UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画コレクション『ザ・コネクション』@フィルムセンター

connectionフィルムセンターで開催されたUCLA映画テレビアーカイブ復元映画コレクションのプログラム枠内で、シャーリー・クラーク(Shirley Clarke)の『ザ・コネクション(The Connection)』(1961)が上映された。クラークは、1960年にジョナス・メカス(Jonas Mekas)の呼びかけにより発足したニュー・アメリカン・シネマ・グループのメンバーでもあり、初期には実験映画を制作していたが、その後、ドキュメンタリーや劇映画を制作するようになる女性作家である。そのクラークによる初の劇映画が本作であり、ストーリーは「ドキュメンタリー映画の撮影」というメタフィクションのなかで展開する。本作の原作はリヴィング・シアターによる同名の演劇であり、演劇版と映画版いずれもジャック・ゲルバー(Jack Gelber)が脚本を担当した。また、リヴィング・シアターの公演におけるキャストは、一部の配役は異なるが殆どそのまま映画のなかでも起用されている。さらに、映画では室内劇としてすべてのプロットを構成しており、その枠組みは極めて演劇的である。このことから本作を考えるにあたって比較対象となるものは、メカスによる『営倉(Brig)』(1964)であることはいうまでもない。メカスの『営倉』もまた、軍隊の営倉における非人権的な抑圧を描いたリヴィング・シアターの演劇を、セットを組んで撮影した映画である。『ザ・コネクション』と『営倉』、これらの作品のコンセプトは極めて近い。これらの作品が目論んだものとは、演劇とドキュメンタリーの越境であったというべきだろう。

次に、ストーリーを説明する。最初にメタフィクションへの導入として、字幕で「この映画は監督が放棄したフィルムを編集して完成されたものである」という旨が示される。そして、ジャンキー達が薄汚いアパートの一室にたむろしている様子が映し出される。その顔ぶれは、この部屋の持ち主である白人A、雑誌を読みふける白人B、黒人C、楽器を質屋に流した白人D、ピアノ奏者の黒人フレディ・レッド(Freddie Redd)、サックス奏者の黒人ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean)、ベース奏者の黒人マイケル・マトス(Michael Mattos)、ドラム奏者の黒人ラリー・リッチー(Larry Richie)である(ジャズの演奏家4名は本物の演奏家であり、4名ともにリヴィング・シアターの演劇版にも出演している)。彼らはジャズと麻薬を題材とするドキュメンタリー映画撮影のために集められた。そして、彼らを撮影するのが、映画監督の白人と、カメラマンの黒人である。会話の内容から、映画監督は撮影のための彼らの麻薬代を負担したことがわかる。そして、彼らはドラッグディーラーである黒人の到着を今や遅しと待ちわびている。ジャンキー達のだらだらした無駄話の合間に、演奏家達はセッションを繰り返す。中盤になり、待ちわびていたドラッグディーラーがやってくる。なぜか彼の横には救世軍のシスターの老婆が同行している。皆は老婆の話を聞き流しながら、トイレで順番にドラッグディーラーから麻薬を打ってもらい、その快感に浸る。しかし、最後の白人Aにだけは麻薬の効果が現れず、彼は自分だけ量を少なくされたとドラッグディーラーを疑う。やがて、救世軍のシスターが部屋を去る。映画監督はドラッグディーラーに何か話をしろと注文をつける。彼は苛立ちながら、自らのリスキーな生活を吐露し、これで満足かと怒鳴る。そして、逆に映画監督に対して「ドラッグ映画を撮りたいのなら自分も麻薬を試すべきだ」と迫る。映画監督はこの要求を受け入れ、自らの身体で麻薬を試すが、その後作品の終わりに至るまで酩酊状態になってしまう。その一方、白人Aはしつこくドラッグディーラーに麻薬をもっとよこせと迫り、セッションのサウンドが鳴り響く中で、遂に大量の麻薬を自らの腕に打つ。それによって白人Aは意識を失い、皆で彼を介抱するはめになる。ここで「ドキュメンタリー映画の撮影」はお開きとなり、演奏家達は楽器を抱えて帰ってゆく。うなされている白人Aを取り囲んだ男達は、重苦しい空気の中に取り残される。映画監督は映画の製作を放棄し、カメラマンにフィルムを託すと述べる。最後に、レコードプレーヤーを抱えた奇妙な男が室内に入ってきて、ジャズのレコードをかけて映画は終わる。

以上がこの映画のストーリーであり、雑然とした会話を積み上げることで、ジャンキー達の袋小路のような生活と閉塞感を表現しているあたりは見事である。しかし、メタフィクションという仕掛けについては味付け程度で、設定上のカメラの位置関係を無視したショットも多々あり、全体的に作り物感が強い。しかし、このアンチ・リアリズム的な感覚こそが本作の醍醐味だろう。この作り物感は舞台上での演劇に通じるものがあり、やはりこの作品は、劇映画というよりも、演劇のドキュメントに近い。また、映画の進行に唐突に割り込んでくるフレディ・レッド・カルテットによる演奏も、音楽ドキュメンタリーのように、長いシークエンスをとって撮影される。演劇と音楽という異なる領域の表現を、メタフィクションという仕掛けを足がかりに、いびつなかたちで映画内で束ねた実験的な作品――本作は、そのように形容することが適当であるように思う。

ちなみに、作中のフレディ・レッド・カルテットは「Freddie Redd Quartet with Jackie Mclean」の名義でサウンドトラック『The Music from The Connection』を録音している(http://www.discogs.com/ja/Freddie-Redd-Quartet-With-Jackie-McLean-The-Music-From-The-Connection/release/2421541)。

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