出版予告『松本俊夫著作集成 Ⅰ 一九五三 ─ 一九六五』

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松本俊夫著作集成Ⅰ 一九五三 ─ 一九六五
松本俊夫[著]
森話社
A5判/616頁
本体6000円(+税)
http://www.shinwasha.com/096-8.html

日本実験映画界の重鎮であり、理論面においても前衛芸術運動を牽引した映像作家・松本俊夫の著作を網羅した集成(全四巻)。芸術的闘争の歴史的記録であるとともに新たな発見の書。

「私の過去六冊の評論集と、単行本には掲載されていない多量の発掘文を混ぜ合わせて、それらを編年史的に目次化したのがこの著作集成(全四巻)である。著者としてはここから視座の広域化や多層化が浮上し、各種の関係レベルでの新発見が、多角的かつ活発に生まれてくることを期待してやまない。」────松本俊夫

Ⅰ巻では『記録映画』や『映画批評』等の雑誌に掲載された、1953年から1965年までの松本の著作を収録し、『映像の発見』(1963)と『表現の世界』(1967)に再録された論文の初出に加え、「作家の主体ということ」「疑似前衛批判序説」をはじめとした、単行本未収録の論文・記事を含めた全124本を収録。本巻によって芸術と政治の狭間にあった松本俊夫が、アヴァンギャルドとドキュメンタリーの統一をいかに模索していったのか、その過程が明らかになるだろう。


収録されるテクストは、以下の通り。[a]は第一著作集『映像の発見』に収録のテクスト(全29本)で、[b]は第二著作集『表現の世界』に収録されたもののうち、1965年までに発表されたテクスト(18本)となる。よって、本書に収録されたテクスト124本のうち、77本が既発著作集に未収録ということになる。
また、本著作集成は、既発著作集に収録されたテクストを含め、初出を底本とする基本方針をとっており、Ⅰ巻では122本が初出となり、初出の存在を確認できなかった[*]の付いた2本のみが再録に拠っている。さらに参考というかたちで、高校の部活動会報に書かれた「趣味之王郵便切手蒐集」(1948)と、卒業論文「ヘーゲル美学に於ける主観と客観の関係」(1954)より、「問題提起」の部分を収録した。
第一著作集『映像の発見』と第二著作集『表現の世界』に収録されたテクストが、この時期に発表された松本の著作物のうちの半分以下に過ぎなかったということは、ある世代以降に読まれてきた「松本俊夫」像が一面的なものであったことを示すものだといえる。そこから抜け落ちたテクストには、政治的なものや、芸術運動に関わるものや、美術批評に関わるものなど、重要なものが多数含まれていた。その広範なテーマを持つテクスト群は、当時の映画や芸術の状況を、松本を通すかたちで浮かび上がらせる。そして、映画に限っていえば、このテクスト群は、典型的なシネフィルの歴史観に対する異物として機能するだろう。このことは、次巻以降でより明白となるはずだ。

【目次】
[Ⅰ 一九五三─一九六〇]
現実に密着した美術を──ニッポン展評
作者内部の概念規定が曖昧──武井・針生論争
『銀輪』
「作家の自主性のために」に対して
『マンモス潜函』を完成して
作家の主体ということ──総会によせて、作家の魂によびかける
a 前衛記録映画の方法について
私達の苦しみとその解決の道(一)
私達の苦しみとその解決の道(二)
書評──花田清輝著『映画的思考』
作品研究──『忘れられた土地』
a映画のイマージュと記録──シンポジュームのための報告
迫りくる危機と作家の主体──警職法改悪に私たちはいかに対決するか
複眼のドラマ意識──ポーランド映画『影』
日本の現代美術とレアリテの条件
倒錯者の論理──主体論の再検討のために(1)
a 「敗戦」と「戦後」の不在──主体論の再検討のために(2)
新しいプロパガンダ映画──映画『安保条約』をめぐって
記録映画の壁──内部につき刺す表現とそれを拒む根強い保守主義
カナリヤに歌を
a 芸術的サド・マゾヒストの意識──もしくは創作の内的過程と芸術的効用性について
a 隠された世界の記録──ドキュメンタリーにおける想像力の問題について
超記録主義の眼──中国の現実と芸術・Ⅰ
美術映画の驚異──中国の現実と芸術・Ⅱ
政治的前衛にドキュメンタリストの眼を──1960年6月の指導部の思想をめぐって
残酷と現実否定のイメージ
a 残酷をみつめる眼──芸術的否定行為における主体の位置について
映画技術を最高に駆使した──『白い長い線の記録』

[Ⅱ 一九六一─一九六三]
疑似前衛批判序説
a モダニズムとクリティック
b 「バラの蕾」とはなにか──『市民ケーン』とオーソン・ウェルズ
琉球の祭りについて
荊の道に抗して──自作を語る
現代時評
三人のアニメーション
個々のぶつかり合いによる運動の最小単位を
a 変身の論理
a 大衆という名の物神について
意外性のドラマトルギー──勅使河原プロ『おとし穴』
巨視的な未来の透視──花田清輝著『新編映画的思考』
書評──小川徹著『大きな肉体と小さな精神──映画による文明論』
『太陽はひとりぼっち』──ミケランジェロ・アントニオーニ監督
a 肉を切らせて骨を切れ──あなたの中のA君に宛てて
映画運動の思想と責任──記録映画への批判にこたえて
反教育的教育論
b 安部公房氏のアイ・ポジション
アンチ・テアトル上演の意義──イオネスコ作・表現座公演『アメデーまたは死体処理法』
映画創作のための連続講座──第二講・テーマとモチーフ
技術は向上、内容は低下──三人のアニメーション・3
形にならない形への模索──滝口修造著『点』
書評──滝口修造著『近代芸術』
a 映像・二つの能力──「見つける」ことと「作る」こと
a 「記録の目」の問題──対象のドラマを“模索”する
a もう一つの現実──「心のうごめき」を映像化する
a 「もの」との対決とは──外界、内界を結ぶヘソの緒
a 説明性を排除して──映像による直接的な表現
a イメージの深さ──生理的刺激と精神的刺激
a 「音」と映像の対話──補助手段としての音の否定
a 表現をささえるもの──主体の燃焼と主題の深さ
a 日常の中の異常──内面化した人間解体のドラマ
a 意識と無意識の間──目に見えない世界を見ること
a あるがままの存在──事実のドラマから存在のドラマへ
a 思索する映像──「見る」ということの意味
a 可能性と障害と──名馬はいるがばくろうがいない
作品構造論に特色──浅沼圭司著『映画美学入門』
「動き」と「音」
a 追体験の主体的意味──『二十四時間の情事』について
自作を語る『石の詩』
欲求不満
偽造された歴史──日本共産党四十周年記念映画『日本の夜明け』批判
根深い歪みの変革を──大島渚著『戦後映画──破壊と創造』
a 凝視と日常性──大衆社会状況下のリアリズム・その一
a ドラマの無いドラマ──大衆社会状況下のリアリズム・その二
a 存在の形而上学──大衆社会状況下のリアリズム・その三
下半身と上半身──映画『女と男のいる舗道』『審判』
a 運動の変革
青芸ヘ──その先の課題
ルイ・マルの『鬼火』と消えることのない疵
b 映画批評の貧困──俗流政治主義、エセ戦闘性
イオネスコとメタフィジカル・ドラマ
a* ネオ・ドキュメンタリズムとは何か

[Ⅲ 一九六四─一九六五]
b 本能と外界の接点を抉る──『にっぽん昆虫記』(日活)
書評──武井昭夫著『創造運動の論理』
b 文学における「戦後」の超克
映像作家のみた西陣
隠れた部分へのアプローチ──ピランデルロへの手紙
人間性の回復──『去年マリエンバートで』を見て
基本方針案提起
劇団の堕落について
端正な冒険──『六人を乗せた馬車』について
b ベケットの世界──もしくは猶予の悲惨さについて
舞台のための覚え書
絶望のドラマ
対話を回復するために──ある劇作家集団を結成するにあたって
b 示唆的な空間論と時間論──中井映画理論に内蔵されているもの
事件の本質は何か──日共の裏面の動きに眼をむけよ
書評──針生一郎著『われらのなかのコンミューン』
b 破壊の美学──白南準作品発表会について
b アンデパンダン64──カオスの中のイメージ
事実はこうだった──石堂論文「岩崎昶氏と紅閨夢」への補足
未知の空間への挑戦
b 現実と人間の条件
可能性の世界──アニメーション・フェスティバルの試み
忘却と責任と──映画『パサジェルカ』をみて
b 血の形而上学
ドラマトゥルギー以前
偶然と選択の詩
疼く痛み鋭い思想性──変革を死にものぐるいで求めているドラマの世界
芸術運動とはなにか──「現代詩の会」解散をめぐって
b 差別からの自由とは何か──黒人解放を自己の自由と結びつける作家の意識を
映像の記録性について──ドキュメンタリーにおける事実主義の克服のために
b 精神的飢餓感の表現──アルビーの『バージニア・ウルフなんかこわくない』の評
意味と表現の分裂──安部公房『おまえにも罪がある』評
b 小川徹論──「裏目読み」の功罪
大型変圧器を運ぶ
総括(及び今後の方針)のために
b 真の戦争ドラマとは何か
b* 迷路の中の他者
b シジフォスの祭典──アンデパンダン・アート・フェスティバル
一条の綱を手ばなさず対立物をとことんかみあわせる──花田清輝著『恥部の思想』
b 愛と自由は可能か──『8 1/2』と『赤い砂漠』をみて
『瀕死の太陽』製作意図
日本的エロスの原像──『水で書かれた物語』
現代の映像──イタリアンリアリズム以後のドラマの状況

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