判していたが、録音物による流通の拡大によって、今やヒエラルキーの差異はなくなった

第2章「ジョン・ケージをめぐる風景」
・60年代のケージ周辺の実験音楽は、そもそも録音技術とは相反するものであった(フルクサスのテキストスコア、ミニマリストの長時間演奏、録音に相反するライブレクトロニクス、そもそも演奏ではないインスタレーションなど)
・しかし、録音技術によって、新しい作曲の領域も開拓された(ピエール・シェフェールのオブジェ・ソノールと、その後の挫折。リュック・フェラーリのランドスケープ)

第3章「録音芸術家としてのジョン・ケージ」
・ケージは録音物を嫌悪しながらも、偶然性の要素を録音技術というテクノロジーの中に見いだした(『カートリッジ・ミュージック』『ヴァリエーションズII』『ウィリアムズ・ミックス』『HPSCHD』『インデターミナシー』)

第4章「骨董品の取引──フリー・インプロヴィゼーションとレコード文化」
・フリーインプロヴィゼーションは反録音的な性質を持っていたが、録音物のリリースによって広まったことも否定できない
・デレク・ベイリーとAMMの違い(演奏者の自律性に突き抜けるベイリー、集団において自律的に音の共有と探求を試みるAMM)
・コーネリアス・カーデューの図形楽譜と即興演奏の関わり

第5章「テキサスからレコードをなくせ──オンライン・リソースと永久ではないアーカイヴ」
・オンライン・リソースとデータベースについて(オフィシャルなオンラインアーカイブであるDRAMと、多くの法的問題を含んだアンオフィシャルなオンラインアーカイブであるUBUWEB)
・60年代の実験音楽やフリーインプロヴィゼーションは、再現の不可能性にこだわっていた。オンライン・リソースやデータベースは、そこから遠く隔たったものである

このように、本書の核心は、60年代のアメリカ実験音楽やフリーインプロヴィゼーショが持っていた再現不可能性や反録音性が、録音物の流通拡大によって「だいなし」になったという言い方によって、ある時代の音楽が持っている風景(制作環境、作品の受容形態など)が不可避的に変化してゆく過程を捉え、現在につながる聴取の変容を提示することにあったといえる。

さて、グラッブスの音楽について、違う考えがわいてきたという話に戻ろう。この本自体は興味深く読んだのだが、私がグラッブスの音楽活動に結びつけて気になってしまったのは、本書のなかでは大して重要ではない「ラジオから流れるヘンリー・フリント」のエピソードであった。それによると、フリントは、アカデミックな現代音楽を批判しながら、自分らの音楽をヒルビリー音楽に貢献するものであると定義していたらしい(そのような例として、ここではオーネット・コールマンの名前が挙げられる)。これは、アカデミックな現代音楽が大衆文化の要素を高みから簒奪するのとは真逆の、現代音楽の要素を大衆文化に導入しようとする考えに基づいている(フリントにこのような考えを持たせた切っ掛けの一つが、ケージの心ない言葉であったというエピソードも興味深い)。このようなフリントのスタンスは、どこかグラッブスに通じるものがあると思う。

Gastr Del Solにおけるカントリーブルースやフォークの要素は、どちらかと言えばグラッブスが元来持っていたものではないだろうか。勿論、オルークもカントリーブルースに対する関心を持っているが、オルークがカントリーブルースを演奏しても、それはあくまで擬態的なものであり、形式的なものを分析することへの興味に根ざしている。具体例としては、『Happy Days』(1997)と『Bad Timing』(1997)を参照すれば分かりやすい(このエントリーを参照)。ただしそれは、フリントが批判したようなアカデミックな現代音楽が、下位の文化を簒奪するという事態とは当然ながら異なるものである。オルークにとっては、アカデミックな現代音楽すらも特別なものではあり得ず、それは擬態の対象であり、批判的分析の対象なのである。以前にも述べたが、オルークは音楽家を演じる音楽家なのだと私は考える(このエントリーを参照)。オルークが自らの表現において唯一根拠とするものは、形式や文脈を逸脱するような実験性の有無に尽きるのだといえよう。

それに対してグラッブスは、フリントがヒルビリー音楽の側に立ったように、カントリーブルース、フォーク、パンク/ハードコアを始めとするポピュラー音楽の側に立っている。その動機については措くが、一般的なポピュラー音楽のミュージシャンとグラッブスの違う点としては、グラッブスがポピュラー音楽の諸形式をそのまま反復しようとするのではなく、ポピュラー音楽のなかに実験的な要素を取り込もうとしていることを指摘しておきたい(これはグラッブスだけでなく、アメリカの実験的ポピュラー音楽のミュージシャンによく見られる態度であるといえる)。そのため、グラッブスが即興演奏や電子音楽に正面から取り組んだとしても、独自性や卓越したものは生まれにくい。むしろ、ポピュラー音楽の形式のなかに実験的な要素を取り込んで行く方向でこそ、その表現は輝きを増すのである。

思えばこの半年、私は長年の宿題をまとめるようにして、オルークの草月コンサートを聴き、今回のグラッブスのソロコンサートを聴き、グラッブスの著書を読んだ。そのような経験のなかで、Gastr Del Solが何であったのかが、ようやく分かりかけてきたように思う。Gastr Del Solは、オルークとグラッブスという二つの存在があってこそ生まれたものであり、むしろオルークこそがグラッブスを必要としたのだという側面が強い。あと少しで、Gastr Del Solが持っていた実験性の本質に辿り着けそうな気がする。

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