「TONY CONRAD: COMPLETELY IN THE PRESENT」@ Super Delux

2016年11月20日、タイラー・バビー監督によるトニー・コンラッドのドキュメンタリー映画『トニー・コンラッド:完全なる今』が、日本国内で初上映されるということで、六本木Super Deluxに観に行った。今回のイベントは、ライブハウスでの一回きりの開催ということで、ジム・オルークによる「トニー・コンラッドに捧げるライブ」と、『Flicker』の上映に合わせた「フリッカー with 灰野敬二」としてのライブも行われる。2016年4月に亡くなったコンラッドへの追悼イベントといった趣である。当日のプログラムは、オルークのライブ、本編上映、『Flicker』上映+灰野のライブという順番で進んだのだが、ここでは、まず最初に『トニー・コンラッド:完全なる今』についてレヴューしたい。当日のメモを元に、後日細かい情報や制作年を調べなおしたものなので、一部映画との食い違いがあるかもしれない。その点留意して読んでください。


『トニー・コンラッド:完全なる今(TONY CONRAD: COMPLETELY IN THE PRESENT)』(Digital, 95min, 2016 http://www.tonyconradmovie.com

トニー・コンラッド:完全なる今 (日本語字幕版)プレビュー from UPTapes on Vimeo.

・2006年、かつて住んでいたアパートの前で、フィールドレコーディングを行う様子。1996年、「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.2 YTTRIUM」でのコンサート映像。これらを導入としてタイトルへ

・1963〜1965年頃、大学時代にコンピュータを学ぶ。資本主義に組み込まれないために、最低限の貧しい生活をしする。バークレーでラ・モンテ=ヤングに出会い、永久音楽劇場のセッションに参加する(メンバーはヤング、コンラッド、ジョン・ケール、マリアン・ザジーラ、アンガス・マクリース)。コンラッドはヴァイオリンにマイクを取り付けて演奏することを発明する。それによってヤングはサックスではなく、自らの声を楽器として使用するようになる。しかし、永久音楽劇場のセッションを録音したテープを、ヤングが独占してしまう。それによって、コンラッド、ケール達はテープを聴くことすらできず、ヤングとの間に確執が生まれる
・(アメリカの実験音楽レーベル「Tabel of the Elements」のオーナーであるジェフ・ハントが、学生時代にVelvet Undergroundについて書かれた『up-tight』を読み込んでいたという逸話から繋げて)ある日、プロデューサーがやってルー・リードに引き合わされ、Primitivesというロックバンドを即席で組むことになる。コンラッドとケールはギターとベースを渡され、踊る観客の前でロックを演奏した。ちなみに、ドラムはウォルター・デ・マリア。リードは演奏を上手くこなした。まるで詐欺のような気分。そして、ケールがロックの方向へ進み、バンドはVelvet Undergroundになる。まさか、ケールがロックをやるようになるとは思わなかった。そんなことで時間を無駄にするなんて、前衛音楽をやっているのに
・自分は音楽から作曲を取り除きたかった。音楽から離れて、実験映画のシーンに関わるようになる。そしてジャック・スミスの『燃え上がる生物』(1963)のサウンドトラックを制作する。ある日、マリオ・モンテスにレンズのないプロジェクターの光を当ててみたら、面白い効果が得られた。学生時代にストロボ効果の本を読んでいた。そこでパターン配列をフィルムに起こしてコピーライトを取ることにした。『Flicker』(1965)を制作
・ロン・ライスの『Chumlum』(1964)に、ビバリー・グラントがサウンドトラックで参加していた。彼女はスミスの『Normal Love』(1963)にも出演していた。コンラッドとグラントは結婚する。2人でストライプパターンによるフリッカーを起こす『Straight and Narrow』(1970)を制作。この作品のサウンドトラックは、テリー・ライリー&ケールの『Church of Anthrax』(1971)。また、50年かけてペンキの色が変化する「映画作品」として『Yellow Movies』シリーズ(1973〜)を制作
・1969年、シャルルマーニュ・パレスタインは、MoMAの横にある教会(セント・トマス教会?)で鐘を鳴らす仕事をしていた。その鐘の音を聴いたコンラッドは、パレスタインを訪ねて「カリヨンを録音させてくれ」と言ってきた
・コンラッド、スミス、ヘンリー・フリントによるパフォーマンス的なデモ活動のエピソード

・1970年代に入り、オルブライト大学やアンティオーク大学で教員の職につく。アナーキーな講義風景
・フィルムを加工(料理)する作品群を制作する。フィルムを酢漬けにする『Pickled Film』(1974)、フィルムをすき焼きにしてスクリーンに投げつける『7360 Sukiyaki』(1973)など。フィルムをリアルタイムで現像して入れ子状に上映する『Film Feedback』(1974)も、この時期に制作
・サンディエゴ大学でスーパー8を手にして、軍隊をテーマにしたチープな劇作品『Beholden to Victory』(1980)を、トニー・アウスラー、マイク・ケリーと共に制作。ジャンク映画を作りたかった。作品を上映すると、過去の自分の音楽と映画のファンは帰っていた
・バッファロー大学で教員(メディア学?)となる。本人がパフォーマンスする『Your Friend』(1982〜1985)、『In Line』(1986)を制作。テレビのメディア性に着目し、通話によって地域の子供に宿題を教えるビデオ作品『Homework Helpline』(1993〜1997)を制作。メディア批判とメディアアクセスへの介入を意図して、ビデオで人々にインタビューする『Studio of the Streets』(1991〜1993)を制作
・監獄をテーマとする「監獄映画」の制作を思いつき、屋根裏に監獄のセットを作る。囚人としてケリー、アウスラーが出演。16mmで撮影を開始するが、中断。いずれ再開することを目論み、セットをそのまま残しておく。やがてビデオの性能がフィルムと同等になったので制作を再開するが、ケリーが自殺。これ以上制作できなくなる
・バッファロー大学に勤めている時期は辛かった。グラントと離婚し、テッド(息子)はグラントが養育。しかし、グラントが1980年代終わりに病死。テレビモニターを通して息子と話すビデオ作品を制作。息子との仲が修復される。(その後、コンラッドは再婚している)
・コルクボードに汚れた老人用下着を貼り付けた造形作品を制作する様子。皆に呆れられる

・時間は戻り、ヴァイオリンを手にしてドイツに渡って『Outside the Dream Syndicate』(1972)を、クラウトロック集団であるFaustと共に録音したエピソードについて。ヤングから離れたかった
・1993年に「Tabel of the Elements」のハントが、コンラッドの勤務校に電話をかけて来て、『Outside the Dream Syndicate』の再発を打診する。同年、再発CDと、未発表音源を収録した7インチをリリース。1994年、「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.1 MANGANESE」にてコンラッドとFaustのリユニオン・コンサートも行う。このフェスティバルには、灰野敬二やAMM、サーストン・ムーア、オルークも参加
・1964年12月に録音していた音源をハントに送ったところ、『Four Violins』(1996)としてリリースされる。ビブラートは使わない。指を奇妙なポイントに置き、ハーモニクスを起こす
・ヤングは相変わらずテープの権利を独占していた。そこで、過去の形式によって作品をもう一度作り直す『Early Minimalism Volume One』(1997)を制作する。1994〜1996年の期間に録音されたもので、レコーディングエンジニアはオルーク。楽譜のない音楽を目指す
・ハントは、レコーディングエンジニアとしてスティーブ・アルビニを起用することによって、コンラッドの音楽に再びロックの文脈を与えようとする。そうして、『Slapping Pythagoras』(1995)を制作。ギターを弓で弾くことによる強いハーモニクス。オルークとデヴィッド・グラッブスも参加
・再び「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.2 YTTRIUM」でのコンサート映像。60Hzのハムノイズが出るアンプを使って演奏。オルークとグラッブスもGastr Del Solとして、このコンサートで共演したが、オルークは草刈機を演奏するように命じられた
・再び、ヤングとの確執について。ヤングは永久音楽劇場の音源のリリースは認めたが、著作権は自分にあると主張した。作曲者不在の音楽を作りたかったのに。そこで、バッファロー大学にヤングが講演に来た時に抗議デモを行った。すると、不思議なことにオルークが、どこからともなく永久音楽劇場の音源を入手してきた。それを『Inside The Dream Syndicate Volume I: Day Of Niagara (1965)』(2000)としてリリースした。その後もヤングとの論争は続いた
・刑務所のセットと音声によるインスタレーション、『Women In Prison』(2013)の様子。囚人を通常の時間感覚の外側から見つめる。そのほか、サウンドオブジェ作品の展示風景など。恐らくGREENE NAFTALIにおける個展の際に撮影されたもの
・横断歩道で車を指揮するコンラッドの様子。エンディングクレジット

以上、日本では紹介されて来なかった1980年代のコンラッドの活動も含めて、彼の生涯を俯瞰する、良くまとまったドキュメンタリー映画だった。私も知らなかったエピソードがいくつもあり、大変興味深く観た。編集としても、『Outside the Dream Syndicate』の再発以降の音楽活動を最後に持って来たのは、綺麗にまとまりすぎている感もあるが、巧みな構成だった思う。映画についての感想というより、コンラッドの活動履歴についての感想になってしまうが、いくつか思ったことを書き留めておく。

まず、1960〜1970年代に極めて重要な作品を多数制作したコンラッドだったが、彼にとっての1980年代から1993年にかけての時期は、どのような時代だったのだろう。それは少なくとも、映画作家としては混迷期だったと思う。この時代のコンラッドのビデオ作品は日本ではほとんど知られておらず、私も初めて見るものばかりだった。それは初期ビデオアートの焼き直しのような、中途半端な仕事に見える。しかも、大作であったはずの「監獄映画」の制作も思うように進まない。そんな時期に、「Tabel of the Elements」のハントはコンラッドにコンタクトを取り、彼に大きな転機をもたらした。すなわち音楽の側からの再評価の契機を与えたのである。コンラッドのディスコグラフィーを眺めてみよう(http://www.discogs.com/ja/artist/91947-Tony-Conrad)。ヤングが永久音楽劇場のテープを独占してしまったため、1993年に至るまで、世に出たコンラッドのレコードは、Faustとの共作である『Outside the Dream Syndicate』しかなかった。そのため、ハントやオルークのようなマニアが聴きたいと思っても、コンラッドの音楽になかなかアクセスできない、一種の疎外された状態が長く続いていた。そして、コンラッドのレコードが続々リリースされるようになるのは、ハントが『Outside the Dream Syndicate』を再発する1993年以降である。その余波として映画や美術の領域でも、今日に至るまでのコンラッドの再評価が及ぶことになる(私も、その流れのなかで、彼の映画と音楽に触れて来た)。2014年に出版した『Plus Documents 2009-2013』に収録の、オルークや牧野貴らとのトークセッションにも、これに関わる部分があるので引用してみよう。

阪本(S):そういえばジムさん、トニー・コンラッドと一緒に活動していたじゃないですか。
ジム(J):私はいつもトニーの手伝いをしていた。彼が何か欲しい(と言ったら)、「はい、それやります」と。
牧野(M):映画と音楽、どちらから好きになった? 美術でもあるし。
J:もちろん。トニーの作品そういうふうに扱う。映画か音楽、そういうふうに分けられない。
S:トニー・コンラッドの作品で最初に出会ったのは何でした?
J:もちろん、『Flicker』(1965)。長年、彼の映画は知っていた。あの頃は彼の音楽を聴くことが出来なかった。ファウスト(Faust)と一緒にやったのだけだった。見つけにくかった。多分、14~15年間探した。
S:トニー・コンラッドはずっとレコードを出してなかった。テーブル・オブ・ジ・エレメンツ(Table of the Elements)から、ファウストと一緒にやった『Outside the Dream Syndicate』(1973)の再発や、『Slapping Pythagoras』(1995)を出したのが久しぶりで、あの頃からまた演奏を再開した感じですよね。
J:いや、60年代からやっていた。レコードが無くても、よくライブをやってた。あの時、そういう音楽に関しての雑誌が無かった。あの歴史を読むことが出来ない。

オルークによると、ライブは1960年代から続けていたようだが、やはり1993年の転期に至るまでは、コンラッドの音楽には、なかなかアクセスできない状況が続いていた。似たような記述は、アメリカ実験音楽全体の話になるが、グラッブスの著書『レコードは風景をだいなしにする』の中にもあったように思う。この『Outside the Dream Syndicate』をめぐるエピソードは、過去と現在が等価に関係し合う、歴史の循環性を私たちに知らしめるものだ。思えば、ヤングがテープを独占したために発案することになった『Early Minimalism Volume One』もまた、失われたものを再現前させるという意味で、そのような過去との関わり方を実践するものだったのではないか。私には、彼の作家としての人生そのものが、過去と現在の循環によって成り立っていたように思えてならない。それは人間の時間感覚を解体するものとしての、彼の音楽や映画とも通じ合っている。資料価値の大変高いドキュメンタリー映画だと思うので、今後も上映の機会を拡げていってほしい。


最後に、オルークのライブと『Flicker』上映+灰野のライブについて簡単に述べておきたい。

ジム・オルーク+波多野敦子「トニー・コンラッドに捧げるライブ」:
オルークは(恐らく)ヴァイオリン、波多野敦子がヴィオラを演奏。エフェクター類は一切なく、マイクで拾われたそれぞれの楽器のサウンドが、そのまま卓上のミキサーでミックスされる。ミキサーにはWAVプレイヤーも入力されており、あらかじめ作り込んでおいた、多くの倍音を含んだドローンが鳴らされる。そのベーストラックの上で、オルークと波多野は、それぞれ高音域と中音域のドローンを演奏する。楽曲はインプロヴィゼーションではなく、二枚の楽譜として作曲されており、幾つかのパートを繰り返すことで、30〜40分ほどの演奏として展開された。特にオルークは、弓を駒の近くに当てて弾くことで、ノイズを多く含んだ物質的なドローンを発生させており、対して波多野はやや情感溢れる演奏に向かう傾向があったものの、中音域を堅実に支えていた。2008年に横浜トリエンナーレで観た、オルークとコンラッドのコンサートの記憶を呼び起こされた。

灰野敬二「フリッカー with 灰野敬二」:
コンラッドの『Flicker』の上映に合わせて、灰野敬二がハーディーガーディーを演奏した。まず断っておくが、灰野による演奏は、音楽自体としては大変良いものだったと思う。しかし、元々サウンドトラックがついている映画にライブ演奏を付け加えることの意義が、作品のコンセプト的にも、私には全く理解できなかった。作家本人がそのような上映を生前に認めていたのかどうかによるので、私の認識に誤りがあったならば、このレヴューを撤回して書き改めます。

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